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レチタティーヴォ「不幸なこの私はどこにいるの?」とアリア「ああ、語っているのは私ではない」 K.369Scena (Recitative and aria) for soprano "Misera, dove son? Ah, non son'io che parlo."■編成 S, 2 fl, 2 hr, 2 vn, 2 va, vc, bs ■作曲 1781年3月8日 ミュンヘン |
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前年1780年、ミュンヘンの選帝侯カール・テオドールからオペラ『クレタ王イドメネオ』(K.366)の作曲が依頼され、モーツァルトは11月8日からミュンヘンに滞在していた。 我慢のならないザルツブルクを飛び出して久し振りに自由を謳歌していたモーツァルトはミュンヘンで就職口が見つかることを期待していたのかもしれない。 オペラは1781年1月29日に初演されたが、モーツァルトはザルツブルクに帰ろうとせず、コロレド大司教からウィーンへ来るよう命じられ、3月12日にミュンヘンをたつまで滞在を続けていた。 このシェーナはその直前の3月8に、選帝侯カール・テオドールの愛人の一人だったバウムガルテン伯爵夫人(Gräfin Baumgarten = Josepha Gräfin Paumgarten、旧姓 Lerchenfeld)のために作曲された。 そのため「バウムガルテンのアリア」と呼ばれている。
これはカルル・テーオドールの当時の愛妾であったバウムガルテン伯爵夫人、旧姓レルヒェンフェルトのための、好意の仕事なのである。 しかし、ひかえめな編成にもかかわらず、それは単なる好意の仕事以上のものであり、今度は劇的な状況が完全に捉えられている。 曲はわれわれが初期のアリア以来よく知っている、あの情熱的な婦人フルヴィアの最後のアリアであって、いっさいのものが失われたように思われ、情熱が希望のない諦めに道を譲る瞬間を描いている。 十八世紀においては非常にたびたび作曲されたこのテキストは、誰にも知られていたので、そのシテュエーションに対する理解もあった。 後世にとっては、こういう作品はほとんど完全に見失われたものになっている。 モーツァルトはテクストの要求するところと高貴の女性歌手の能力のあいだに、見事な調停を見出している。 職業的女性歌手になら要求したであろうことを、彼女には要求しえなかったからである。バウムガルテン伯爵夫人がカール・テオドール選帝侯の「お気に入りの女性 favoritin」だったことをモーツァルトは父への手紙(1780年11月13日)で次のように伝えていることが知られている。[アインシュタイン] p.498
In der größten Eil schreibe ich, dann ich bin noch nicht angezogen und muß zum Graf Seeau. Cannabich, Quaglio und Le Grand, der Ballettmeister, speisen auch dort, um das Nötige wegen der Opera zu verabreden. Gestern habe ich mit Cannabich bei der Gräfin Baumgarten gespeist, eine geborne Lerchenfeld; mein Freund ist alles in diesem Hause und ich nun also auch. Das ist das beste und nützlichste Haus hier für mich, dann durch dieses ist auch alles wegen meiner gegangen und wird, wills Gott, noch gehen. Sie ist die, welche einen Fuchsschwanz im Arsch und eine spitzige Uhrkette am Ohr hangen hat und einen schönen Ring, ich habe ihn selbst gesehen, und soll der Tod über mich kommen, ich unglücklicher Mann ohne Nase.余談であるが、その部分の前に書かれていること
(アンダーライン部分)
キツネの尻尾 fuchsschwanz をお尻 Arsch にさし、尖った時計の鎖 Uhrkette を耳 Ohr にぶら下げ、見事な指輪 Ring をした女性が彼女です。 ぼく ich はこの目でその指輪を見たのです。 万が一、死 tod が僕の上に訪れるとしてもです。 小生 ich 鼻 Nase の無い不幸な男。訳のみ[アイブル&ゼン] p.119
きのう、レルヒェンフェルト家出のパウムガルテン伯爵夫人邸で、カンナビヒと一緒に食事しました。 ・・・・ ぼくにとって、この邸は最上の便利な家です。 というのは、彼らの好意のおかげで、あらゆることがぼくに関してうまくいっていますし、 ・・・・から、『イドメネオ』の作曲に関してパウムガルテン伯爵夫人の仲介があって「うまくことが運んだ」のではないかとみられている。[書簡全集 IV] p.445
この曲のテキストはメタスタージオの悲劇『エツィオ Ezio』第3幕第12場から。 エツィオ(アエティウス)はローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世に仕える将軍で、フン族のアッティラ軍を下した英雄。 凡庸で猜疑心の強い皇帝はエツィオを殺し、その罪を政敵のマッシモに着せようとする。 マッシモとは、エツィオの恋人フルヴィアの父である。 エツィオが捕らえれたことを知ったフルヴィアは父を責めるが、そのときマッシモは「行け、怒りにかられて」(K.21)と歌う。 エツィオは殺され、マッシモもまた不当な罪を着せられ、彼女は怒りと絶望のあまり歌うのがこのシェーナ「哀れなこの私はどこにいるの?」である。 モーツァルトはパウムガルテン伯爵夫人の力量を考え、「職業的女性歌手になら要求したであろうこと」を控えて作曲した。 のちに、1783年3月23日のブルク劇場での音楽会でアダムベルガーがこの曲を独唱している。
■詩(アリア)
Ah! non son io che parlo, E il barbaro dolore,
Che mi divide il core, Che delirar mi fa.
Non cura il ciel tiranno, L'affanno in cui mi vedo:
Un fulmine gli chiedo, E un fulmine non ha.
ああ、語っているのは私ではない、それは私の心を引き裂き、
私を狂気にする、残酷な苦痛だ。
暴君のような天は、私の苦しんでいる苦悩にかかわり合おうとはしない、
私は雷電を切に願う、だがなにひとつ動こうともしない。西野茂雄訳 CD[PHILIPS 28CD-3235]
■演奏
CD [ポリドール POCL-1076] t=6'44 グルベローヴァ Edita Gruberova (S), フィッシャー指揮 Gyorgy Fischer (cond), ウィーン室内管弦楽団 Vienna Chamber Orchestra 1980年、ウィーン |
CD [PHILIPS 28CD-3235] t=7'24 キリ・テ・カナワ Kiri Te Kanawa (S), テイト指揮 Jeffrey Tate (cond), イギリス室内管弦楽団 English Chamber Orchestra 1987年6月、ロンドン |
CD [WPCC-4860] t=8'35 グルベローヴァ Edita Gruberova (S), アーノンクール指揮 Nikolaus Harnoncourt (cond), ヨーロッパ室内管弦楽団 The Chamber Orchestra of Europe 1991年6月、グラーツ、ステファニエン・ザール、ライブ |
CD [PHILIPS 28CD-3235] t=7'04 Yuka Matsuoka Limacher (S), European Chamber Soloists, Nicol Matt (cond) 2006年 |
■参考文献
■動画
[http://www.youtube.com/watch?v=0AJ6M1EaQ6Q] t=8'33 Gundula Janowitz (S) 1966年 |
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