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ラテン語劇 「アポロとヒアチントゥス」 K.38Apollo et Hyacinthus序曲と9曲 〔編成〕 2 S, 2 A, T, 2 vn, 2 va, vc, bs 〔作曲〕 1767年4〜5月 ザルツブルク |
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モーツァルトの最初のオペラで、5人の歌手により演じられるザルツブルク大学(ギムナジウム)の学校劇。 Hyacinthusの表記には、古代ギリシア語のローマ字表記 Hyakinthos により「ヒアキントゥス」または「ヒュアキントス」のように書くこともあるが、ここでは[事典]と[全作品事典]に従って「ヒアチントゥス」とした。
かつてレオポルトも学んだことのあるザルツブルク大学では、また附設のギムナジウムでも、学年末に学生たちによる演劇が上演されるのが慣例となっていた。 モーツァルトはすべて父レオポルトから教育を受けていたので、一度も学校に通ったことはなかったが、この行事に参加したことがあった。 それは1761年、5歳のとき、9月1日と3日に上演されたラテン語の学校劇『ハンガリー王ジギスムント Sigismundus Hungariae Rex』にエキストラのひとりとして出演したものであった。
作曲家このあとモーツァルト一家は旅行でザルツブルク不在が長く続くことになるが、1766年11月29日に大旅行から帰郷し、1767年9月11日にウィーンへ向けてまた旅行に出るまでの間に、今度は終了式で演じられる学校劇の作曲を依頼されたのである。 西方への大旅行で一躍ヨーロッパ全域で超有名人となった少年に作曲を任せることに反対する者は誰もいなかっただろう。 文筆家で修道士のヴィードゥル(Rufinus Widl, 1731-98)が担任する文章論クラスの終了のため、みずからの詞になるラテン語の語り劇『クロイソスの慈悲 Clementia Croesi』が上演されるにあたり、その幕間音楽劇が11歳の少年モーツァルトに依頼されることになった。 この幕間劇のテキストもラテン語で書かれ、同じくヴィードゥルによる詞であろう。 ただし、自筆譜(ベルリン国立図書館所蔵)にはタイトル・ページはなく、
高貴にして名誉あるヨハン・エルンスト・エーバリン、ザルツブルク宮廷内膳正にしてカペルマイスター
演奏家・・・(5名)
役者・・・(8名)
踊り手・・・(の中に)ヴォルフガング・モツハルト[ドイッチュ&アイブル] pp.17-18
序曲(イントラーダ)の冒頭に「ヴォルフガング・モーツァルト作、1767年5月13日上演」と書かれている。 タイトルが最初に書かれたのは、父親レオポルトによって作製された『息子ヴォルフガングの全作品目録』(1768年)である。 この目録には「ラテン語喜劇への音楽。 ザルツブルク大学のために。 歌手5名。 原譜は162ページ」と書かれた項目がある。 その余白に、のちに≪アポロとヒュアキントス≫というタイトルが追加されているのがそれである。 これはモーツァルトの死後、1799年に、姉のナンネルがこの『作品目録』をライプツイヒの出版社ブライトコップフ・ウント・ヘルテルに送付した時に、欄外につけ加えたものであった。作曲者モーツァルトにも、また聴衆にもこの幕間音楽劇のタイトルは必要のないものだったのだろう。 5月13日に大学講堂でこの音楽劇が学生達により上演されたが、当日の学校の記録には次のような報告があるといい、ここにも『アポロとヒアチントゥス』というタイトルは使われていない。[海老沢]
昼食後、文章論クラスの劇が、われわれの契約どおり上演された。 台本は彼らのすぐれた教師により、きわめて活発な楽しみを与えてくれた。 さらに、11歳の少年ヴォルフガング・モーツァルト氏の音楽は広く賞賛された。 夜には彼はわれわれに、みずからの音楽の才能のすぐれた証をクラヴィーアで示してくれた。5幕から成るメインの語り劇『クロイソスの慈悲』の内容は「リュディアの王クロイソスの仁慈寛容の物語」であり、当時流行のものだったという。[全作品事典] p.62
ヴィードゥルがこの『クロイソスの慈悲』の主題にふさわしい幕間劇の題材を古代の歴史でなくギリシャ神話に求め、そしてアポローンとヒュアキントスの物語を選び取ったことはまちがいない。 クロイソスの息子アテュスは、クロイソスがあたたかく迎え入れたアドラストスによって誤って殺されてしまう。 しかしクロイソスはそのアドラストスを許し、ふたたび迎え入れるのである。 愛する者を殺される、しかも一方は槍で、一方は円盤でという共通点で・・オウィディウスの『変身物語 Metamorphosis』に取り上げられたギリシア神話の中で、ヒアチントスの物語は次のような少年愛として知られている。[海老沢]
音楽の神アポロ(アポロン・男性神)と西風の神ゼフィルス(ゼピュロス・男性神)はともに美青年ヒアチントゥスを愛していたが、ヒアチントゥスはゼフィルスを拒絶し、アポロに関心を寄せていた。 あるときヒアチントゥスがアポロと仲良く円盤投げをしていたところを見たゼフィルスは嫉妬心から意図的に風を操作し、円盤がヒアチントゥスの頭に当たるようにした。 ヒアチントゥスは血を流して倒れたが、アポロの涙がその血に混ざり合い花が咲いた。 その花をヒヤシンスというようになった。しかし幕間劇の登場人物には、オイバルスとその娘メリアという本来の物語にはない2人が追加され、
アポロ神を信仰するラコニア王国へ羊飼いの姿をしたアポロが訪れ、王女メリアと相愛の仲になる。 王女を想っていたゼフィルスは嫉妬から王子ヒアキントスを殺し、罪をアポロにかぶせるが、王子は死の間際にオイバルス王に犯人を告げる。 王と王女の祈りを聞いて戻って来たアポロは王子をヒアシンスの花に生まれ変わらせる。 そしてアポロは二人の願いを受け入れ、王国にとどまり、メリアと結婚する。ヴィードゥルはどこからこのような筋書きを手に入れたのかわかっていない。 とにかく、オイバルス役を努めた道徳学および法律学聴講生マティアス・シュタードラーだけが成人の23歳で、あとは12歳から18歳までの少年たちであり、メインの劇『クロイソスの慈悲』の内容、すなわち国王の仁愛と寛容のテーマに沿うように作りかえられたのだった。
あからさまにホモセクシャルな物語は、ザルツブルク大学の学生たちが上演するために、変更が施された。 K.38の台本においては、ヒアチントスとゼフィルスは友人どうしであり、ゼフィルスとアポロはいずれもヒアチントスの姉メリアを愛する。 この対立関係が、筋の展開の基本となる。モーツァルトは、前作のオラトリオ『第一戒律の責務』(K.35)上演(3月12日)の後、すぐこの大作(総譜は162ページ)に取り組んだと思われる。 当然のことながら、作曲法もラテン語の知識も父レオポルトの入念な指導のもとで行なわれたであろう。[全作品事典] p.63
このラテン語劇の創作にあたって、モーツァルトがどのくらいラテン語に通じていたか、という問題も云々されている。 ヤーン以後、この点について、ネガティヴな評価が多いが、この時期のモーツァルトの創作活動がレオポルトの指導の下におこなわれている以上、父親からの語学上の教示が前提となっているというべきであり、逆にあまり問題にしなくてもよいものといえよう。それにしてもこの大作を11歳の少年がひと月あまりで書き上げたことは、やはり驚くべきことと言わざるをえない。 その後、劇の上演に向けて約半月間、学生たちの練習・稽古が続けられた。[海老沢]
公演のための準備が遅くとも1767年4月29日に始められたことがわかっている。 5月1日には大学教会でミサが執り行なわれた。 大講堂の演壇は大掛かりな舞台装置のため用いられなかったのである。 舞台稽古は5月10、11、12日に行なわれた。そして13日に上演され、大成功だったというが、そのときの曲順は以下のように、モーツァルトの音楽劇は3つの部分に分けられ、『クロイソスの慈悲』の幕間に上演された。 (歌詞の訳は CD[UCCP-4061/70]の海老沢敏訳から)[全作品事典] p.62
この劇は一度限りのものであり、その後二度と上演されることはなかった。 近年、モーツァルトの幕間劇だけは『アポロとヒアチントゥス』というタイトルのもと上演され、その映像を見ることもできるようになった。 250年ほど昔の1767年5月13日のときの初演を想像しながら、モーツァルトが書いた序曲(イントラーダ)を聞くと、緊張しながら出番を待つ学生たちの姿が目に浮かぶようである。
余談であるが、ヴィードルは1763年からザルツブルク・ギムナジウムに勤め、1768年から1770年まで論理学教授の職にあった。 その間、少年モーツァルトは彼のためにフィナールムジーク(終了音楽)を書いている。 ヴィードルはその後ゼーオン修道院長となり、さらに近郊のオービングの主任司祭として没したという。
〔演奏〕
LD [プラッツ PLLC-5011] t=90分 モンテス・バケール演出 ロスドイッチャー(ヒュアキントス, S) ホーヘンライトナー(アポロ, A) 他 テルツ少年合唱団、シュミット・ガーデン指揮、カペラ・クレメンティーナ 1984年 |
CD [UCCP-4061/70] t=82'33 マティス(ヒュアキントス, S), ヴルコップフ(アポロ, A) 他 ザルツブルク室内合唱団、ハーガー指揮 1981年1月、ザルツブルク |
〔動画〕
Allegro ニ長調、4分の3拍子。 簡単なソナタ形式。
〔演奏〕
CD [ポリドール FOOL-20360] t=2'45 ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団 演奏年不明 |
〔参考文献〕
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