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交響曲 第39番 変ホ長調 K.543
〔作曲〕 1788年6月26日 ウィーン |
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ひと月半という信じられないような短期間に連作された不朽の名作、いわゆる三大シンフォニー「変ホ長調 K.543」、「ト短調 K.550」、「ハ長調 K.551」の第一作にあたる。 冒頭にアダージョの序奏をもつ。 楽器編成において、オーボエを用いていない。 かわりにクラリネットが用いられている。 これは彼の後期交響曲で唯一であるばかりでなく、その他の作品を見渡しても珍しいことである。
モーツァルトがクラリネットを愛したことは、すでに見たとおりである。 彼は晩年の十年間にシンフォニーをあまり書かなかったので、シンフォニーという枠組の中における、クラリネット中心の管楽器群の扱い方は、変ホ長調のシンフォニーK543の中に見られるだけである。 この曲にはオーボエが欠けている、つまりハイドンの愛した鋭い、鼻音の管楽器が消えているのである。 変ホ長調のシンフォニーの、秋のような、あるいは陽の当たる悲しみといったようなムードは、フルート、クラリネット、ファゴット、ホルンという組み合わせの管楽器の生み出す柔らかい光沢のもたらすものである。[ランドン1] pp.80-81
作曲の動機は不明であるが、アインシュタインは「夏にシンフォニーを書くのは異例のことであり、おそらく、1789年の冬に数回のアカデミーを開催できると希望していたのであろう」と推測していた。 なお、アカデミーとは作曲者自身の演奏によるコンサートのことである。 ただし、これら3曲を演奏する機会がなく、モーツァルトは指揮することも、聴くこともなかったと思われていた。 確かに作曲の動機を示す記録も、実際に演奏されたという記録も残っていない。 この点については、父レオポルトの死去により重要な資料となるはずの手紙が書かれなくなったためであろう。
連続演奏会についての資料は、知りうる限りの情報によれば、ほとんどがモーツァルトが父宛てに書いた手紙から得ている。 それらの演奏会のことは地方紙にも載らなかったし、ツィンツェンドルフ伯爵の日記(貴重な資料だが)にも書かれていない。 従って1787年のレーオポルト・モーツァルトの死後は、このような演奏会の詳細を知る最も重要な資料がなくなってしまう。ロビンズ・ランドンは1788年秋に予約演奏会があった可能性を示唆し、状況証拠として「ト短調 K.550」の自筆譜の改訂があることをあげている。[ランドン2] p.46
これらの改訂は決して引き出しにしまっておくためになされたわけではないのである。 この事実は誇張ではない。 モーツァルトは最高の現実主義者だったので、もっぱら目先の特定の演奏会用の作品しか完成させなかったからである。また、ソロモンも「父の死によって家族の往復書簡が途絶えたことが惜しまれる」と言い、その上で同書 p.48
最後の3曲のシンフォニーは、これらのコンサートに使用するつもりで書かれたか、あるいは、イギリスに持参するために書かれた、ないしはその二つの目的を兼ねて書かれたと見るのが妥当であろう。 その際おそらくモーツァルトは、かつては自分のコンサートの目玉であったピアノ協奏曲の代りに新しいレパートリーを提供して聴衆の興味を引こうと考えたのであろう。と推測している。 このように、生前の演奏があったかどうかについて、最近はその可能性があったとする説が有力である。 ロビンズ・ランドンはさらに、作曲された作品の当時の流通経路を詳しく分析し、自筆の総譜と写譜されたパート譜の間に差異が生じることを念頭に[ソロモン] p.652
クレスミュンスター修道院にある譜面、あるいはフィレンツェの大公図書館、ブダペストのエステルハージ家古文書、ハンブルク宮にあるエッティンゲン・ヴァラーシュタイン図書館などに収められている最後の三曲のシンフォニーの極めて興味深い写譜を調べて見ると、それらは総譜と異なるところがあり、明らかに総譜から写されたものではなく、オリジナルのパート譜(喪失)のほうを写したものであることが判る。と主張し、たとえ1788年の予約演奏会は催されなかったとしても、その後作曲者の生前に演奏された可能性があるとしている。 残された資料からそのような可能性のある機会を探してみると、その一つが1790年10月15日フランクフルトで行われた演奏会があり、そのときのプログラムに[ランドン1] p.172
楽長モーツァルト氏は市立大劇場で自己のための大演奏会を催す。と書かれてあるものとみられている。 ただし、これにはベントハイム・シュタインフルト伯爵の記録
第一部 モーツァルト氏の新しい大交響曲。 シック夫人の歌うアリア。 楽長モーツァルト氏の作曲、演奏によるフォルテ・ピアノのための協奏曲。 チェカレリ氏の歌うアリア。
第二部 楽長モーツァルト氏自身の作曲による協奏曲。 シック夫人とチェカレリ氏による二重唱。 交響曲。[ドイッチュ&アイブル] p.236
最初はずっと以前にモーツァルトから聞いたことのある美しい交響曲。があるので、このとき、いわゆる三大シンフォニー(のどれか)が演奏された可能性は低いかもしれない。 しかし、このような演奏会がほかにもあったかもしれず、たとえば1791年4月16日と17日、
・・・
最後の交響曲は演奏されなかった。 2時近くなってしまい、皆が食事にと求めたからである。 つまり演奏会は3時間かかった。 作品毎に非常に長い休憩があったからこんなことになったのである。同書 p.237
帝室王室国民宮廷劇場で、設立された音楽芸術家協会によってその未亡人、遺児達のために大演奏会が開かれる。 演目は次の通り。という記録も残っている。 このコンサートはサリエリの指揮によるものであるが、そのとき演奏された大交響曲とは「ト短調 K.550」であろうと考えられている。 断定的なことは言えないが、ロビンズ・ランドンが主張するように、「生前には演奏されなかった」というのは「神話」であり、「ウィーンで演奏されたことがある」と推測することに不都合はない。 現実主義者のモーツァルトが何の当てもなく、内的要求のみに従って書き残したものとは考えにくい。 むしろ、わずか約2ヶ月足らずの短期間に(急いで)3曲も仕上げていることには、それらを必要とする緊急の理由と機会があったと考える方が自然であり、この「変ホ長調交響曲」がモーツァルト自身による指揮で演奏されたことがあったかもしれない。
1 モーツァルト氏の作曲による大交響曲
2 オペラ『フェードラ』より抜粋同書 p.241
不幸なことに、この時期の彼は営業的な感覚も薄れてしまったかのようである。 彼は弦楽五重奏曲ハ短調 K.406、ハ長調 K.515、ト短調 K.516 の三曲をセットにした「きれいで正確な」コピーを1セット4ドゥカーテンで予約を募集する広告を何度か新聞に出している。 それが、1788年の6月に至って、「予約者がいまだに大変少ないので、私の三曲の五重奏曲の出版は1789年の1月1日まで延期せざるを得なくなりました」という広告を出したということは、モーツァルトにとっては恥ずかしいというか屈辱的なことだったにちがいない。 おそらくは、夏の間にとりあえず何とかせねばなるまいと思ったのであろう。こうして彼は短期間のうちに量産したのであった。 しかし、聴衆は潮がひくようにモーツァルトから離れてゆき、やがてモーツァルトには演奏の機会や作曲の注文が減少して短い生涯を閉じることになったのは周知の通りである。[ソロモン] pp.651-652
最後の三大交響曲のうち、ト短調とハ長調については多くの論評があるのに対し、この変ホ長調交響曲は「職人芸的な構成や卓越した霊感に欠けてはいないのに、比較的冷遇されているのは謎である」とザスローが述べている通り、あまり取り上げられることがない。 3曲の作品の関係について、アインシュタインは
もはや注文もなく、直接の意図もない。 あるのは永遠への訴えである。 これらは連作であろうか? モーツァルトは一つの内面的な衝動に従っただけでなく、なにかのプログラムにも従ったのだろうか? 三曲の順序は意図されたものだったのだろうか? わたしはそうは思わない。 たといモーツァルトが『ジュピター・シンフォニー』から書きはじめ、変ホ長調あるいはト短調シンフォニーを最後に書いたとしても、それに意味を見いだすには大した才智もいらないであろう。といい、序奏をもつこの変ホ長調交響曲の位置づけについて無頓着である。 はたして、そうであろうか。 モーツァルトが短期間に同じジャンルの作品をいくつか書くとき、それらの順序は意味をもっていなかっただろうか。 礒山はモーツァルトが「三部作」とみなしていた可能性を認め、[アインシュタイン] pp.322-323
これら三曲の並び方を変えてみたら、どうだろうか。 変えようにも、変えられないことがわかる。 《変ホ長調》のみが、堂々たる序奏をもっている。 これは最初に置くからこそ意味があるのであり、途中には置けない。 その序奏を、三作品全体への序奏ととることも、あながち不可能ではない。と主張しているが、まさに通りであろう。 そうしてはじめて、作曲者がこの変ホ長調交響曲に与えた歌謡性という特徴がわかるのではないだろうか。 3つの作品はそれぞれの特徴をもって演奏されて、はじめてその関係が明らかになるだろう。 ブレッヒはかつて次のように言っていた。[磯山] p.172
変ホ長調交響曲の最初の幅広く織りひろげられたすばらしい歌謡主題を、充分な表現と充分な感情と充分な歌とをもって演奏してはいけないのか、なんとしても納得することができない。
・・・
最初の主題を無表情に演奏した場合は、意図された対照効果をたちまち捨て去ってしまうことになるのである。
蛇足になるが、第1楽章アレグロについて、アインシュタインは
おそらくは1783年8月14日に作曲されたミヒャエル(ハイドン)のシンフォニーの冒頭部 --- 当時モーツァルトはザルツブルクにいて、この作品を知っていたであろう --- が刺激を与えたのだと推測される。といって、序奏つきのこの変ホ長調交響曲にはこれ以上深く立ち入る価値はないと素っ気ない。 しかしザスローはオーボエを用いないこの特別な音色が与えられた交響曲の序奏に作曲者の明確な意図を読み取り、[アインシュタイン] p.183
序奏部は、フランス風序曲の開始部に由来する高貴な付点リズムを、忍び寄る半音階技法と融合させたもので、この半音階技法は、この交響曲のすべての楽章に浸透している。と高く評価し、その書法について次のように解説している。[全作品事典] p.263
序曲は、8小節かけて主音から属音へと威厳をもって1音ずつ上昇し、次の17小節で、属音を装飾して期待感を盛り上げる。 アレグロの開始部は、強力な楽想が人を欺くように控えめな調子で示される興味深い例である。そして彼はまた、この作品に作曲者が与えた控えめな性格が「18世紀の楽器の贅肉のない透明な音色から、現代楽器の力強い肉厚な音色への移行」を乗り切れなかったのかもしれないと感じ、
ややくすんだ弦の響きを創り出すフラットの調性は、当時の楽器を用いて小さなホールで聴くならいざ知らず、20世紀の楽器を使って大きな現代のホールで聴いた場合、印象が薄くなるということなのだろうか?と疑問を投げかけ、三大交響曲の中で最も研究の少ないこの作品の真の価値がもっと見直されるべきだと強調している。
とはいえ、モーツァルトはハイドンとは違い、基本的にはシンフォニーを主にした作曲家ではない。 しかし彼が手を染めたもののすべてがそうであるように、モーツァルトのシンフォニーもまた傑出した作品である。 その彼のシンフォニーの書法の中で、ハイドンその他18世紀の作曲家と全く違う点があるとすれば、それはごく小さな事実である。 つまり、モーツァルトのシンフォニーのほとんどのテーマが、基本的には人間の声の音域でできていることである。 それは変ホ長調 K543 の最初のアレグロのテーマを聴けば判るはずである。 もちろん例外はあるが、こうして、人間の声との結びつきと、それを純粋楽器に持ち込むことによって、これらのシンフォニーに、あの温かさ、人間的な弱さをもたらすことになっているのだが、その要素こそは、おそらくモーツァルトの音楽の胸を打つ情感を生み出す原因であろう。[ランドン1] pp.170-171
〔演奏〕
CD [CBS Odyssey MBK 44778] t=26'34 ワルター指揮 Bruno Walter (cond), コロンビア交響楽団 Columbia Symphony Orchestra 1960年、カリフォルニア |
CD [SONY SRCR 8550] t=30'47 バーンスタイン指揮 Leonard Bernstein (cond), ニューヨーク・フィルハーモニック New York Philharmonic 1961年3月 |
CD [POLYDOR POCG-9536〜7] t=25'09 ベーム指揮 Karl Boehm (cond), ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Berlin Philharmonic Orchestra 1966年2月 |
CD [ANF S.W. LCB-103] t=24'32 ベーム指揮 Karl Boehm (cond), ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Berlin Philharmonic Orchestra 1976年9月 |
CD [DENON 20CO-2808] t=32'15 サヴァリッシュ指揮 Wolfgang Sawallisch (cond), チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 Czech Philharmonic Orchestra 1978年6月、プラハ |
CD [PHILIPS PHCP-10552] t=31'01 ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ 1988年 |
CD [BMG ARTE NOVA BVCC-6012] t=27'56 ギーレン指揮 Michael Gielen (cond), 南西ドイツ放送交響楽団 SWF Symphony Orchestra 1994年4月 |
CD [CAMPANELIA Musica C 130076] (3) t=3'18 ズュス (hp), シュトル (cb) 1998 |
CD [Membran 203300] t=25'07 Alessandro Arigoni (cond), Orchestra Filarmonica Italiana, Torino 演奏年不明 |
〔動画〕
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