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フーガ ト短調 K.401 (375e) 断片〔編成〕 p / og〔作曲〕 1773年? ザルツブルク? |
1782年ウィーンで作曲とされて、K.401 に位置づけられていた。 ちょうど1782年4月10日の父宛ての手紙に
ぼくは毎日曜日の12時に、スヴィーテン男爵のところへ行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは演奏されません。とあるように、この頃モーツァルトはフーガの研究に集中していたことに符合し、この曲の対位法による厳格な書法がセバスティアン・バッハの影響を受けたものと考えられていたのである。 しかしのちに筆跡鑑定からもっと早い時期、1770年代の初期に書かれたものと推定された。
ぼくは今、バッハのフーガの蒐集をしています、ゼバスティアンのだけではなくエマーヌエルやフリーデマン・バッハのも。[手紙(下)] p.54
モーツァルトは幼児よりオルガンでこうした対位的な作品に親しんでおり、ヴィーン時代がフーガやその他のバロック的手法との唯一の接点ではない。ひとりでピアノ演奏するには音域が広く、4手の連弾用のピアノ作品として出版・演奏されている。 ただし新全集はオルガン用の作品としている。 このようなことから、この曲はモーツァルトが姉ナンネルと二人で演奏するために書いたのかもしれない。 カウデリーは「さまざまな点で、2台ピアノのための偉大な《フーガ ハ短調》K.426の先駆作品である」と言っている[全作品事典]。[事典] p.589
最後のカデンツァがなく、演奏者の即興が許されているが、その部分にM.シュタードラーが8小節補筆したことも知られている。 彼はモーツァルトの死後、コンスタンツェの助言者となっていた人物である。 そして 1800年に補筆完成版がライプツィヒのブライトコップ・ヘルテル社から出版された。
〔演奏〕
CD [EMI TOCE-11558] t=3'59 ギーゼキング Walter Gieseking (p) 1953年8月 |
CD [キング K32Y 297] t=2'30 デュオ・クロムランク Duo Crommelynck (p) 1984年9月、ビクター青山スタジオ |
CD [クラウン Novalis CRCB-3013] t=4'53 ハーゼルベック Martin Haselböck (og) 1989年9月、オーストリア、ブリクセン大聖堂 補作版 |
CD [ASV CD DCA 799] t=4'13 フランクル, ヴァーシャーリ Peter Frankl, Tamas Vasary (p) 1992年 |
CD [ポリドール POCL-1559] t=4'54 トロッター Thomas Trotter (og) 1993年11月、オランダ、ファルムスム 補作版 |
〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=KLYfHNgtwWM] t=2'42 Matthew Atherton (p), Antonina Lax (p) |
[http://www.youtube.com/watch?v=tXpV-gpgkQw] t=4'55 Martin Haselböck (og) the Cathedral in Brixen/Tirol Italy |
[http://www.youtube.com/watch?v=R2N5Dc2Q8eQ] t=3'27 演奏不明 |
〔参考文献〕
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