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歌曲「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき」 K.520

  • Andante ハ短調 4/4
〔作曲〕 1787年5月26日 ウィーン
1787年5月

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父レオポルトの死の2日前、ジャカン家の一室で大急ぎで作曲したという。

モーツァルトはこの手稿に「1787年5月26日。 ラントシュトラーセ・・・・ゴットフリート・フォン・ジャカン氏の居室において」と記入している。 してみると、モーツァルトはそれをいわば監督されながら作曲し、即座にジャカンに譲渡し、自分では発表もしなかったのである。
[アインシュタイン] p.515
こうして書き上げた曲は20小節の短い歌ながら、一幕の劇に匹敵する傑作であった。 アインシュタインは
それは決してリートではなく、劇的な観照から生じた劇唱(シェーナ)であり、そのなかではハ短調の半音階で嘆く若い貴婦人の傷ついた心情がわれわれの眼に見えるばかりでなく、暖炉のなかで燃えあがる焔すらも見えてくる。 これは自由と完成の小傑作である。
同書 p.515
と高く評価している。 ゴットフリート・ジャカンは気の合う友人の一人であり、モーツァルトは彼にいくつかの歌曲を書いて譲渡していた。
モーツァルトから送られたリート『夢の姿』(K.530)をゴットフリートの名のもとにヴィーンのカッピ社から出版した。 それは決して不誠実な行為ではなかった。 なぜなら、モーツァルトは著作権をジャカンに譲渡していたからである。 そればかりではない。 フィレンツェ音楽研究所図書館の手稿のなかには、ゴットフリート所有の6曲のリートを収めた楽譜帳が見られるが、そのなかで彼は、今度は『知らない女』という題をつけた『夢の姿』だけでなく、モーツァルトの最も美しいリートの一つ、『不実な恋人の手紙を焼いたときのルイーゼ』をも横領している。 しかも彼はそれを、愛人の一人、フォン・アルトモンテ嬢に公然と捧げているのである。
同書 pp.514-515
フォン・アルトモンテ嬢(Katharina von Altomonte)は歌手で、モーツァルトによるヘンデル『メサイア』編曲のウィーン初演(1789年3月)で歌ったという。 また、『知らない女』(原題「夢の姿」 K.530)の方については、ジャカンは別の愛人ナートルプ嬢(Maria Anna Clara Natorp)に捧げた。

女流詩人ガブリエーレ・フォン・バウムベルクの詩。 その中で歌われている不実な恋人とはアントン・ベルンハルト・エバールという実在の人物で、彼女の実際の体験がこの歌のもとになっているといわれる。

〔歌詞〕
Erzeugt von heisser Phantasie
In einer schwärmerischen Stunde
Zur Welt gebrachte, geht zu Grunde.
Ihr Kinder der Melancholie!
熱い幻想から生まれて、
熱に浮かされた時間に、
この世に出てきた憂愁の申し子たちよ、
さあ、滅び去っておしまい!
Ihr danket Flammen euer Sein
Ich geb'euch nun den Flammen wieder
Und all' die schwärmerischen Lieder
Denn ach! er sang nicht mir allein.
炎のお蔭で生まれ出たお前たちだから、
もう一度炎で焼いてあげましょう、
あの熱に浮かされた歌もみんな、
あの人は私だけに歌ってくれたわけじゃないんだもの。
Ihr brennet nun, und bald, ihr Lieben
Ist keine Spur von euch geschrieben
Doch ach! der Mann, der euch geschrieben,
Brennt lange noch vielleicht in mir.
燃えてるわね、いとしいものたち、
もうじきここにはなんの跡も残らない。
でも、ああ! お前たちを書いたあの男は、
たぶんいつまでも私の胸の中で燃え続けることでしょうよ。

西野茂雄訳 CD[EMI Angel CC30-9018]

〔演奏〕
CD [EMI TOCE-7589] t=1'51
シュワルツコップ (S), ギーゼキング (p)
1955年
CD [EMI 7-63702-2] t=1'51
シュワルツコップ (S), ギーゼキング (p)
1955年
CD [EMI Angel CC30-9018] t=1'35
アメリンク (S), デムス (p)
1969年12月、ベルリン
CD [PHILIPS 422 524-2] t=1'28
アメリンク (S), ボールドウィン (p)
1977年8月
CD [PHILIPS UCCP-4085/7] t=4'55
※上と同じ
CD [COCO-78062] t=1'49
白井光子 (Ms), ヘル (p)
1985-86年
CD [WPCC-4279] t=1'50
シュリック (Ms), マトー (fp)
1990年5月、ユトレヒト
CD [WPCC-4666] t=1'47
ボニー (S), パーソンズ (p)
1990年8月、ベルリン

〔動画〕

※以下は前回(2011年8月)更新のときの紹介動画
[http://www.youtube.com/watch?v=sTmWnm8KJG4] t=1'35
Sandra Boysen (S), Doleen Hood (p)
演奏年不明
[http://www.youtube.com/watch?v=2NMVRPceRoE] t=1'38
Marén Elisabeth Kroll (S)
演奏年不明
 

 

Gabriele von Baumberg

1750-1825

ガブリエーレ・フォン・バウムベルクは「ウィーンのサッフォー」とも呼ばれる女流詩人。 1768年3月24日ウィーンに生れ、1839年7月24日リンツで没した。 彼女の生年について、1766年とする文献もある。 1805年、ハンガリーの作家ヤーノス・バツァニー(János Batsányi)と結婚。 ヤーノスはナポレオンの人権宣言をハンガリー語に訳したことで逮捕投獄され、その後リンツに亡命。 妻ガブリエーレも彼とともにリンツに移り住み、その地で亡くなったという。

(左)サッフォー (右)ガブリエーレ・フォン・バウムベルクの肖像画

https://de.wikisource.org/wiki/Gabriele_von_Baumberg
 

〔参考文献〕

 

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2018/03/25
Mozart con grazia