17 age |
61 5 |
62 6 |
63 7 |
64 8 |
65 9 |
66 10 |
67 11 |
68 12 |
69 13 |
70 14 |
71 15 |
72 16 |
73 17 |
74 18 |
75 19 |
76 20 |
77 21 |
78 22 |
79 23 |
80 24 |
81 25 |
82 26 |
83 27 ▲ |
84 28 |
85 29 |
86 30 |
87 31 |
88 32 |
89 33 |
90 34 |
91 35 |
92 |
弦楽四重奏曲 第16番 変ホ長調 K.428 (421b)
〔作曲〕1783年6月か7月? ウィーン |
|
モーツァルトがハイドンのために書いた6曲の弦楽四重奏曲セット、すなわち「ハイドン・セット」の第3番。
1785年1月、モーツァルトはハイドン・セットの最後の三つの弦楽四重奏曲を完成する。 この三つの作品は形式の点では最初の三つよりもすぐれている。 最初の三つの作品を特徴づけていた、不安にみちた旋律性の探究が今や包括的な歌になっている(したがってあたうかぎり協奏的ではなくなっている)。 そこでは各楽器の絡み合いと主題的なダイナミズムが四つの弓をもつ唯一の楽器といったような十全な統一のなかに溶けこんでいる。なお、自筆譜とケッヘル初版ではこの曲(K.428)は第4番と記されていた。 それで、新全集は初版にならって、第3番に変ロ長調「狩 K.458」をおき、この曲は第4番としている。 ただし、タイソンによる用紙研究の結果では、ニ短調(K.421)より前の作と言われる。[オカール] pp.101-102
10年前に書かれたセット「ウィーン四重奏曲」や「ミラノ四重奏曲」と比べて優劣をつけようと比較するならともかく、モーツァルトがハイドンに捧げるために心血を注いで書き上げたこれら6曲には、どれが優れているかなどと比較できるものではない。 それぞれが持つ性格の多様性に驚くばかりである。
1785年9月1日、親愛なる友ハイドンに6曲セットのうち、この曲(K.428)はあまりポピュラーではないが、セット中で抜きん出た独自性があるとも言われる。 どこか屈折した抒情性とでも言うべき「つかみどころのない」性格があり、そこでは旋律と言えるようなものはなく、和声の微妙な変化のみで内面を表現している。
自分の子供を広い世間に送り出そうと決心した父親は、それを、幸運にも自分の最上の友人となった高名な方の保護と指導にゆだねるのが当然のことだと考えました。 高名なお方、そして私のもっとも親愛なる友人よ、これが取りも直さず、私の六人の息子です。 これらは、本当に永い辛い努力の結果ですが、私の幾人かの友だちから与えられた希望、これによって私の努力がせめて幾分たりとも報いられたものと考える希望が、私を励まし、私に媚びて、これらの作品がいつかは私にとって慰めになるだろうと思われます。[手紙(下)] p.115
この曲こそ、その独自性という点ではむしろ『ハイドン・セット』の中でも抜ん出たものだと僕は思う。 この曲こそモーツァルトの探究が、求心的に行われていく姿を見事に示しているからである。その「つかみどころのない」愁いの根源を求めて、アラン・クリーグズマンは
たとえばあの冒頭のユニゾンの主題、あの半音階的な鬱屈した曲想は、単に優雅な旋律と呼べるようなものではない。 あるいはニ短調のあの哀しさでもない。 しかし僕等の胸の底に柔らかく、しかもずしんと浸み込む憂愁は、モーツァルト以外の誰にも生み出せなかったものだ。[井上] p.192
出だしに第1ヴァイオリンの長く引き伸ばされた情のこもったメロディがあるにもかかわらず、ゆるやかに揺れ動く三つ組音符(トリプレット)でこのメロディを支える4声部のテクスチュア全体が、じつはこの楽章の「主題」である。 このテクスチュアの感覚性、その絶美で聖歌的な特質、そしてその和声の陰翳は、フランツ・シューベルトの精神を喚起する。と書いているが、そこでチェロが奏でる分散和音が「もの想いに耽った」ような主題となって、微妙な陰翳を紡いでいるというのである。 この「くすんだ色彩」が長調で書かれていることも驚きである。[全作品事典] p.334
冒頭の旋律は長調である。 しかし長調であるにもかかわらず、このニュアンスに富んだ半音階は、とても長調とは思えない陰影に富んだ、むしろ鬱屈した情念を表している。 長調でいてこれほどくすんだ旋律は、モーツァルトでもちょっと他に見当らない。[井上] p.194
アインシュタインはモーツァルトのこの「ハイドン・セット」を常に「偉大な」という形容詞つきで言っているが、初期の作品、すなわち、17歳のときの作品群「ミラノ四重奏曲」に予兆が見られることを指摘し、この第16番変ホ長調(K.428)については第4番ヘ長調(K.158)が先取りしていると言っている。
偉大な弦楽四重奏曲の前触れは、17歳のモーツァルトのこれらの四重奏曲のいたるところにみられるが、春が単に夏の前触れであるばかりでなく、それ自体としてはなはだ魅力的な季節であるように、これらの前触れは単に予兆であるだけでない。
<中略>
ヘ長調四重奏曲(K.158)は第一楽章の展開部のはじめのところで、偉大な変ホ長調四重奏曲(K.428)のメヌエットの第二部のはじめを奇妙な形で先取りしている。[アインシュタイン] p.245
|
1785年1月22日と書かれてあることからわかっているものであり、そして次の手紙から、1月15日土曜日に演奏されたのは6曲のうちの最初の3曲だったことが推測されるのである。 今度はレオポルトがウィーンの息子の家に滞在中のことであったが、やはりがザンクト・ギルゲンの娘に知らせている。
たったいま、おまえの弟から10行ほどの手紙をもらいました。
<中略>
それにこの前の土曜日には、アルターリアに100ドゥカーテンで売った自分の6曲の四重奏曲を、彼の親友ハイドン、それに他の親しい友人たちに聴いてもらうことになっているとも書いてあります。[書簡全集 VI] p.26
1785年2月16日その「土曜日の晩」とは2月12日であり、それはレオポルトがウィーンに到着した直後の出来事だった。 そこで彼は自分の息子が大成功している姿を実際に見て感激するのである。 彼はプロのヴァイオリン奏者であり、短い滞在中にもかかわらず息子の四重奏曲を弾きこなせるようになったのは想像に難くない。 4月2日の娘宛の手紙には「私たちは四重奏曲をいくつか演奏しなければならない」と書いている。
土曜日の晩には、ヨーゼフ・ハイドンさんと、それに二人のティンティ男爵が私たちのところを訪ねてこられ、新作の四重奏曲が演奏されました。 でも、すでにある他の3曲につけ加えた新しい3曲だけが演奏されたのです。 これらの曲はたしかにちょっとばかり軽いものだが、構成は素晴らしいものです。同書 p.37
〔演奏〕
CD [WPCC-4120/1] t=26'45 アマデウス弦楽四重奏団 Amadeus String Quartet 1950年頃、ロンドン |
CD [DENON 28CO-2151] t=25'20 ベルリン弦楽四重奏団 1971年 |
CD [TELDEC 20P2-2795] t=25'15 アルバン・ベルク四重奏団 Alban Berg Quartett 1978年6月、ウィーン |
CD [TELDEC 72P2-2803/6] t=25'15 ※上と同じ |
CD [POCL-4254] t=26'37 ウィーン・ムジークフェライン四重奏団 Musikverein Quartet, Vienna 1979年2月、ウィーン |
CD [PILZ CD-160-226] t=25'17 ザルツブルク・モーツァルテウム四重奏団 演奏年不明 |
CD [MDG 301 0499-2] t=24'55 Consortium Classicum, 1998年 ※Johann Simon Hermstedt (1778-1846) 編曲 九重奏曲変ヘ長調 (fl, 2 ob, 2 cl, 2 hr, 2 fg, cb) |
〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=Bl7i8J9KjDM] (1-2) t=15'00 [http://www.youtube.com/watch?v=Ro0L6lddOCE] (3-4) t=14'54 Hagen Quartett Grosser Sall, Mozarteum |
[http://www.youtube.com/watch?v=xuy4KyQXOIA] (1) t=7'21 [http://www.youtube.com/watch?v=t0vziOxA2Nk] (2) t=6'17 [http://www.youtube.com/watch?v=ibHO9O9ALt0] (3) t=6'21 [http://www.youtube.com/watch?v=mioBhZMRsZI] (4) t=5'34 Mozarteum Quartet Salzburg : Karlheinz Franke (vn), Vladislav Markovic (vn), Philippe Dussol (va), Heinrich Amminger (vc) |
〔参考文献〕
Home | K.1- | K.100- | K.200- | K.300- | K.400- | K.500- | K.600- | App.K | Catalog |