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ウィーンで独立したモーツァルトは精力的に演奏会に出演したりして、自分を売り込む活動を行った。 1784年にはトラットナー邸での予約演奏会を毎週きまって開き、新作のピアノ協奏曲を続々と発表している。 そのほかに自作のコンサートも催し、収入を得ようとした。 それらのコンサートの内容はほとんど知られていないが、1783年3月23日にウィーン宮廷劇場でのコンサートだけは、同年3月29日の父への手紙から内容がよく知られている。
ブルク劇場で音楽会が催され、ヨーゼフ2世も聴きに来て、すばらしいコンサートに感激し、モーツァルトに25ドゥカーテンを贈ったという。 観客の中にはグルックもいた。父に手紙で書き送ったそのときのプログラムの内容は、
海老沢敏「モーツァルトは祭」(音楽之友社 1994)pp.232-249
1784年4月10日(ウィーン) 父への手紙
劇場での発表会も非常に好評でした。 2つの大きな協奏曲と、非常な喝采を受けた五重奏曲を書いたのですが、この五重奏曲は自分ではこれまで書いた最高のものだと考えています。 私は弾いてばかりいたので最後には疲れてしまいました。 聴衆の方は一向に疲れなかったことは、少なからざる名誉です。新作の交響曲とは、「第36番 リンツ K.425」かもしれない。
K.466は演奏直前に仕上がった。 当日にやっとパート譜ができ、モーツァルトは全体を通して弾く時間もないまま会場に出かけたという。 この曲の性格は「ドン・ジョヴァンニ」に、そしてK.467の方は「ジュピター交響曲」を思わせる。
このときヴァルター製のペダル・ピアノで演奏した。
渡邊順生 「チェンバロ・フォルテピアノ」 p.610
ザルツブルクからドゥシェク夫妻がウィーンを訪れ、歌った。ピアノ伴奏はモーツァルト。
たぶん以下の曲が演奏された。
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