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劇唱「もういいの、私は全てを聞いた」とロンド「恐れないで、愛する人よ」 K.490Scena "Non più. Tutto ascoltai" and rondo "Non temer, amato bene."〔編成〕 T(S), vn, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 vn, 2 va, vc, bs 〔作曲〕 1786年3月10日 ウィーン |
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曲名について[全作品事典]では「もういいの、すべてを聞いてしまったわ」と「心配しなくてもよいのです、いとしいひとよ」と訳されている。 作詞者不明。 ダポンテともいわれる。 1781年にミュンヘンで初演されたオペラ『イドメネオ』(K.366)が1786年3月13日にウィーンで音楽愛好家の貴族たちによって、アウエルスベルク(Johann Adam von Auersperg, 1721-95)侯爵邸で演じられる際に、モーツァルトは二重唱「私には言えません」(K.489)とこの曲を作曲し、みずから指揮した。
自作品目録には「プリーニ男爵とハッツフェルト伯爵のための挿入歌」(独奏ヴァイオリンを伴う)であることが記載されている。 これは第2幕第10曲アルバーチェのアリアの差替えとなり、またイダマンテ(テノール)が歌うものなので、その前のレチタティーヴォも「アルバーチェとイドメネオ」の対話から「イーリアとイダマンテ」に変わって上演された。 その演奏会で、この曲の特徴であるバイオリン・ソロの華やかな伴奏は親友となったばかりのハッツフェルト伯爵が演奏した。 なお、プリーニ男爵(Pulini)については詳しいことがわからない。
〔演奏〕
CD [DECCA LONDON 417-756-2] t=9'56 キリ・テ・カナワ Kiri Te Kanawa (S), Rainer Kuchl (solo vn), Gyoergy Fischer (cond), Wiener Kammerorchester 1980年12月、ウィーン、Sofiensaal |
CD [Brilliant Classics 93408/5] t=7'17 Nicol Matt (cond), European Chamber Soloists 2006年 |
〔動画〕
August Clemens Ludwig Maria Graf von Hatzfeld1754 - 87 |
ハッツフェルト伯爵はモーツァルトと年齢が近く、また優れたヴァイオリニストでもあったので、1786年に知り合ってすぐ気の置けない交友が始まった。
『イドメネオ』がアウエルスベルク侯爵邸で上演されるとき、シェーナ(劇唱)「もういいの、私は全てを聞いた」のヴァイオリン独奏パートを書いたのは友情の証であった。
その後「ハイドン四重奏曲」を演奏したこともある親しい仲だったが、1787年1月30日にデュッセルドルフで病死。
その早すぎる死を悼んで、モーツァルトは親友のために「ピアノのためのロンド イ短調」(K.511)を作曲したと言われる。
〔参考文献〕
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