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四手のためのピアノソナタ ヘ長調 K.497
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1780〜81年、クローチェ |
自作目録には上記の日付けで記載されているが、作曲の目的は不明である。 しかし、この作品の次に記載されているのは「8月5日、ピアノ、クラリネット、ヴィオラのための三重奏曲」いわゆる「ケーゲルシュタット」(K.498)であり、それは友人ジャカン(23歳)の家で、妹フランツィスカ(17歳)たちと共に演奏するために作ったと推測されているので、この作品も彼女との共演のために作られたものと考えられている。 さらに1787年5月にはフランツィスカと共演するために四手のためのピアノ・ソナタ(K.521)を作曲していることもあり、そのような推測はまったく自然なものである。 渡辺順生は「フランツィスカが絡んでいることは確実であろう」と言い、次のように述べている。
変奏曲の高音パートはきわめて女性的に書かれており、モーツァルトが特定の愛らしい女性のイメージを持たずにこのパートを書いたと想像することは、むしろ困難ですらある。そのような目的で作曲されたと推測されるこの曲は、しかし、単なるお遊びに終らず、対位法も用いた大作となった。[渡辺]
この曲は、モーツァルトがピアノのために書いたソナタの中で最も長大かつドラマチックで、スケールの大きさ、内容の深さ、豊かで変化に富む表情、華麗さなどの点で比類のない作品となっており、要求される演奏技巧と合奏技術の高さも、このジャンルの中では群を抜いている。オカールも、モーツァルトが協奏曲の創造的な体験の成果を裸のピアノに与えた作品として、この曲を「おそらくモーツァルトの全ソナータ中で最も美しい」と前置きした上、次のように高く評価している。同書
そこにはモーツァルトの全体が最も大規模な協奏曲におけるのと同じくらい示されている。 フィナーレはギャラントリー、主題的様式、バッハの対位法といった三つの音楽言語の驚くべき総合の一例であり、それらすべてが完璧な自在さによって交互にあらわれる。アインシュタインは「このジャンルの王冠をなす」作品と呼んでいる。[オカール] pp.119-120
ついにここで、二人の奏者の単なる交替または一方の他方への従属が、純正な対話に変っている。 そしてこの純正なピアノ楽曲の旋律線の精緻さは四重奏曲的なものをさえ想い起こさせる。 なぜならモーツァルトが考えているのは、音響の量感、重複、増強ではなく、反対に旋律の豊富化であり、コンチェルト的なものと親密なものとの融合だったのである。 四手のソナタは、今はモーツァルトにとって自由な想像力の特別な活動分野となり、そこではコンチェルト的なものと対位法的なもの、ガラントと学問的とが混じりあい、交替するのである。[アインシュタイン] p.370
自筆譜はケンブリッジのフィッツウィリアム博物館蔵。 初版は1787年アルタリア社から。 出版譜には自筆譜と多少異なる部分あるという。 また、第2楽章の主題がホルン協奏曲第4番変ホ長調(K.495)第2楽章のそれとよく似ていることが指摘されている。
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1790年9月モーツァルトは、フランクフルト・アム・マインで行われる皇帝レオポルト2世の戴冠式の機会に演奏会を開催するために、多額の借金をしてウィーンを出発。 演奏会は10月15日金曜日に市立大劇場で午前11時から午後2時までの3時間にわたって催されたが、収益は少なかった。 その後モーツァルトはマインツでも演奏会を開いた。
10月21日から数人の外国の高貴な方々に混じって帝国副宰相フォン・コロレード侯爵、その夫人、子息達が当地に見えた。 昨日宮廷で大宴会が開かれ、外国の高貴な客全員が招待され、夜は音楽会があり、有名な作曲家でありフランツ大公殿下の楽長モーツァルト氏がクラヴィーアの演奏をし、最高の大喝采を博した。このときの演奏会でモーツァルトは165フローリンの収入を得たという。 シュニーダー(Xaver Schnyder von Wartensee, 1786-1868)によれば、この「四手のためのピアノソナタ」をカール・フィリップ・ホフマン(Karl Philipp Hoffmann, 1769-1842)と共演したといわれている。 またモーツァルトは、カール・フィリップの弟でヴァイオリン奏者ハインリヒ・アントン・ホフマン(Heinrich Anton Hoffmann, 1770-1842)とは「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調」(K.526)を共演したことがあるといわれる。[ドイッチュ&アイブル] p.237
なお、フランツィスカ・フォン・ジャカンの肖像画は[野口]で見ることができる。
〔演奏〕
CD [POCG-3407-8] t=29'30 エッシェンバッハ, フランツ (p) 1973年4月、ベルリン |
CD [PHILIPS-422-516-2] t=26'32 ヘブラー, ホフマン (p) 1977年12月、アムステルダム |
CD [WP ノンサッチ 27P2-2807] t=35'16 レヴィン, ビルソン (fp) 1981年6月、コーネル大学 ※ワルター作のレプリカ(ベルト製作)で演奏。 |
CD [ASV CD DCA 799] t=30'12 フランクル, ヴァーシャーリ (p) 1992年頃 ※ピアノはスタインウェイ |
CD [POCL-1410] t=24'30 シフ, マルコム (fp) 1993年2月、ザルツブルク ※ワルター作のフォルテピアノで演奏 |
CD [ALCD-1073] t=27'12 渡辺順生、崎川晶子 (fp) 2004年9月、相模湖交流センター ※ホフマン作のフォルテピアノで演奏 |
〔動画〕
〔編成〕 2 ob, 2 cl, 2 hr, 2 fg, cb ad lib.
CD [MDG 301-0497-2] t=26'42 コンソルティウム・クラシクム 1997年 |
モーツァルトの死後、1793年に「作品32第3番」として出版された。
〔動画〕
〔参考文献〕
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