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歌曲 「夕べの想い」 K.523
〔作曲〕 1787年6月24日 ウィーン |
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父レオポルトの死(5月28日)の後、よく知られているように、モーツァルトは不思議な曲を書いている。 それは6月14日に作られ、非常に珍しいことに作曲者自身による表題がつけられた『音楽の冗談』(ヘ長調 K.522)である。 その後に位置するのが、この歌曲である。 同じ日、もう一つ歌曲『クローエに』(変ホ長調 K.524)を書いて、そして吹っ切れたように、8月10日の『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』(ト長調 K.525)へと続く。 モーツァルトにとって、ト長調は鳥の飛翔のイメージがあるともいわれている。 ここまでに至るモーツァルトの心情の変化について多くの人がその痕跡を彼の作品や手紙の中から見つけ出そうと試みているが、それは、レオポルトの死ほど大きな衝撃は彼の生涯においてほかになく、巨大な津波が押し寄せたあとに残された深い傷跡がどれほどのものであったかを実際に目にしたいと考えてのことであり、当然のことであろう。 しかし、オカールは言っている。
彼の作品目録のなかに、彼に衝撃をあたえたその死別への直接の反応を表わした作品がないかと捜してもむだである。また、アインシュタインもこの曲に込められた作曲者の深い心情を察している。
けれども、6月24日には、死についてのモーツァルトの最も深い瞑想の一つである小品を書いている。 それがリート『夕べの想い』である。 これは、「モーツァルトのリート中の真珠、ダイヤモンド、はかり知れない至宝」(ウリビシェフ)である。 H.アーベルトもいっている、「このリートが聴く者の心に実に強く訴えるというのも、フリーメイスンへの接近のゆえに、当時のモーツァルトにつきまとっていた死の想念に触れるところがあるからだ。 これが不思議なほどザラストロの世界と一致するのは、いささかも偶然ではないのである」[オカール] p.134
『夕べの気持』は感情と表現の深さを持ち、カンタービレの完全さをそなえているために、これはいったい劇唱(シェーナ)なのかリートなのか、イタリア的なのかドイツ的なのかという疑問を忘れさせるような、繊細で抒情的な真情吐露である。作曲された時期、そして歌詞を読むとき、やはり父レオポルトの死とこの曲を結びつけることは自然であり、むしろその関連を完全に否定することの方に無理があろう。[アインシュタイン] p.515
夕べがやってきて、人は思いを人生に馳せ、ひとの命の終りに馳せ、そしておのれの墓に馳せる。 墓に注がれるのは友の涙なのだ。 墓に捧げられるひとしずくの涙こそ、この上なく美わしい真珠の飾りとなる。 この曲は分散和音のたゆたう伴奏の上に、こうした人生の、死の想いをくりひろげていく。 この時、モーツァルトは、前の月5月の末に世を去った父親レーオポルトを思い浮かべていたのだろうか、それとも1月末にデュッセルドルフで逝った心の友アウグスト・クレメンス・フォン・ハッツフェルト伯爵を偲んでいたのであろうか。この曲は2年前の『すみれ K.476』と同じく通作形式の歌曲。 別名『ラウラに寄せる夕べの想い』(英 Thoughts at Eventide to Laura)ともいう。 それは、カンペ(Joachim Heinrich Campe, 1746-1818)の詩「ラウラに寄せる夕べの想い Abendempfindung an Laura」に曲をつけたからである。 ただし、モーツァルトは「ラウラに寄せる」の部分を省略した。 カンペは啓蒙主義の熱心な教育者で、児童文学、特に『ロビンソン・クルーソ』の改作で知られていた。[海老沢] p.99
余談であるが、この歌曲を書く20日前の6月4日、飼っていたむく鳥シュタールが死んだときモーツァルトは庭に埋め、20行ほどの墓碑銘を書いたが、そこにこの歌曲の第5節「あなたもまた、ひとしずくの涙を私に贈り・・・」を使っていた。
〔歌詞〕
Abend ist's, die Sonne ist verschwunden und der Mond strahlt Silberglanz so entflieh'n des Lebens schönste Stunden fliehn vorüber wie im Tanz. |
はや一日が暮れ、太陽は沈んで 月が銀色の光を投げかけています。 人生の最良の時もこんな風に過ぎ去ってゆくのです、 ダンスに夢中になっていた間に、とでもいった風に。 |
Bald entflieht des Lebens bunte Szene und der Vorhang rollt herab aus ist unser Spiell des Freundes Träne fließet schon auf unser Grab. |
人生の様々な場面はまもなく消え失せ 舞台には幕が降ろされます。 私たちの芝居もこれでおしまい! そして友人達の涙が はや、私たちの墓に降りそそぐという寸法です。 |
Bald vielleicht (mir weht, wie Westwind leise, eine stille Ahnung zu) schließ'ich dieses Lebens Pilgerreise, fliege in das Land der Ruh'. |
たぶんもうすぐ(ほのかな西風のように ひそやかな予感が私に吹き寄せてくるのですが) 私はこの世の巡礼の旅を終って いこいの国にとび去るでしょう。 |
Werd'ihr dann meinem Grabe weinen trauernd meine Asche sehn dann, o Freunde, will ich euch erscheinen und will Himmel auf euch weh'n. |
その時、あなた方が私の墓の前で泣き 悲しみに暮れて私の灰を見つめるなら 私はあなた方の前に姿をあらわし 風に舞い立ってあなた方に吹きつけましょう。 |
Schenk'auch du ein Tränchen mir und pflücke mir ein Veilchen auf mein Grab und mit deinem seelenvollen Blicke sieh'dann sanft auf mich herab. |
あなたもまた、ひとしずくの涙を私に贈り 一本のすみれを摘んで私の墓に手向け あなたの心のこもったまなざしで やさしく私を見おろしてください。 |
Weih'mir eine Träne, und ach! schäme dich nur nicht, siemir zu weihn o, sie wird in meinem Diademe dann die schönste Perle sein. |
私にひとしずくの涙をささげて、ああ その捧げものを恥ずかしがらないで! その涙こそは、私の冠の中の いちばん美しい真珠になることでしょう! |
西野茂雄訳 CD[BVCO-37429] |
この曲は同じ日に作曲した歌曲『クローエに』(K.524)と一緒にウィーンのアルタリアから1789年に出版された。
〔演奏〕
CD [EMI TOCE-7589] t=5'04 シュワルツコップ (S), ギーゼキング (p) 1955 |
CD [EMI 7-63702-2] t=5'04 ※上と同じ |
CD [UCCG 4118] t=4'31 シュトライヒ (S), エリック・ヴェルバ (p) 1956年5月、ベルリン |
CD [EMI Angel CC30-9018] t=4'54 アメリンク (S), デムス (p) 1969年12月、ベルリン |
CD [DENON 28CO-1864] t=5'24 シュライアー (T), デムス (p) 1975年 |
CD [PHILIPS 422 524-2] t=4'54 アメリンク (S), ボールドウィン (p) 1977年8月 |
CD [PHILIPS UCCP-4085/7] t=4'55 ※上と同じ |
CD [COCO-78062] t=5'11 白井光子 (Ms), ヘル (p) 1985-86 |
CD [WPCC-4279] t=4'46 シュリック (Ms), マトー (fp) 1990年5月、ユトレヒト |
CD [WPCC-4666] t=5'30 ボニー (S), パーソンズ (p) 1990年8月、ベルリン |
CD [BVCO-37429] t=4'42 ジャーノット (Br), シュマルツ (p) 2005年12月、ドイツ、ヴェルトゼー |
〔動画〕
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