17 age |
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3つのピアノ協奏曲 K.107
〔作曲〕 1770年末か以降 ザルツブルク |
クリスチャン・バッハ(Johann Christian Bach, 1735 -82)のクラヴィア・ソナタ「作品5」(出版は1768年)から編曲。 その時期をアインシュタインは「1765年の夏または秋」(ロンドンまたはオランダのハーグ滞在中)とし、ケッヒェル第3版で K.21b と位置づけたが、その後の自筆譜研究から、1770年から1772年までの間となっている。 ケッヒェル番号も最初の K.107 に戻っている。
神童モーツァルトは父レオポルトにつれられて、ヨーロッパ各地を演奏旅行するときに必要なピアノ曲をたくさん用意していなければならなかった。 そのための方法として、当時の先輩作曲家たちの作品を編曲しつつ、作曲技法を学びとることは重要であった。 中でも、クリスチャン・バッハが少年モーツァルトに与えた刺激は非常に大きい。
モーツァルトはヨーハン・クリスティアーンの旋律法によってコンチェルト形式の練習をする。 彼のやり方はひどく初歩的である。 音楽素材を二つのパートナーに分配し、トゥッティと独奏部を交替させることによって、全3曲の9つの楽章の規模を、縮めたり拡大したりしている。 トゥッティは簡単に二部のヴァイオリンと低音部から成っている。こうして作られたのが、この「アマデオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルト氏によりコンチェルトに編曲されたる、ジョヴァンニ・バック氏の3つのソナタ Tre Sonate del Sgr. Giovanni Bach ridotte in Concerti dal Sgr. Amadeo Worfgango Mozart」という習作であるが、あまり評価は高くない。 久元は「ヨハン・クリスティアン・バッハの原曲が持っているエレガントな雰囲気がかなり失われているような気さえする」と言っている。[アインシュタイン] p.395
最初の4つのピアノ協奏曲(ヘ長調 K.37、変ロ長調 K.39、ニ長調 K.40、ト長調 K.41)も多くの先輩作曲家たちの作品を編曲することから生まれたことはよく知られている。 モーツァルトのオリジナルのピアノ協奏曲としては1773年の「第5番 ニ長調 K.175」が第1番となる。 当時のヨーロッパにおいて、ピアノ協奏曲のジャンルはようやくその様式が確立したばかりで、これが代表作だというものはなかった。 その中で、弱冠17歳のモーツァルトによる「第5番 ニ長調 K.175」は傑作であり、ここからピアノ協奏曲というジャンルの本当の歴史が始まると言ってよいほどである。 この作品 K.107 はその直前に位置するが、その技法は最初の4つのピアノ協奏曲よりも一見単純であるという。 「より遠くへ飛ぶために、後ずさりする」という諺があるが、しかし、やはり最初の習作よりはよくできているという。 そして編曲の目的は、1771年のイタリア旅行での演奏のためと考えられている。
〔演奏〕
CD [キング KKCC-146]
第1曲 t=13'49, 第2曲 t=8'42, 第3曲 t=8'45 ロンドン・バロック LONDON BAROQUE / モッテンセン Lars-Ulrik Mortensen (hc), ザイフェルト Ingrid Seifert (vn), グウィルト Richard Gwilt (vn), メドラム Charles Medlam (vc) 1990年10月 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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