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四手のためのピアノ・ソナタ ハ長調 K.521
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友人ゴットフリート・ジャカン(当時24才)の妹フランツィスカ(Franziska Jacquin, 1769-1853)のために。 自作目録には上の日付で記載されたが、それは父レオポルトが死去した5月28日の翌日である。
この頃、ちょうどこの種の曲を書くことを約束していたのであろうか。 それとも、父の死が作曲の動機として働いたのであろうか。 オカールは「彼の作品目録のなかに、彼に衝撃をあたえたその死別への直接の反応を表わした作品がないかと捜してみてもむだである」と言っている。 それでもやはり、この曲の成立に何かの意味がありやしないかと考えることは興味深い。 前年1786年11月に、借金返済を目的として書かれたと思われている「四手のためのピアノ曲」(K.501)から半年後に、この曲が作られ、そしてすぐにゴットフリート・ジャカンに送られたことが知られている。 その手紙で親友に自分の父の死を伝え、心情を察してくれと書いている。
君の『アミント』と賛美歌を同封する。 ソナタは妹さんに、ぼくからよろしくと言って渡してくれたまえ。 少しむずかしいから、すぐに取りかかるようにとね。 さようなら。この手紙が書かれた日付は不明である。 したがって「今日帰宅した時」と書かれている「今日」も不明である。 この曲が作られてから父の死亡通知を受け取ったという確証はない。 どちらが先だったのかは謎である。 この手紙が送られたゴットフリートはモーツァルトの最も仲の良い友人であったことはよく知られていて、ソロモンが君の真の友 モーツァルト自筆お知らせするが、今日帰宅した時、最愛の父が死んだという悲しい知らせを受け取った。 ぼくの情況を察してくれるだろう![手紙(下)] pp.126-127
共通して美神に身を捧げ、合理主義の使徒となり、迷蒙を軽蔑し、正義への情熱を抱いていた。 そして彼らはみな遊びが大好きだった。 彼(ゴットフリート)と同様に妹のフランツィスカもモーツァルトのお気に入りで、歌手で、ピアノの弟子であった。 彼ら三人は毎週ジャカン邸に集まっておしゃべりし、ゲームに耽り、音楽をやるグループの核となる存在だった。と書いている通りである。 そんな集まりのときフランツィスカ(当時18才)と連弾して楽しむために、モーツァルトはこの曲を「練習しておくように」と送ったのだろう。 彼が姉ナンネルほどの力量をフランツィスカに見出していたかどうか不明であるが、彼女がすぐに練習に取りかっておいてくれれば自分との演奏が何とかなるとモーツァルトは考えていたと思われる。[ソロモン] p.487
(1787年1月15日、プラハからウィーンのゴットフリート・フォン・ジャカンに)ここでディニミニニミ嬢(Sigra Dini mini niri)というのはゴットフリートの妹フランツィスカにモーツァルトがふざけてつけた名前であり、この手紙で自分も含めて友人たちに遊び半分のあだ名を書いて楽しんでいる。 ちなみにいくつか並べてみると
妹さん(ディニミニニミ嬢)の手に100000回のキスを贈って、新しいピアノフォルテで一生懸命に勉強するように頼んでほしい。 でも、この忠告は要らないかもね。 だって、まさに彼女ほど熱心に専心する弟子を、まだぼくは持ったことがないのを告白しなくてはいけない。[書簡全集 VI] p.341
自分の綽名を≪プンクティティティ≫(Punkitititi)と書いている。 これは彼の小柄で丸っこい体型(punkert)からきたものであろう。 さらに彼はゴットフリート・フォン・ジャカンを≪ヒンキティホンキー≫(Hinkiti Honky)と呼んでいるが、これはモーツァルトが先立って彼のことを「いや、足をひきずる!」(Nein, nachhinken!)と言っているのと関連づけられよう。 おそらくゴットフリートは足がいささか悪く、≪足をひきずっ≫(hinken)ていたのだろう。 このようにモーツァルトのつけた綽名は、それぞれの人物の肉体的特徴などと関係づけられるものであったと思われる。[書簡全集 VI] p.346
しかしその後、同年10月にウィーンのホフマイスターから出版されたとき、この曲は富豪ナートルプ(Franz Wilhelm Natorp, 1729-1802)の姉妹、ナネッテ(Maria Anna Clara Natorp, 1766-91、愛称 Nanette、当時21才)とバベッテ(Maria Barbara Natorp, 1769-1844、愛称 Babette、当時18才)に捧げられている。 この初版楽譜はモーツァルトの遺品の中に含まれていたという。
この「少し難しい4手のためのソナタ」について、アインシュタインは
ナネッテとバベッテは、このすばらしいソナタにおいて全く公平に、同等に扱われている。 モーツァルトが自筆譜で二つのパートを《第一チェンバロ》、《第二チェンバロ》と記しているのは特徴的である。 この作品は二台のピアノで演奏した方が効果をあげると思われるからである。 両パートは親密な競争者である。と述べ、またオカールは[アインシュタイン] p.371
このソナータの最初のアレグロには不安の影もない。 ハ長調が(『後宮からの逃走』の最終主題のように)アクセントのある生きいきとした呼びかけのように鳴り響く。 アンダンテはヘ長調のロマンツェであり、その瞑想的で落ち着いた歌からは、悲しみであれ歓びであれ一切のエートスが取り払われ、いわば孤独の詩というべきものになっている。 突然(ニ短調のピアノ協奏曲におけるように)、ニ短調のインテルメッツォとともに嵐が侵入する。 だが、ここではモーツァルトはデモーニッシュな音楽言語を用いることで、『弦楽五重奏曲ト短調』におけるように何かを要求するといった精神がまったくみられない苦しみを表現する。 だからこそ私たちは、何の断絶感も抱くことなく、すでに最晩年のモーツァルトに実に近い、ロマンツェの冒頭の平静な状態を再び見出すことができるのである。と解説しているように、二人の奏者にこれほどの表現力を求めるソナタはかつてなく、作曲者に今までにはない連弾のための曲を書こうとした動機があったと思われる。 モーツァルトは演奏者の力量に合わせて作曲するのが常だったことを考えると、フランツィスカはかなりの腕前を持っていたかもしれず、このソナタで彼女はピアノの達人と対等に演奏する「難しさ」を求められたのであった。 1年間の1786年8月に「三重奏曲変ホ長調」(通称『ケーゲルシュタット』K.498)を彼女のために書き、クラリネットの名手シュタトラーをまじえて演奏していたことを思い出せば、モーツァルトは彼女がしっかり練習してくれたなら、二人が四手をまじえて演奏することができると考えたのだろう。 その後この曲がナートルプ姉妹に献呈されることになった経緯はわからないが、ジャカン兄弟とナートルプ姉妹との親密な交際があったことから、若くて才能のある彼らの間で、この曲が演奏された情況を想像することは興味深い。[オカール] p.133
余談であるが、ゴットフリートの方は姉ナネッテと一緒になるつもりがあったかもしれず、モーツァルトから年上の友人としての忠告を与えてもらいながらも、気まぐれで移り気な恋心のせいで実らなかった。
(1787年11月4日、プラハからウィーンのゴットフリート・フォン・ジャカンに)ナネッテは未婚のまま25才で夭折した。 他方、妹バベッテはゴットフリートの弟フランツと結婚(1792年)し、ウィーンで有名なピアニストとして知られるようになった。
きみはその年齢や境遇で望みうるものはなんでも持っているんだから、最愛の友よ、楽しんで暮らすのになにひとつ不足はないはずだ! ことに、以前のいささか不安定な生活ぶりからいまや完全に立ち直ったようだしね。 ぼくのちょっとしたお説教の正当さが、日ごとに納得いくんじゃない? 気まぐれで移り気な恋の喜びは、本当の理性的な愛から生まれる至福とは、天地の差があるんじゃない? きみは心のなかで、きっといつもぼくの忠告に感謝してるだろうよ! ぼくも大いに自慢の種にしよう。 なんて、まあ冗談は抜きにして。 きみがN…嬢にふさわしい人間になったとすれば、ちょっとはぼくのおかげだからね。 なぜって、きみの改心というか改善には、ぼくも確かに少なからざる役割を演じたものね。[書簡全集 VI] pp.432-433
〔演奏〕
CD [PHILIPS-422-516-2] t=24'42 ヘブラー Ingrid Haebler (p), ホフマン Ludwig Hoffmann (p) 1977年12月、アムステルダム |
CD [POCG-3407-8] t=24'29 エッシェンバッハ Christoph Eschenbach (p), フランツ Justus Frantz (p) 1972-73年、ベルリン |
CD [ASV CD DCA 792] t=25'32 フランクル Peter Frankl (p), ヴァーシャーリ Tamas Vasary (p) 1992年 |
CD [POCL-1410] t=24'17 シフ Andras Schiff (fp), マルコム George Malcolm (fp) 1993年2月、ザルツブルク |
〔動画〕
〔参考文献〕
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