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実在しないジュノム嬢という女流ピアニストのために書かれたとされていたピアノ協奏曲第9番変ホ長調(K.271)について、その謎が解かれたのはつい最近であるが、モーツァルトの最初の4つのピアノ協奏曲についても同様の歴史があった。
すなわち、これらは長い間モーツァルトの真作と言い伝えられてきたのであった。
その安易な伝承が、1910年代にフランスのモーツァルト研究家ヴィゼヴァ(Théodore de Wyzewa)とサン・フォア(George de Saint-Fois)によって覆され、1767年当時パリで活躍していたドイツ系の作曲家のクラヴィーアのためのソナタ作品などを協奏曲に編曲したものであることが明らかにされた。
モーツァルト一家が3年半にも及ぶ西方への大旅行から帰郷し、そこで得たさまざまなものを教材にして父レオポルトの計画的な指導のもと、11才の少年モーツァルトがオーケストラ作品の作曲技法を学んだものであったのである。
しかしこれらの曲は、鍵盤のための曲をオーケストラとの協奏曲に移し変えた単なる「編曲」に過ぎないという種類のものではなく、モーツァルトによって発明され、開拓されてゆくピアノ協奏曲という新しいジャンルを切り開くことになる最初の作品(作曲されたもの)となった。
第1番から第4番まで約4ヶ月の期間があり、その間に、ラテン語喜劇『アポロとヒアキントス』(K.38)の作曲もあったので、編曲を書き進めるのに要した時間は3ヶ月ほどだったかもしれない。
そのほんのわずかな期間に、わずか11歳の少年作曲家の腕前は急速に上達している。
同時にレオポルトは息子への作曲技法の教育の成果として、その年の9月、皇女マリア・ヨゼファ(マリア・テレジア女帝の9番めの皇女)とナポリ・シチリア王フェルディナント1世の婚儀のために催される祭典をめざしてウィーンへ旅立つ計画を持っていたので、そこでこれらのクラヴィーアのための協奏曲は役立つと計算していたであろう。 かつて7歳のときに訪れて神童としてもてはやされたウィーンを再び訪れるにあたり、神童が単なるピアニストにとどまらず、作曲の点でも類い稀であることを強く印象づけるための作品としてピアノ協奏曲は絶大な宣伝効果があると考えたことは想像に難くない。
残されている自筆譜(ベルリン国立図書館所蔵)には父の筆跡が多くあり、原曲の選択や編曲の作業などにどの程度モーツァルト自身の仕事があるのか疑問であるが、逆に、そのため、父による教育指導の状況を窺い知ることができるとも言われる。 また、これら4曲に3つのピアノ協奏曲 K.107 を合わせて、7曲は他人の作を寄せ集めたものという意味で「パスティッチョ(複数 Pasticci)」と呼ばれている。 モーツァルトがピアノ協奏曲という新しいジャンルを開拓し、成功を収めるには、父レオポルトのこうした綿密な準備段階があったのである。 そのためこれらの曲は、モーツァルトの作品としては、その意義や価値が認められず、黙殺されがちである。 しかし、ザスローは次のようにこれらパスティッチョの意義を認めている。
7つのパスティッチョ・コンチェルトにしばしば向けられる軽蔑や無関心は、手仕事よりも独創性に価値を置き、ギャラント様式の繊細さよりも嵐のような効果を重んじ、単純さよりも複雑さを好む、芸術に対するロマン主義的姿勢の名残であろう。 7つの初期協奏曲の権利主張をことさら大げさにする必要はないが、少なくともこのような無益な考えを捨てて、あるがままの作品として受け入れるべきである。余談であるが、この年の9月、ウィーンを訪れたモーツァルト一家を待っていたのは天然痘という病魔だった。 皇女マリア・ヨゼファは間もなく死去、一家は感染を恐れてウィーンを離れたが、そのかいなく姉弟も病魔に襲われ一時は危険な状態に陥った。 もしこのとき少年が亡くなっていたら、モーツァルトのピアノ協奏曲はこれら4曲だけとなっただろう。 しかし彼に与えられた天命は、よく知られているように、もっと高みに至る階段を築くことであり、これから20年以上そのために生きることになる。[全作品事典] p.161
ピアノ協奏曲 第1番 ヘ長調 K.37
〔作曲〕 1767年4月 ザルツブルク |
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第1番となるこの「ヘ長調 K.37」のそれぞれの楽章の原曲は、
〔演奏〕
CD [TELDEC WPCS-10097] t=15'09 エンゲル Karl Engel (p), ハーガー指揮 Leopold Hager (cond), ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 Mozarteum-Orchester Salzburg 1975年 |
CD [ポリドール F32L-20320] t=16'08 アシュケナージ Vladimir Ashkenazy 指揮(p, cond), フィルハーモニア管弦楽団 Philharmonia Orchestra 1987年5月、ロンドン、St.Barnabas Church |
CD [BMG 01612-67095-2] t=15'33 ビルソン Malcolm Bilson (fp), クロフォード指揮 Thomas Crawford (cond), Orchestra of the Old Fairfield Academy 1992年 |
CD [LA FORTE LF-1001] t=17'16 久本祐子 (p), 大澤健一指揮, ハーツ室内合奏団 2002年11月20日, 三鷹市芸術文化センター(ライブ) |
〔動画〕
ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 K.39
〔作曲〕 1767年6月 ザルツブルク |
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それぞれの楽章の原曲は、
〔演奏〕
CD [TELDEC WPCS-10097] t=14'31 エンゲル Karl Engel (p), ハーガー指揮 Leopold Hager (cond), ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 Mozarteum-Orchester Salzburg 1975年 |
CD [ポリドール F32L-20320] t=14'02 アシュケナージ Vladimir Ashkenazy 指揮(p, cond), フィルハーモニア管弦楽団 Philharmonia Orchestra 1987年5月、ロンドン、St.Barnabas Church |
CD [BMG 01612-67095-2] t=14'27 ビルソン Malcolm Bilson (fp), クロフォード指揮 Thomas Crawford (cond), Orchestra of the Old Fairfield Academy 1992年 |
〔動画〕
ピアノ協奏曲 第3番 ニ長調 K.40
〔作曲〕 1767年7月 ザルツブルク |
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楽器編成にトランペット2本が加わる。 これは第1楽章の決然とした曲想に合わせるためにといわれる。 第1楽章には彼自身のカデンツァ K.626aII, C (K.624) が含まれている。 それぞれの楽章の原曲は、
〔演奏〕
CD[TELDEC WPCS-10099] t=12'13 エンゲル Karl Engel (p), ハーガー指揮 Leopold Hager (cond), ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 Mozarteum-Orchester Salzburg 1978年 |
CD [ポリドール F32L-20320] t=14'21 アシュケナージ Vladimir Ashkenazy 指揮(p, cond), フィルハーモニア管弦楽団 Philharmonia Orchestra 1987年5月、ロンドン、St.Barnabas Church |
CD [BMG 01612-67095-2] t=13'46 ビルソン Malcolm Bilson (fp), クロフォード指揮 Thomas Crawford (cond), Orchestra of the Old Fairfield Academy 1992年 |
〔動画〕
ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 K.41
〔作曲〕 1767年7月 ザルツブルク |
一連の編曲でさらに腕に磨きがかかり、オーケストラを扱う作曲の学習が父の求める段階にまでほぼ達したものと思われる。 連作の最後に、初めて短調楽章が現れている。 楽器編成では、オーボエの代わりにフルートを用いている。 ザルツブルク時代の協奏曲としては極めて珍しいことであるが、その楽器の持つ柔らかな性格を見抜いたうえで、効果的に使おうとする意図が感じられる。 それぞれの楽章の原曲は、
〔演奏〕
CD[TELDEC WPCS-10099] t=13'19 エンゲル Karl Engel (p), ハーガー指揮 Leopold Hager (cond), ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 Mozarteum-Orchester Salzburg 1978年 ※第1・第3楽章カデンツァはエンゲル |
CD [ポリドール F32L-20320] t=12'59 アシュケナージ Vladimir Ashkenazy 指揮(p, cond), フィルハーモニア管弦楽団 Philharmonia Orchestra 1987年5月、ロンドン、St.Barnabas Church |
CD [BMG 01612-67095-2] t=11'32 ビルソン Malcolm Bilson (fp), クロフォード指揮 Thomas Crawford (cond), Orchestra of the Old Fairfield Academy 1992年 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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