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歌曲 「すみれ」 K.476
〔作曲〕 1785年6月8日 ウィーン |
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ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)の詞。 ジングシュピール「エルヴィーンとエルミーレ」のなかの一節であるが、この詞をモーツァルトがどのように手にしたのかは不明。 ゲーテといえばドイツを代表する大詩人であり、その人物とモーツァルトとの唯一の接点となるこの歌曲の誕生に興味は尽きないが、アインシュタインはモーツァルトがこの歌詞と出会ったのは偶然だったと言っている。
なぜなら彼がこのテクストを見いだしたのは、1778年刊のシュテファンの『ドイツ・リート集』(Sammlung deutscher Lieder)のなかであり、そこではテクストがゲーテの名の代りにグライムの名で発表されていたからである。つまりモーツァルトはゲーテという大作家を意識していたわけではなく、創作意欲を起こさせる歌詞をたまたま目にしたというわけである。 そのリート集から見出したのかどうかは推測の域を出ないが、ただし自筆譜には「ゲーテの詩による」と書かれてあるというから、作詞者が誰であるかについては知っていたことになる。 当時ゲーテのこの詩は単独でよく知られていて、多くの作曲家が曲をつけていたというので、何かの機会にモーツァルトも作曲しようということになったのだろう。 しかし、その作曲の動機は不明である。 自作目録には歌曲が並んでいるので、それらと同じ目的で作曲され、たぶん仲間うちで演奏して楽しんでいたと思われている。 すなわち「交友曲 Freundstück」の一つであろう。[アインシュタイン] pp.515-516
ゲーテの詩は次のように、7行で一つの節となり、「第1節は野の情景を歌い、羊飼いの娘がやってくる様を歌い、つづく第2節は乙女に対するすみれの気持ちをあらわし、そして第3節は、その気持ちが踏みにじられてしまう悲しい結末を語っている」物語になっている。
訳は西野茂雄 CD[BVCO-37429] から。
Ein Veilchen auf der Wiese stand gebückt in sich und unbekannt; es war ein herzig's Veilchen. Da kam ein'junge Schäferin mit leichtem Schritt und munterm Sinn daher, daher, die Wiese her, und sang. |
一本のすみれが牧場に咲いていた ひっそりとうずくまり、人に知られずに。 それは本当にかわいいすみれだった! そこへ若い羊飼いの少女がやって来た 軽やかな足どりで、晴れやかな心で こっちの方へ近づいてくる 牧場の中を、歌をうたいながら。 |
Ach denkt das Veilchen, wär'ich nur die schönste Blume der Natur, ach, nur ein kleines Weilchen, bis mich das Liebchen abgepflückt und an dem Busen matt gedrückt! ach nue, ach nur, ein Viertelstündchen lang! |
ああ、とすみれは思った、もしも自分が この世で一番きれいな花だったら、と ああ、ほんのちょっとの間だけでも あの少女に摘みとられて、 胸におしあてられて、やがてしぼむ ああ、ほんの 十五分間だけでも |
Ach, aber ach! das Mädchen kam und nicht in Acht das Veilchen nahm, ertrat das arme Veilchen. Es sank und starb und freut' sich noch; und sterb'ich denn, so sterb'ich doch durch sie, durch sie, zu ihren Füßen doch! |
ああ、それなのに!少女はやってきたが、 そのすみれには眼もくれないで、 あわれなすみれを踏みつけてしまった! すみれはつぶれ、息絶えたが、それでも嬉しがっていた ともあれ、自分はあのひとのせいで あのひとに踏まれて 死ぬんだから、と! |
この詩をゲーテは、1773年か翌74年はじめに書き、それを1775年に発表した歌謡つき芝居『エルヴィーンとエルミーレ』の中に含めたほか、独立した詩としても『詩集』(1806年)の中に発表している。その『エルヴィーンとエルミーレ Erwin & Elmire』の最初の場で、この詩は「人知れぬ恋ののぞみを、ひそやかに抱いて歌う」青年の心を歌うものである。[海老沢] p.96
エルミーレを深く愛したエルヴィーンは、謙虚な心からあえてエルミーレのもとを去り、そのさい、一片の詩、すなわち「すみれ」を残していった。 それを読んだエルミーレは、彼の真意に気づいてさすらいの旅に出、やがて幸運から彼と再会し、結ばれたという。 「すみれ」はいわば、一夜のジングシュピールの焦点となる、ドラマの象徴にほかならない。これを単独の歌曲として取り上げたときモーツァルトは最後に次の2行を書き足したのだった。[礒山] p.118
Das arme Veilchen! Es war ein herzig's Veilchen. |
かわいそうなすみれよ! それは本当にかわいいすみれだった。 |
モーツァルトが、この詩を選び、自分で歌詞を付け足してまで作曲したことには何らかの動機があったにちがいないが、謎である。 それはともかく、当時の作曲家たちは有節形式で民謡風に曲をつけていたのに対し、モーツァルトは物語の展開に応じて音楽描写を変えていく通作形式で曲をつけていて、その革新的な作曲によりロマン派リートへの展望を開いた傑作と言われている。
こうしてモーツァルトは、この小曲を、ゲーテのジングシュピール全体に匹敵するような、大きな世界たらしめているのである。同 p.124
現在、この自筆譜はロンドンの大英博物館にあるという。 なお、余談であるが、モーツァルトがゲーテをどう思っていたかはわからないが、ゲーテの方はモーツァルトを高く評価していたことは有名であり、自身の代表作「ファウスト」に曲をつけることができるのはモーツァルトしかいないと言っていたほどである。 二人の実際の唯一の出会いは、1763年(モーツァルト7歳)の6月9日にあった。 モーツァルト一家は西方への大旅行に出発し、その途中、8月18日にフランクフルト・アム・マインで幼い姉弟の演奏会が開かれたとき、聴衆の中に当時14歳のゲーテがいたのであった。 ゲーテは晩年になってもそのときの幼いモーツァルト少年の姿をはっきりと覚えていると語っている。
〔演奏〕
CD [EMI TOCE-7589] t=2'34 シュワルツコップ (S), ギーゼキング (p) 1955年 |
CD [EMI 7-63702-2] t=2'34 ※上と同じ |
CD [UCCG 4118] t=2'42 シュトライヒ (S), ヴェルバ(p) 1956年5月 |
CD [EMI Angel CC30-9018] t=2'33 アメリンク (S), デムス (p) 1969年 |
CD [DENON 28CO-1864] t=2'35 シュライアー (T), デムス (p) 1975年 |
CD [PHILIPS 422 524-2] t=2'34 アメリンク (S), ボールドウィン (p) 1977年 |
CD [PHILIPS UCCP-4085/7] t=2'34 ※上と同じ |
CD [COCO-78062] t=2'34 白井光子 (mS), ヘル (p) 1985-86年 |
CD [WPCC-4666] t=2'43 ボニー (S), パーソンズ (p) 1990年 |
CD [WPCC-4279] t=2'21 シュリック (mS), マトー (fp) 1990年 |
CD [BVCO-37429] t=2'06 ジャーノット (Br), シュマルツ (p) 2005年 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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