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パントマイムのための音楽 ニ長調(断片) K.446 (416d)

〔編成〕 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1783年2月 ウィーン
1783年2月





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1783年3月





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ウィーンで独立をはたし、また、父の反対を押し切ってコンスタンツェ・ウェーバーと結婚したばかりのモーツァルトは前年(1782年)末に大きな家に引っ越していた。 そこは金持ちのユダヤ人ヴェツラル(Raymund Wetzlar Reichsfreiherr von Plankenstern, 当時31才)が所有するヘルベルシュタイン館の4階にあり、大きな部屋のほか、寝室、控えの間、大きな台所があった。 たぶん新妻コンスタンツェは大満足だったろう。 ここで新年(1783年)を迎え、ウィーンでの充実した日々の生活が軌道にのり始めていたが、遊び好きのモーツァルトにとって好都合なことに、新しい住居の隣に立派で大きな部屋がまだ2つ空いていたので、そこで家庭舞踏会を楽しんでいた。 1783年1月22日の父への手紙にその様子を書いている。

先週、私の住居で舞踏会をしました。 もちろん、殿方はおのおの2グルデンお金を出しました。 晩の6時に始まり7時に終りました。 たった1時間か、ですって? いえ、いえ、朝の7時です。
[手紙(下)] pp.86-87
そんなこともあって、コンスタンツェは宮廷での仮装舞踏会に行きたいとモーツァルトにさかんにねだっていた。 モーツァルトはザルツブルクの父がちょうどいい衣裳を持っていたことを思い出し、それを貸して欲しいとそのときの手紙で伝えている。
もうひとつお願いがあります。 この件については、妻がうるさく言って落ち着かせてくれません。 むろん御承知の通り、いまや謝肉祭で、ここでもザルツブルクやミュンヘンと同じように、よく踊ります。 そこで、ぼくは(誰にも内緒ですが)ぜひともアルルカンに扮したいのです。 というのは、ここではとても大勢の、でも、本物の馬鹿ばかりが、仮装舞踏会に出るからです。 そういうわけで、お父さんのアルルカンの衣裳をぼくに送ってほしいのです。 でも、大急ぎでお願いします。 仮装舞踏会はいまたけなわですが、この衣裳が手に入るまで、ぼくらは行かないつもりなんです。
[書簡全集 V] p.330
もちろんモーツァルトは遊びに我を忘れていたわけではない。 寸時を惜しんで本業の音楽活動に持てる力を注いでおり、3月23日ブルク劇場で予定されている演奏会で使う曲(ハフナー・シンフォニー K.385 など)の楽譜をザルツブルクから送ってもらいたいと父に頼んでいたが、その手紙でも、衣裳について再度催促している。
1783年2月5日
いまごろはそちらでも、アルルカンの衣裳をお願いしたぼくの手紙を受け取られたことと思います。 いまもう一度くり返してお願いしますが、どうかできるだけ急いであれを発送してください。
同書 p.335
モーツァルトは音楽のことになるとどんなときも半端ではなく、一度きりのお遊びの謝肉祭の月曜(3月3日)に上演するための仮面劇団を作り、さらに仮装パントマイム用の音楽まで書いたのである。 その仮面劇団が出演したのはウィーン王宮ホーフブルクの舞踏会場レドゥーテンザールでの公開の仮面舞踏会であり、その半時間の休憩時間を利用して上演され、まあまあの評判だったと思われる。 3月12日の父への手紙で、モーツァルト自身も演じたことを知らせている。

アルルカン
ウィキペディアから)
謝肉祭の月曜日に仮装舞踏会で仲間の仮装を披露しました。 それは一つの無言劇で、ちょうど中休みの半時間の埋め草になりました。 義姉がコロンビーナ、私がアルルカン、義兄がピエロ、ダンスの先生がパンタローネ、そして画家のグラッシが医者、というわけです。
無言劇の工夫とそれにつける音楽は、いずれも私が引き受けました。 ダンスの先生メルクが親切に私たちを仕込んでくれました。 私たちはなかなか巧くやりましたよ。
[手紙(下)] p.89
このときのパントマイム劇の進行内容ははっきりしないが、登場人物によって役割が決まっていて、観客は難しいことを考える必要がなく、そのお決まりのパターンを単純に楽しんだものと思われる。 すなわち、義姉アロイジアが演じたコロンビーナはパンタローネ(好色の金持ちの老商人)がしつこく言い寄ってくるのを何とかして拒む。 アルルカン(仏:Arlequin)とはイタリア語では「アルレッキーノ Arlecchino」という道化師でありペテン師でもある。 コロンビーナの恋人役となる。 医者(ドットーレ)は博学な初老の男で、女性に辛辣なことを平気で言う。 このような性格と服装が決まっていたので、観客は役者が登場しただけで何が起きるのか想像でき、パントマイム劇でも十分に笑い楽しむことができたのである。 モーツァルトは父から借りた衣裳で演技に参加したが、コンスタンツェは出演しなかったのは公衆の前に出る度胸(度量)がなかったせいか、それとも、オペラ俳優の出番が途絶えるこの期間にプロの歌手である義姉アロイジアに出演の機会を与えようとのモーツァルトの配慮であろうか。

当時は、四旬節(復活祭前の約40日間)は断食であり、禁欲的に復活祭を迎える習慣があったという。 したがって、公にオペラが催されないことから音楽家には仕事がない期間であった。 ただし、プライベートな場所などでは、このような仮装舞踏会や音楽会などが行われていた。

この期間は、キリスト教徒は肉を断ち、斎戒沐浴するのが建前である。 (ところが18世紀にはこの約束は空文に近かったらしい。 モーツァルトの父親がイタリアから出した手紙によると、四旬節にカトリックの僧たちが平気で肉をぱくぱくやっているということである) そして一応劇場は閉鎖される。 歌舞音曲停止という趣旨であろうが、各地で器楽の演奏会は認められていた。 また宗教的な音楽はもちろん公然と演奏された。
(中略)
この高圧的な娯楽停止期間に対する、民衆らしい反撥と鬱憤の晴らし場所がカーニヴァルである。 彼らは灰色のシーズンを前にして大いに楽しんだのである。
[石井] pp.200-201
石井はマイケル・ケリーの回想記を引用して、当時のウィーンの人たちがいかにこのシーズンを楽しんで過ごしていたかについて、次のように紹介している。
カーニヴァルが近づくと、どこもかしこも陽気な気分が溢れてくる ・・・・ 宮廷の舞踏会場にも仮装した人が集まり、かなり広いゆったりした部屋でも、仮面の洪水であふれてしまう。 人々がこんなに華やかで楽しげな様子は、ほかの国では見ることができない ・・・・ いや、そればかりでなく、お腹の大きい御婦人まで家に引きこもっていられずに出てくるので、不幸にして途中で産気づいた時の用意に、街には幾つかの部屋とベッドがそのために特に用意してあるほどだった。
同書 pp.201-202

このように、作曲した事実ははっきりしているが、肝心の楽譜の方はヴァイオリン・パートだけの草稿が残り、合計26曲から成る音楽の第1曲から第15曲までしか残っていない。 そして曲ごとにシーンとなるパントマイムの内容が書かれてあるだけであるという。

ところで、よく言われるように、モーツァルトの人物観察眼の鋭さには定評があるが、1771年(15歳のとき)に父とヴェネツィアを訪れたときの経験がこの曲にも生かされているという。 アインシュタインは次のように惜しんでいる。

ヴォルフガングが後年、1783年2月に、『無言劇の音楽』(K.446)を書き、義姉、義兄および数人の友人と上演したとき、彼が12年以前にヴェネツィアの謝肉祭の人物たちの姿をいかに正確に観察し、記憶にとどめていたかが明らかになった。 そしてこの《即席茶番狂言》の傑作がスケッチと断片の形でしか保存されていないということは、芸術の永遠の損失である。
[アインシュタイン] p.38

〔演奏〕
CD [UCCP-4061/70] t=27'55
マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
1789年12月
バイヤー補完・編曲
CD [東芝EMI TOCZ-9175] t=22'28
グラーフ指揮 Hans Graf (cond), ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 Mozarteum Orchester Salzburg
1991年3月、モーツァルテウム大ホール
エーダー Hermut Eder 補作

〔参考文献〕

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=522cxdfre74] t=22'57
Piano Quintet: Daniel Rowland, Frank Stadler, Gareth Lubbe, Julian Arp, Nina Schumann
Completed by Vladimir Mendelssohn
2011 Stellenbosch International Chamber Music Festival
 


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2011/11/06
Mozart con grazia