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合唱つき歌曲「親しき友よ、今日こそ」 K.483Song "Zerfließet heut', geliebte Brüder."
〔作曲〕 1785年12月 ウィーン |
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皇帝ヨーゼフ2世は、就任後しばらくの間は、フリーメーソンを自分の先兵として支持し、教会ならびに国家権力に対する彼の徹底した改革の試みを支援してくれる有能な宣伝機関のように考えていた。 だが、まもなく、フリーメーソン内部の分裂、非合理な一派の教義の流布、何人かのメンバーにおける思想や宗教の面での異端の疑い、などが表面に出て、ヨーゼフ2世はフリーメーソンが自分に敵対する団体になりかねないと考えるようになった。そのため、1785年12月11日、みずからもフリーメーソンであったヨーゼフ2世は政令を発し、ウィーンにあった8つのロッジを3つに再編成し、厳しい政府の監視の下におくことにした。[ソロモン] p.503
かくしてモーツァルトのロッジ(「慈悲」)は、「至高の望」と「三つの炎」とに統合されて「新・至高の望」となった。 フォン・ボルンのロッジであった「真の和合」は、「三羽の鷲」と「棕櫚」とに合同して「真理」となり、フォン・ボルンはそこの《尊師》としてとどまった。 このロッジは1786年1月6日に堂々と開設された。 ヨーゼフ2世は敵意をもって行動にでたわけではなかったが、この大移動が結社の破局をまねいたことは確かである。 わずかばかりの間に、ヴィーンのメイスンの公認数は、千人以上から360人にまで減った。この時代の変化のなかで多くの会員が退会し、やがてその中には中心人物的存在のフォン・ボルンやフォン・ゲミンゲンたちも含まれていった。 一時は新しく統合されたロッジ「真理」の尊師としてとどまっていたボルンは幻滅を味わっていたという。 しかしモーツァルトは退会せずに残り、死ぬまで会員であったこともよく知られていることである。[シャイエ] p.75
モーツァルトはフリーメーソンに対するハプスブルク家の方針をためらうことなく支持した、少なくとも表向きの行動では。そして新しく編成されたロッジ「新たな授冠の希望 Zur Neugekrönten Hoffnung」のためにモーツァルトは(テノールと男声合唱とオルガンのための)2曲の歌曲を作ったのであった。 それは[ソロモン] p.506
ただしその日、モーツァルトは体調不良を理由にして式に出席はしなかった。 次のような、ヴェンツェル・パール伯爵に宛てたと思われる手紙があるからである。
いま1時間前に帰宅したところですが、激しい頭痛と胃痙攣に悩まされています。 快方に向かうことをずっと期待しているのですが、残念なことに逆に痛みはつのるばかりなので、きょうの最初の儀式にはどうしても参加できないようです。 そこでお願いがあるのですが、親愛なる盟友よ、その場で、私に代わり貴兄からよろしくお詫びをしていただきたいのです。この2曲は、どちらもシットラースベルク(Augustin Veit Edler von Schittlersberg, 1751-1811)の詞による。 また、ともに自作目録に載っていない。 コットによれば、この新たなロッジは急速に重要な地位に昇り、ヴェルサイユにあったフランスのロッジ「大東社」と交流するに至ったという。[書簡全集 VI] p.229
余談であるが、ヴォルテールを賞賛していた啓蒙主義者のヨーゼフ2世は1790年に、フォン・ボルンはその翌年1791年に没した。 ヨーゼフ2世の後継はさらに進歩的な啓蒙君主となるレオポルト2世であった。
たとえそれまでヨーゼフ2世のおかげで比較的平穏に過ごして来られたとしても、レーオポルト2世の態度がこれからどのようなものになるか誰にも確かなことはわからなかった。 差しあたって彼は何もしなかったが、まさにこの空白の時期にモーツァルトとシカネーダーは当てずっぽうの危険を冒した。 つまり寓意的オペラ『魔笛』によってフリーメイスン結社を救おうとしたのだった。ザラストロのモデルとなった人物とは、フォン・ボルンであるといわれる。 興味深いことである。[ランドン] p.93
〔歌詞〕
Zerfliesset heut' geliebte Brüder, in Wonn' und Jubellieder Josephs Wohltätigkeit hat uns in deren Brust ein dreifach Feuer brennt, hat unsre Hoffnung neu gekrönt. |
今日こそ浸ろう、親愛なる兄弟よ、 至福と、歓喜の歌とに、 ヨーゼフの慈愛は、 三重の焔を、ぼくらのために、 その胸の中に燃やし、 ぼくらの希望に新しい冠を授けた。 石井宏訳 CD[KING 250E 1217]
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〔演奏〕
CD [KING 250E 1217] t=2'15 クレン (T), エディンバラ音楽祭合唱団, フィッシャー (og) 1968年、ロンドン |
CD [UCCP-4061/70] t=2'06 シュライアー (T), ライプツィヒ放送男声合唱団, アルパーマン (og) 1988ー89年、ドレスデン |
〔動画〕
〔参考文献〕
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