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ミゼレーレ イ短調 K.85 (73s)

  1. Miserere (憐れんでください) イ短調
  2. Amplius lava me (洗い清めてください) イ短調
  3. Tibi soli (ただあなたに) イ短調
  4. Ecce enim (見よ、あなたは) イ短調
  5. Auditui (聞かせてください) イ短調
  6. Cor mundum (清い心を) イ短調
  7. Redde mihi laetitiam (喜びを私に返し) イ短調
  8. Libera me (助け出してください) イ短調
〔編成〕 ATB, og
〔作曲〕 1770年7月か8月 ボローニァ
1770年7月






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1770年8月


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3部合唱と数字付きの通奏低音、未完の小品。 テキストは詩篇第51番第1節「神よ、慈悲によって私を哀れみ給え」で始まり、第15節までの奇数節のみ。 偶数節にはグレゴリオ聖歌が歌われたのであろう。 未完というのは、続く第17・19・21節の音楽はマルティーニ神父の作品を借用したか、またはのちにヨハン・アンドレーが補作したとされているからである。 なお、同じテキストで、ジョスカン・デ・プレ、パレストリーナ、アレグリなども作曲していて、そのうちアレグリの曲についてはモーツァルトの有名な逸話がある。

1769年12月13日、モーツァルトは父に連れられて初めて音楽の本場イタリアに向けてザルツブルクから旅立った。 1770年3月24日、二人はボローニャに到着し、14歳の少年モーツァルトは大音楽理論家マルティーニ神父の指導を受け、いくつかの習作を残したが、このミザレーレは7月か8月に作られたと推測されている。 その以前の4月11日に二人はローマに到着してすぐにシスティーナ礼拝堂でアレグリ(Gregorio Allegri, 1582-1652)の秘曲『ミゼレーレ』を聴いて暗譜したエピソードが有名である。 レオポルトはザルツブルクの妻にその奇蹟のような事実を伝えていた。

1770年4月14日、ローマ
おまえはたぶんローマの有名な『ミセレーレ』のことがよく話題になっているのを聞いたことがあるだろう。 この曲はたいへん尊重されているので、礼拝堂の歌手たちには、パート譜を一枚でも礼拝堂から持ち出したり、写譜したり、あるいは誰かにやったりすることは、破門をもって禁じられているのです。 ところが、私たちはもうそれを手に入れてしまっているのだ。 ヴォルフガングはもうそれをすっかり書き取ってしまったし、もしこの曲の演奏に私たちが立ち会う必要がなければ、この手紙に同封してザルツブルクに送ってしまうことだろう。 でも演奏の仕方が作品自体よりも重要なので、私たちは帰るときにこの曲を持って行くことにします。 それにこれはローマの秘曲なので、直接間接に教会の検閲に触れないために、他人の手には渡したくないのだ。
[書簡全集 II] p.106
モーツァルト父子の最初のイタリア旅行の目的は、当時のヨーロッパの音楽の本場であるイタリアで天才モーツァルトの実力を認めてもらい、最大の音楽家と称されていたマルティーニ神父のもとで学んだという実績を作ることであった。 ローマのシスティーナ礼拝堂で門外不出の秘曲を暗譜したという話は宣伝効果として最高だったし、またミラノの総督フィルミアン伯爵の注文によりオペラ・セリア『ポントの王ミトリダーテ』(K.87 / 74a)を短期間のうちに書き上げたり、ボローニァのアカデミア・フィラルモニカの試験では一室に閉じこもってアンティフォン『まず神の国を求めよ』(K.86 / 73v)を仕上げて難なく合格するなど、大成功であった。
さらにつけ加えると、この曲の自筆譜に「騎士ヴォルフガング」の署名があるという。 これは、7月5日にローマ教皇クレメンス14世から法王庁騎士に任ぜられ、「黄金拍車勲章」を授かったことによるものである。 これがあると、いつでも自由に教皇庁に出入りでき、裁判権が免除されるなどの特権があった。 音楽家でこれと同じ勲章をもらったのは200年前のレネサンスの巨匠オルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso, 1532?-94)だけで、たいへんな名誉であった。 しかも、わずか14歳という年齢を考えると異例中の異例であった。 なお、右は1777年(21歳)にザルツブルクで描かれたもので、恩師マルティーニ神父に贈り、以後ボローニャのマルティーニ音楽院の所蔵として現在まで残っている。

これだけの成果があれば当然自分の息子はイタリアのどこかの(特にミラノの)宮廷から音楽家として採用されていいはずだとレオポルトは思い上がったが、しかし現実はそんなに簡単ではない。 少年モーツァルトの実力は広く知れ渡ったが、レオポルトには不満が残った。 父子は1771年3月28日、ザルツブルクに帰郷する。 ちょうどその頃、ウィーンで活躍していたハッセが冷静にモーツァルト父子を見ていた記録がある。

1771年3月23日
若いモーツァルトは、歳にしてはたしかに異常なほどですが、私はそれでも彼を深く好いています。 父親は見たところ、すべてのことにみな不満のようですが、ここでもおなじようにぐちをこぼしていました。 彼は息子をすこしばかり溺愛しすぎ、そのため息子を駄目にしています。 でも私は、この子供の天性の良い感覚についてたいへん積極的に評価していますし、父親の媚びへつらいを軽蔑して堕落せず、立派な人物になってくれるよう望んでいます。
[書簡全集 II] p.271
さて、イタリア旅行はモーツァルトの教会音楽への理想を変えたであろうか? アインシュタインは自問自答している、「然りとも言えるし、否とも言える」と。 その第一の理由は
イタリアの諸教会において観察しえたものは、故郷のザルツブルクやマリーア・テレージア治下の尊厳なヴィーンよりもはるかに無頓着な音楽上の《非教会性》、世俗化、アリア的性質であった。
[アインシュタイン] p.442
とゆうのである。 ただし、そのアインシュタインはモーツァルトがザルツブルクで作曲した『聖体の祝日のためのリタニア』(K.243)については
なんぴとのためにモーツァルトはこのような曲を書いたのであろうか? このようなリタナイの聴衆においては、敬神が音楽の識見と混りあっていたのだと、われわれは想像せざるをえない。 それは典礼を口実にした音楽会であった。 オブリガート楽器を伴った、コロラトゥーラの豊富なアリアもそれにふさわしい。
と手放しで賞賛しているが。 アインシュタインが言いたかったのは、少年モーツァルトがわざわざイタリアでマルティーニ神父から教えをいただかなくてもザルツブルクでそれ以上のものを身につけることができたということのようだ。 彼はモーツァルトのいわゆる「イタリア時代」のいくつかの作品は取るに足らないものとみなし、そのうちこの「ミゼレーレ」については
仕事熱心なJ・A・アンドレが、その様式からはずれることなく、三つの楽曲を加えて完成しえたということは、この曲の無個性、《中立性》の外的証明にほかならない。 これらの作曲は練習問題なのである。
と切り捨てている。 楽譜出版業を営んでいたアンドレ(Johann Anton André, 1775-1842)はピアノ曲もいくらか作曲したが、厳格な対位法様式に長じていたわけではない。 それでも補完できたと強調することで、モーツァルトがイタリアから学んだものはなかったことにしたいのだろう。 ただし、最後の節の追加については、ド・ニはマルティーニ神父が書き足したものだろうと推測している。 また彼は「この曲は古様式(スティレ・アンティコ)と呼ばれる厳格な対位法様式の習作のようなもの」と認めつつも、
習作であっても、そこにはおのずと風格が見られ、一世代前のイタリアの大作曲家の誰かの作品を写譜したのではないかと長いあいだ考えられてきたほど、この曲の多声音楽としての質は高い。
[ド・ニ] p.60
と評価している。

〔詞〕
Miserere mei, Deus
secundum magnam misericordiam tuam
私を憐れんでください、神よ
あなたの慈しみをもって
(以下略)
那須輝彦訳 CD [WPCS-4566]

〔演奏〕
CD [PHILIPS 422 749-2/753-2] t=9'39
ライプツィヒ放送合唱団
1990年5月、ライプツィヒ
CD [UCCP-4078] t=9'39
※上と同じ
CD [WPCS-4566] t=5'50
アーノンクール指揮 Nikolaus Harnoncourt (cond), アルノルト・シェーンベルク合唱団 Arnold Schoenberg Chor
1992年2月、ウィーン

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=eh31j6L95Ok] t=9'31
アレグリの「ミザレーレ」
演奏不明

〔参考文献〕

 

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2012/03/11
Mozart con grazia