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聖母マリア祭の昇階誦「天主の御母なる聖マリア」 K.273〔編成〕 SATB, 2 vn, va, bs, og〔作曲〕 1777年9月9日 ザルツブルク |
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ケッヘル第6版では「昇階誦 Graduale」となっているが、自筆譜には歌詞の冒頭の「サンクタ・マリア」とだけしか書かれていないので、新全集ではそれに従って「天主の御母なる聖マリア Sancta Maria Mater Dei」と表記された。
ヘ長調、ソナタ形式風の 73小節の小品だが、簡潔にして深い美しさを秘めている。 管楽器を除き、ソロも省いて、簡潔ながらも魅力的な合唱で歌いあげる。 ミサ曲 K.275 (272b) と奉献歌 K.277 (272a)と同様にマンハイム・パリへの大旅行を前にした個人的な祈願のために作曲されたと推測されている。
パウムガルトナーは、「聖母マリアの誕生」の祝日「9月8日」の翌日に、モーツァルトが大旅行を前にして行なった個人的な祈願だと考えており、ほかの錚々たるモーツァルト研究家も、それに同意している。 弦楽器にヴィオラが含まれることから、明らかにこの曲はザルツブルクの司教座聖堂のためではない。 聖母マリアのための種々の祭りが多くの音楽とともに祝われていた、マリア・プラインの巡礼聖堂のためだったのだろうか。[ド・ニ] p.68
よく知られているように、若いモーツァルトの就職活動のために、大司教に休暇と旅行の申し出をしたところ、その許しが下りたが、それと同時に、父レオポルトの解雇が通達された。
シーデンホーフェンの日記によると、この曲がつくられた頃、解雇されたショックにより父レオポルトは病気(重いカタル)に病んでいた。
9月23日、モーツァルトは母アンナ・マリアとともにザルツブルクをたつ。
そして26日、レオポルトの解雇が取り消された。
アンナ・マリアはそのとき57歳。
夫が病に伏すままにして旅立つことに不安がないはずがない。
そして、若いモーツァルトがそれに鈍感であるはずもない。
装飾を排して簡潔ながらも深い祈りを捧げ、無事を祈願しようとするのは自然である。
しかし1年後、アンナ・マリアはパリで客死することになり、ザルツブルクには帰らない。
レオポルトにとって、妻アンナ・マリアと最後の別れとなる。
この曲の簡潔にして深遠な響きから、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』(K.618)と共通する「モーツァルトの音楽語法の完全な純一性と鮮明さ」をもつ傑作であると言われ、アインシュタインは
「アヴェ・ヴェルム・コルプス」に匹敵するものである。 それは巧緻であると同時にリート的である。 深遠であると同時に単純である。 それは神秘的なものに対する距離を守り、探求しえざるものへの畏敬を維持していると同時に、また信頼と感情の純粋さに満ちている − 親密さにみちているのだと言ってもよかろう。 そしてこの曲を聴く者は、この曲が示唆しているモーツァルトの生のなかのあの瞬間 − 青春が、青春の幸福が過ぎ去った、人生の旅の幻滅がはじまる、あの瞬間 − を思わずにはいられないのである。と絶賛している。 ただし、これから「青春の幸福」を求めて旅立つ21歳の若者が、この曲に「人生の旅の幻滅」を込めて、晩秋の深く静かな気持ちを歌おうとしてはいない。 それにもかかわらず、深遠であると同時に単純な美しさに、しばし息を呑む思いがする。 それは K.277 (272a) にも共通する印象である。[アインシュタイン] p.461
もしこの聖母マリアの昇階唱が、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』のもっているあの絶対的な高みに到達していないとすれば、それは1777年の秋のモーツァルトは21歳という若さの輝きのなかで、自分のために祈願をしたのにたいし、1791年6月に書かれた聖体のためのモテト『アヴェ・ヴェルム・コルプス』は、永遠の安息が身近に迫っているなかで、キリストの受難と聖変化(パンとブドウ酒がキリストの血と肉体という実体に変化すること)を黙想したものだという、それだけの違いのためであろう。[ド・ニ] pp.68-69
〔歌詞〕
Sancta Maria, mater Dei, ego omnia tibi debeo, sed ab hac hora singulariter me tuis servitiis devoveo, te patronam, te sospitatricem patronam eligo. |
聖なるマリア、神の母よ、 私はすべてをあなたに負っています。 けれども今から、ひたすらに あなたに仕え、この身を捧げます。 あなたを庇護者に、あなたを守護者に 選んだのです。 |
Tuus honor et cultus aeternum mihi cordi fuerit, quem ego nunquam deseram neque ab aliis mihi subditis verbo factoque violari patiar. |
あなたの誉れとあなたへの崇敬が、 永遠にわたしの心に生き続けますように。 けっしてそれを捨て去ることがありませんように 他のものに心を奪われ、言葉や行いで、 あなたを汚してしまうことがありませんように。 |
Santa Maria, tu pia me pedibus tuis advolutum recipe. in vita protege in mortis discrimine defende. Amen. |
聖なるマリア、慈悲深いかたよ、 御足にひれ伏す私を受け入れてください。 人生行路にあって、私をお守りください。 死の間際にあっても、私をお守りください。 アーメン |
那須輝彦訳 CD[TELDEC WPCS-4459] |
余談であるが、「昇階誦」または「昇階唱」(Graduale)とは、「書簡と福音書のあいだに唱えるミサの固有文で、朗読壇の階段で歌われる習慣があったのでこの名前がついた」(ド・ニ)ものだという。
〔演奏〕
CD [PHILIPS 422 753-2] t=7'29 ケーゲル指揮、ライプツィヒ放送合唱団 1974年11月、ライプツィヒ |
CD [UCCP-4078] t=7'29 ※上と同じ |
CD [AUDIOPHILE CLASSICS APC-101.048] t=3'06 Klava指揮、リガ放送合唱団 1983年 |
CD [COCO-78065] t=3'19 クリード指揮、リアス室内合唱団 1988年、ベルリン、イエス・キリスト教会 |
CD [TELDEC WPCS-4459] t=3'36 アーノンクール指揮、アルノルト・シェーンベルク合唱団 1992年2月、ウィーン |
〔動画〕
〔参考文献〕
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