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ヴェロナ風のアレグロ K.72a
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1769年12月13日、父に連れられて初めてのイタリアへの旅に出て、27日にヴェロナ着。 ここで年を越し、翌年1月10日まで滞在して、ミラノへ向かう。
行く先々で神童は人々の度肝を抜いたが、ヴェロナでも大変な騒ぎであった。 そのとき後世に残る貴重な肖像画が描かれた。 それを命じたのは、ヴェロナの有力な貴族ピエトロ・ルジアティ(Pietro Lugiati, 1728 -88)であり、1月6日から翌日にかけて、サヴェーリオ・ダッラ・ローザ(Saverio dalla Rosa)によって描かれた。 その絵にはチェンバロ上に広げられた2ページから成る楽譜が描かれている。 それがこの曲である。 このようないきさつから、この曲の成立は1770年1月6日以前で、しかもヴェロナ到着以後と推定される。
この絵のチェンバロには「ヴェネツィアのヨアンニス・チェレスティーニ Joannis Cherestini 製作 1583年」の銘が入っているという。 また額にはラテン語で次のように書かれているという。
愛らしき客人にして12才の少年、ザルツブルク出身のアマデーウス・ヴォルフガング・モーツァルト、音楽の芸により多くの賞賛と栄誉を得ており、その名はフランス、イギリスの王にもかけがえのないものなり。 ピエトロ・ルギアーティが1770年その楽の間にて描かせりものなり。[ドイッチュ&アイブル] pp.91-92
なお、この絵の作者はかつてジャンベッティーノ・チニャローニ Giambettino Cignaroli)とされていた。 彼はダッラ・ローザの叔父である。
モーツァルトは1月7日に聖トマソ教会のオルガンを弾く機会に恵まれた。 その時の演奏に、この曲も含まれていたとも推測されている。 教会に行ったとき、神童を一目見ようと大勢の人が押し寄せ、馬車から降りられなかったという。 そのときの生々しい様子をレオポルトがザルツブルクの妻に次のように知らせている。
食事のあと、私たちはサン・トンマーソ教会に行き、この教会の二台のオルガンで演奏しました。 そうしようと決めたのはようやく食事中のことで、手紙を二、三通書いてカルロッティ侯爵とピンデモンテ伯爵に知らせたのでしたが、それでも私たちが前記の教会に着いたときには、ものすごい人だかりで、馬車から下りる場所はほとんどありませんでした。 あまりの押しあいへしあいだったので、私たちは修道院を抜けて行かざるをえませんでした。 そこにもたちまちとても大勢の人たちが押し寄せたので、修道院の門のところですでに私たちを待ちうけていた神父さんたちが私たちを取り囲んでくれもしなかったら、入ることもできなかったでしょう。 演奏が終わると、騒ぎはもっと大きくなりました。 だれもが小ちゃなオルガン奏者を見ようとしたからです。 馬車に乗るが早いか、宿に向かわせました。 部屋の鍵をかけ、この手紙を書きはじめました。[書簡全集 II] p.38
〔演奏〕
CD [TELDEC K37Y 10184] t=1'23 タヘッツィ Herbert Tachezi (og) 演奏年不明 ※ historical organ (built about 1800) of Basilika Maria Treu in Vienna, Piaristenkirche |
CD [キング K32Y 297] t=0'31 クロムランク Duo Crommelynck (p) 1984年9月、ビクター青山スタジオ |
CD [ポリドール POCL-1559] t=1'04 トロッター Thomas Trotter (og) 1993年11月 ※オランダ Farmsum の Hervormde 教会にあるニコラウス・ローマン製のオルガンで演奏 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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