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ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K.457

  1. Molto Allegro (自筆譜では Allegro) ハ短調 4/4 ソナタ形式、副主題は変ホ長調(再現部ではハ短調)
  2. Adagio 変ホ長調 4/4 ロンド形式
  3. Allegro assai (自筆譜では Molto Allegro) ハ短調 3/4 変則的なロンド形式
〔作曲〕 1784年10月14日 ウィーン

自作目録第9番。 作曲の成立ははっきりしている。 7ヶ月後のハ短調幻想曲(K.475)と共に、「フォルテピアノのための幻想曲とソナタ。 テレーゼ・トラットナー夫人のために作曲された」と題され、「作品11」としてウィーンのアルタリア社から出版されているからである。 そのため、この2曲は続けて演奏されることが多いこともよく知られている。

トラットナー氏は書籍出版業を営んでいた。夫人マリア・テレジアには1781年からピアノを教えていた。 モーツァルト一家は1784年にその夫妻の邸宅「トラットナーホーフ」に住んでいたが、手狭なため引っ越している。 そして半月後にこの曲を書いた。 引越し先は今日「フィガロ・ハウス」と呼ばれている。 夫人は同じ名前を持つモーツァルトの第4子テレージアの洗礼立会人を務めてもいた。

このソナタは情熱的で力強い内容と、不気味な雰囲気とをもって、来るべきベートーヴェンのソナタ群を予告するものと評されている。 アインシュタインによれば

このソナタは明らかにきわめて強い興奮の爆発である。 それは『パリ・ソナタ』(K.310)の宿命的なイ短調ではもう表現しきれず、激越なハ短調─ベートーヴェンのハ短調─でしか表現できないものである。 これが《言葉のできる以前のベートーヴェニズム》と言われたのも正当である。 その際もちろん、ほかならぬこのソナタがあのベートーヴェニズムの成立にかなりの役割を演じていることに注目すべきである。
[アインシュタイン] p.339
モーツァルトのピアノ曲について、演奏と研究の両面で著名な久元は次のように解説している。
冒頭からハ短調の主和音をユニゾンで駆け上がり、いきなり緊張感があたりを包む。 この強烈な上昇のエネルギーはすぐに休符で切断され、ピアノで応答があり、再び同じ上昇音型が繰り返される。 どんどんエネルギーと緊張が高まっていき、とりわけ展開部では、冒頭の上昇音型は連続して4回も弾かれ、気分的高揚が頂点に達する。 この楽章は、あちこちに断層があり、再現部に入ってからも唐突な場面展開は続く。 終結部では、頻繁なフォルテとピアノの交替により、波が押し寄せては返すようなダイナミックな動きが繰り返される。 やがて唐突にすっと興奮が収まり、エネルギーを内に秘めたまま、ピアニシモでこの楽章は閉じられる。
[久元] pp.117-118
このあと一転して穏やかなアダージョ楽章を迎えるのであるが、それは「愛と祈りの調」(シューバルト)といわれる変ホ長調で、おだやかな旋律が流れる。
注目すべきは強弱の指示が驚くほど繊細につけられていることでしょう。 第1小節の“sotto voce”ソットという指示も、モーツァルトのピアノ曲ではこの箇所と『ハ長調ソナタ K.330 (K6300h)』の最終楽章だけに現れるもの。 弱音機能のペダルを使用したと思われます。 主要楽句はこうした微細な表現を取りこみながら、現れるたびに細やかな装飾をまとい、そのたびにさらに華やかに変身しますが、そのプロセスは装飾変奏の粋といえるもので息をのむほどに優美です。
[藤本] p.61
慰めるような長いアダージョのあとに、「第1楽章と同様に激越で、さらにいっそう暗いフィナーレ」(アインシュタイン)が続く。
テーマは音が少なく、とても単純な動きに支えられた音型だが、アウフタクトで入る右手のテーマと左手の和音がずれており、テーマがすでにはじめから緊張を内在させている。 音楽の流れは何度もフェルマータの休符で寸断され、あちこちに断層がむき出しになる。 そして極端に右手と左手が離れていき、両手が交差し、ついには4オクターブ弱も音が跳躍する。 たいへん大胆な手法で、当時のウィーンの人々は目を丸くしたことだろう。
[久元] p.118
このように大胆さと繊細さが交錯した難しい作品を出版する際、作曲者は演奏しやすいように書き直し、そして序奏としての「さすらい」が必要だと感じたのだった。 出版譜が「よく売れるようにするために手を加えなければならなかった」(久元)というわけである。
たとえば、第2楽章では冒頭のロンド主題が3回登場するが、自筆譜には初版譜にはない装飾が書き込まれている。 また、終楽章では、初版譜でも自筆譜でも両手を交差させる部分が出てきて、緊張感が高まる箇所があるが、自筆譜のほうが両手を深く交差させなければならず、技巧的にはむずかしい。
[久元] p.184
それでも「当時の人々にとっては難解なものとして受け止められたことだろう」という。
また、序奏としての「さすらい」とは幻想曲(K.475)のことである。
モーツァルトはみずからこのソナタの爆発力に根拠を与え、魂の特別な一状態の成果として是認しようという要求を感じたにちがいない。 それゆえに彼は、1785年5月20日に書いた幻想曲(K.475)をこのソナタのまえにつけて公表した。
[アインシュタイン] p.340
ということになる。 それについてはフランツ・ニーメチェク(Franz Xaver Peter Niemetschek, 1766-1849)によるモーツァルト伝に次のように書き残されているという。
弟子の一人だったトラットナー夫人に宛てた書簡のなかで、彼女のために作曲したクラヴィーアのためのファンタジーの奏法について書いているが、この書簡から、彼が実践のみならず、音楽の理論をも完全に理解していたことが推察できる。 残念ながら、書簡は失われてしまった。
[書簡全集 V] p.562
献呈されたトラットナー夫人マリア・テレジア(26歳)は相当の演奏力量をもっていたのは確かであろう。 彼女が夫のヨハン・トーマス(67歳)よりも40歳以上も若いことを考えると、「きわめて強い興奮の爆発」とは作曲者と演奏者がともに共有する(できる)メッセージであったのかもしれない。 それゆえに、アインシュタインは
このソナタと、そのまえにつけた幻想曲の演奏に対する指示がかつては存在したのだが、失われてしまい、そのためモーツァルトの実践美学の最も重要な事柄がなくなってしまったわけである。 もしかしたらこの指示のなかには、後世に示してはならない個人的な事柄が含まれていたのであろうか?
とまで想像していたのである。

余談であるが、このソナタと幻想曲の自筆譜は19世紀初頭から行方不明になっていたが、1990年7月アメリカのフィラデルフィアの神学校に保管されていたことが明らかにされ、合せて14ページになる楽譜が同年11月21日ロンドンのサザビーズ社で競売に付され88万ポンド(2億2千万円あまり)で落札された。落札者は不明。
その自筆譜による初録音が渡邊順生氏によりなされ、CD[ALM Records ALCD-1012]に収録されている。

〔演奏〕
CD [artephon Berlin ETERNA 0031442BC] t=20'30
Annerose Schmidt (p), 1962
CD [DENON CO-3860] t=18'33
ピリス Maria Joao Pires (p)
1974, 東京イイノ・ホール
CD [TKCC-15151] t=18'31
レーゼル Peter Rösel (p)
1975, ドレスデン、ルカ教会
CD [DENON COCO-78748] t=13'18
ヴェデルニコフ Anatoly Vedernikov (p)
1977, モスクワ
CD [KICC-32] t=19'06
イマゼール Jos Van Immerseel (fp)
1980, ※シュタイン・モデル(1788年アウクスブルク)のケレコムによるレプリカ(1978年ブリュッセル)
CD [PHILIPS 32CD-200] t=21'34
ブレンデル (p), 1984
CD [RVC R32E-1002] t=18'51
ピリス (p), 1984
CD [EMI CDC 7492742] t=18'53
ナウモフ Emile Naoumoff (p)
1986, パリ
CD [TELDEC WPCS-10376] t=19'09
カツァリス Cyprien Katsaris (p)
1988, ベルリン
CD [ACCENT ACC 8853/54D] t=20'23
ヴェッセリノーヴァ Temenuschka Vesselinova (fp)
1990, オランダ
※シュタイン・モデル(1788年アウクスブルク)のケレコムによるレプリカ(1978年ブリュッセル)
CD [RCA BVCC-131] t=18'49
デ・ラローチャ (p), 1990
CD [PHCP-10370] t=19'46
内田光子 (p), 1991
大阪シンフォニー・ホール、東京サントリー・ホール
CD [stradivarius STR 33343 / Victor VICs-7] t=23'49
リヒテル (p), 1991
CD [ALM Records ALCD-1012] t=22'42
渡邊順生 (fp)
1993, 入間市民会館
※ホフマン製フォルテピアノ(1800年頃)

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2018/08/19
Mozart con grazia