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ピアノ三重奏曲 第7番 ト長調 K.564

  1. Allegro ト長調 4/4 ソナタ形式
  2. Andante ハ長調 3/8 変奏形式
  3. Allegretto ト長調 6/8 ロンド形式
〔編成〕 p, vn, vc
〔作曲〕 1788年10月27日 ウィーン
1788年10月


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モーツァルトの最後のピアノ三重奏曲。 これもプフブルクのために作曲されたかもしれない。 ピアノが主で、弦は従属的であり、さらにピアノ独奏用の自筆譜断片もあることから、この曲はピアノ・ソナタとして作られ、後で弦楽部を追加した(オットー・ヤーン説)と考えられていた。 アインシュタインは

プフベルクのための比類のない弦楽三重奏曲(K.563)からちょうど1カ月後に完成されたが、元来はピアノ・ソナタだったもので、明らかに「初心者用」である。 モーツァルト自身の「標準」に従えば、3つの楽器が一つの論証的役割を果さなければならないはずのピアノ三重奏曲の枠を、これは全然満たしていない。
[アインシュタイン] p.359
とまで酷評している。 しかし、現在は否定され、最初から三重奏として作られたものとされている。 ところが、最新の研究成果を盛り込んでいるといわれる事典の中で、ロジャー・ヘルヤーはアインシュタインの側に立ち
この三重奏曲がこれまでの偉大な作品の活気のない模倣作のようであるのは事実である。 3つの楽器の間にはほとんど会話がなく、ヴァイオリンとチェロは平行進行でともに動くのみであるところが多く、模倣はおろか、モーツァルトの語法の特徴となっていた新たな四重奏曲様式もほとんど使われていない。
[全作品事典] p.356
と、手厳しい。 晩年のモーツァルトは簡潔で澄みきった音楽を書くようになったことはよく知られているが、直前の9月27日の「弦楽三重奏のためのディヴェルティメント 変ホ長調 K.563」だけでなく、「3大交響曲の年」とも言われるこの1788年には など傑作が続出していることから、アインシュタインには物足りない(我慢がならない)軽い曲と感じたのかもしれない。 しかし、モーツァルトにとってこの種の曲は仲間うちで肩のこらない演奏会を楽しむつもりのものであっただろうから、後世の評価を聞いたら本人は笑うに違いない。 現に上記の傑作に混じって実に多くの冗談音楽(カノン)が作られ、しかも本人はそれらを同列に並べているのである。 さらにしかし、この曲は肩のこらないなどと簡単に片付けることができないばかりか、簡潔さが聴く者を幸せな気分にする(それがモーツァルトが最後に目指したスタイルかもしれない)ことを考えれば、深刻で難しそうな大曲と比べてみることはまったく意味がないと言えよう。

第1楽章では、傑作と言われる「ホ長調 K.542」の第1楽章と同じように、展開部が幻想的(ニ短調)に作られている。 第2楽章は「バスティアンとバスティエンヌ」(K.50 / 46b)第1曲バスティエンヌのアリア「愛する人は私を捨ててしまった」を主題にした6つの変奏曲。 第3楽章はシチリア風の主題によるロンド。

〔演奏〕
CD [EMI CHS 7697962] t=17'59
クラウス Lili Kraus (p), ボスコフスキ Willi Boskovsky (vn), ヒューブナー Nikolaus Hubner (vc)
1954年、ウィーン楽友協会ホール
CD [NSC175] t=19'08
ニコルソン Linda Nicholson (fp), ハジェット Monica Huggett (vn), メイソン Timothy Mason (vc)
1983年4月、古楽器使用。
CD [TKCC-15110] t=15'50
オルベルツ (p), ズスケ (vn), プフェンダー (vc)
1988-89年

〔動画〕

〔参考文献〕


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2014/04/30
Mozart con grazia