17 age |
61 5 |
62 6 |
63 7 |
64 8 |
65 9 |
66 10 |
67 11 |
68 12 |
69 13 |
70 14 |
71 15 |
72 16 |
73 17 |
74 18 |
75 19 |
76 20 |
77 21 |
78 22 |
79 23 |
80 24 |
81 25 |
82 26 |
83 27 |
84 28 |
85 29 |
86 30 |
87 31 ▲ |
88 32 |
89 33 |
90 34 |
91 35 |
92 |
歌曲 「小さなフリードリヒの誕生日」 K.529Song "Des kleinen Friedrichs Geburtstag" for one voice with piano〔作曲〕 1787年11月6日 プラハ |
|
この年の10月1日、モーツァルトは妻コンスタンツェを伴ってプラハに旅立った。 今回の目的はオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の初演であり、29日にプラハ国立劇場で上演されたが、モーツァルト夫妻は11月13日まで滞在。 この間に3つの歌曲を書いていることが「自作目録」からわかる。
また、この間に友人ジャカンに宛てた手紙も残されている。1787年11月4日、プラハこの手紙はすぐ投函されなかったことから、次のように書面に続きがある。
10月29日にぼくのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』が上演され、しかもたいへんな拍手喝采を受けた。 きのう、4回目の(しかも上りはぼくの収入になる)上演が行なわれた。 12日か13日にはここを発つつもりだ。 帰ったらすぐに、きみの歌うアリアを手渡せるようにしよう。 でも注意、これはぼくらだけの内緒だよ。[書簡全集 VI] p.432
9日確かにすでに6日に約束の曲は書かれていた。 ただし書面(Sie durch das lied en question meiner freundschaft zu versichern, so haben sie weiter keine ursache daran zu zweifeln; – hier ist es)には単数形で書かれてあり、その歌曲は「夢のすがた」(K.530)の方である。 それとは別にモーツァルトはもう一つ書いていたことになるが、その理由は不明。
2通目の手紙をもらって、思いがけなくうれしかった。 もし例の歌でぼくの友情を証すことが必要なら、きみはもうそれについてまったく疑う理由はないのだ。 それはここにあるんだから。
最初の曲「小さなフリードリヒの誕生日」(ヘ長調、4分の2拍子)にある小さなフリードリヒとはアンハルト・デッサウ侯国皇太子のことで、デッサウの教師シャル(Johann Eberhard Friedrich Schall, 1742-90)が1778年に、皇太子9歳の誕生記念と学校の創立4周年祭のために作詞した。 それに詩人カンペ(Joachim Heinrich Campe)が筆を加えて(最後の節)発表した。 それを9年後にモーツァルトが児童文学集から見つけて作曲した。 ただし、モーツァルトはそのような経緯については知らなかったらしい。
〔歌詞〕
Es war einmal, ihr Leute, Ein Knäblein jung und zart, Hieß Friedrich, war daneben Recht gut von Sinnesart. |
皆さん、昔あるところに やさしい男の子がいました、 フリードリヒという名前で、 それに、とても気立てのいい子でした。 石井宏訳 CD[PHILIPS UCCP-4085/7]
|
〔演奏〕
CD [DENON 28CO-1864] t=2'45 シュライアー (T), デムス (p) 1975年9月、ドレスデン |
CD [PHILIPS 422 524-2] t=2'00 アメリンク (S), ボールドウィン (p) 1977年8月 |
CD [PHILIPS UCCP-4085/7] t=2'00 アメリンク (S), ボールドウィン (p) 1977年8月 |
CD [WPCC-4279] t=2'46 シュリック (Ms), マトー (fp) 1990年5月、ユトレヒト |
〔動画〕
〔参考文献〕
Home | K.1- | K.100- | K.200- | K.300- | K.400- | K.500- | K.600- | App.K | Catalog |