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ディヴェルティメント ニ長調 K.136 (125a)
〔作曲〕 1772年1〜3月 ザルツブルク |
これは1772年の初めにザルツブルクで書かれたと推定される3曲のディヴェルティメント(K.136, K.137, K.138)の第1番で、同じ自筆譜には別人の手で「ディヴェルティメント」と書かれてあるという。 3曲とも3楽章構成という共通する特徴がある。
この名称はモーツァルト自身によるものではありえない。 なぜなら、ディヴェルティメントには二つのメヌエットが必要なのに、この三つの作品にはメヌエットが全然ないからである。モーツァルト父子と親しい音楽仲間で演奏するために作曲したものと思われ、その推測からすると、各パートが一人の弦楽四重奏曲と考えられる。 1771年のイタリア旅行で刺激を受けて、その印象が強く残っているこの時期に一気にそれぞれ性格の異なる3曲を書き上げたのだろう。[アインシュタイン] p.242
イタリアもこのジャンルの本場であり、ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ(1698-1775)やジュゼッペ・タルティーニ(1692- 1770)、そしてルイージ・ケルビーニ(1743-1805)のようなすぐれた音楽家たちが数多くの弦楽四重奏曲、それも三楽章制の作品を作り出していた。 モーツァルトはこうしたイタリア的なモデルによって、四重奏曲作家の道を歩みはじめたのだ。[海老沢] p.153
ミラノの一流のオーケストラは、その比類ない弦楽器そのものとともに、モーツァルトのオーケストラの技術に影響を与えた。 それらは、たとえば、弦楽のための3つのディヴェルティメントK136、K137、K138の中に見られるが、その美しい緩徐楽章はクレモナのヴァイオリンの黄金のニスを求めて呼んでいるかのようであり、速い楽章はイタリアの弦楽オーケストラの名人芸の輝きに燃え立っているかのようである。しかし、弦楽四重奏の編成でありながら、バスにコントラバスを加えて五重奏にすることも可能であることと、ヴァイオリンとヴィオラも複数編成にして交響曲風にすることもできる。 旧全集では弦楽四重奏曲(K.136 は第24番、K.137 は第25番、K.138 は第26番)とされていたが、新全集では「オーケストラのためのディヴェルティメント」として扱っている。 ときには「ザルツブルク・シンフォニー」と呼ばれることもある。 アインシュタインは「弦楽四重奏曲」のカテゴリーに置きながら、やはり以下のように戸惑いを隠せないようである。[ランドン] p.105
これらは全く、オーボエとホルンのない弦楽器だけのシンフォニーである。 言いかえれば、これらの四重奏曲は、モーツァルトの最初の四重奏曲(K.80)がむしろ室内楽的傾向を持っていたのと同程度に、シンフォニー的傾向を持っている。ザスローは次のように言っている。
(途中略)
第一のニ長調《四重奏曲》(K.136)には室内楽的なところが全然ない。 第一楽章は主導的なヴァイオリンのためにむしろ技巧的であり、いくぶん二重奏式にコンチェルト的である。 第二楽章は全くイタリア的な意味において優美で、《情愛がこもって》いる。 終楽章はロンドではないが、ごく比重の軽いもので、展開部のはじめは再びやや対位法的に強調されている。 第二曲変ロ長調(K.137)は、《情愛のこもった》楽章がはじめに置かれているとはいえ、これにも同じことが言える。 第二楽章アレグロ・ディ・モルトにいたっては、フレスコ画の絵筆で撫でられたような軽いタッチが目立つ。 急速な終楽章はシンフォニー的にブッフォ風であって、室内楽的に機智があったり才気煥発であったりすることはない。 3つの《ディヴェルティメント》の最後の、ヘ長調のもの(K.138)にだけ二元性が認められる。 第一楽章は純粋にシンフォニー的であるが、第二楽章アンダンテばかりでなく、終楽章の非常に好戦的なプレストもまたずっと微妙に仕上げられている。 それでもいぜんとしてオーケストラによる演奏が可能なのである。 これらは決してオペラ劇場用シンフォニーではなく、演奏会用の、例えばミラノ総督フィルミアン伯爵のサロンなどのためのイタリア式シンフォニーである。[アインシュタイン] pp.242-243
しかしながら歴史的証拠は、モーツァルトがおそらく各パート1人のために作曲されたと考えていたであろうこと、そしておおいにあり得ることとして通常の弦楽四重奏(2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)で演奏されたのではなく、いわゆる「ディヴェルティメント四重奏」(2つのヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス)で演奏されるよう考えていたことを示唆している。[全作品事典] p.325
これらの曲がどのように分類されても、あるいはされなくても、16歳の天才少年の瑞々しい感性がほとばしる楽曲に、聴く者の心が軽やかになり、一点の曇りのないスッキリと晴れ渡った青空を感じることができることには変りない。
〔演奏〕
CD [WPCC-4114] t=10'06 バリリ四重奏団 : Walter Barylli (vn), Otto Strasser (vn), Rudolf Streng (va), Emanuel Brabec (vc) 1955-56年頃、ウィーン |
CD [PHILIPS PHCP-10102] t=12'54 イ・ムジチ合奏団 1972年 |
CD [COCO-84526] t=13'56 ヴァルガ (vn, cond), ティボール・ヴァルガ室内管弦楽団 1976年? |
CD [NAXOS 15FR-013] t=14'54 スロヴァキア交響楽団 1983年 |
CD [Deutsche Schallplatten 25TC-308] t=13'13 ミリング弦楽四重奏団 1986年 |
CD [COCO-78055] t=12'38 ヴェーグ指揮ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ 1986-90年 |
CD [WPCS-6155/6] t=18'30 コープマン指揮 Ton Koopman (cond), アムステルダム・バロック管弦楽団 The Amsterdam Baroque Orchestra 1989年5月 |
CD [SONY SRCR-8738] t=12'52 アンサンブル・ウィーン : パウル・グッゲンベルガー (vn), ギュンター・ザイフェルト (vn), ペーター・ゲッツェル (va), ヨーゼフ・ピツェック (cb) 1991年3月、ウィーン・コンツェルトハウス、モーツァルト・ザール |
CD [NAXOS 8.550543] t=12'23 エーデル四重奏団 1991年 |
CD [PHILIPS PHCP-1806] t=13'56 チェロ・アンサンブル・サイトウ 1996年5月 |
編曲
CD [APOLLON APCZ-2006] (1) t=5'53 セントラル・パーク・キッズ 1990年 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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