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シンフォニア イ短調 「オーデンセ」 K.Anh.220 (16a)

  1. Allegro moderato イ短調 4/4 ソナタ形式
  2. Andantino イ長調 2/4 二部形式
  3. Allegro moderato イ短調 3/8 ロンド形式
〔編成〕 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, vc, bs
〔作曲〕 1765年?

モーツァルト一家は1763年6月から1766年11月までの約3年半の西方への大旅行の途中、1764年4月から1765年7月までロンドンに滞在していた。 このとき少なくとも5曲のシンフォニーが書かれたと思われている。 ロンドンから父レオポルトが故郷ザルツブルクのハーゲナウアーに宛てた手紙

1765年2月8日
演奏会で取り上げられる交響曲は、すべてヴォルフガング・モーツァルトのものです。 1ページ1シリング払いたくなければ、私は自分でそれらを写譜しなければなりません。
[書簡全集 I] p.206
にそのことが示されているほか、1768年頃に父レオポルトによって作られた息子ヴォルフガングが7歳から12歳までに作曲した作品の目録に「交響曲が13曲ある」と書かれてあるからである。 ロンドン滞在中に書かれたのは であろうと考えられているが、しかし第2番変ロ長調 K.17 は父の作かもしれず、偽作(Anh.C11.02)とされ、また第3番変ホ長調 K.18 は少年モーツァルトがアーベルの交響曲を写譜したものと判明した。
K.16a、K.19a、K.19b の3曲については最初の4小節だけがブライトコップ・ヘルテルの「全作品の主題目録」(19世紀初め)で知られるのみで、全曲は不明だった。 そのためケッヒェルは「作品目録第1版」(1862年)で「疑わしい作品」として付録に置き、この曲には Anh.220 と番号付けていた。 その後、アインシュタインはこの幻の曲の「作曲時期は早い」と推定し、「作品目録第3版」(1937年)で K.16a(1765年ロンドン、9歳)に位置づけていた。

1982年、デンマークのオーデンセ Odense の市立交響楽団が(移転するために)古い資料を点検していたところ、全曲の筆写譜が発見された。 それは、楽団の前身「オーデンセ・ミュージック・クラブ」の所蔵庫の中に埋もれてあったという。 このような経緯から「オーデンセ交響曲」と呼ばれるようになった。 初演はオーデンセ交響楽団により 1984年に行われたという。

ところが、モーツァルトの作品らしくない点がいくつか指摘されていて、この曲の真偽は不明となっている。 どちらかというと、偽作と思われている。 父レオポルトの作かもしれないというが、それにも異論がある。 真作としても(ラールセンによれば)1760年代後半か70年代初めかもしれないという説もあるが、新全集では「偽作」扱いとなった。

〔演奏〕
CD [ポリドール FOOL-20360] t=13'28
ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music
演奏年不詳、1978年から1985年の間。
CD [COCO-78044] t=11'46
グラーフ指揮 Hans Graf (cond), ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 Salzburg Mozarteum Orchestra
演奏年不詳、1988年から1990年の間。

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2012/08/11
Mozart con grazia