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「イドメネオ」のための5つの舞踊曲 K.367
〔作曲〕 1780年末〜81年1月18日 ミュンヘン |
モーツァルトはバイエルン選帝侯カール・テオドール(1724~1799)の依頼を受けて音楽劇『イドメネオ』の作曲に1780年10月から取りかかっていた。 このダンス音楽はそのオペラに付随するものである。 当時フランス宮廷のオペラでは必ずバレー場面を入れる習慣があったことから、モーツァルトはオペラ『イドメネオ』の作曲でさっそく採り入れてみたのである。 1780年12月19日の父への手紙の中で「オペラの仕事はほとんど終り、あと3つのアリアと第3幕の最後の合唱と、序曲と、バレエ曲が残っている」ことを伝えている。 また当時、バレエの作曲はオペラの作曲者とは別であるのが通例だったが、『イドメネオ』ではモーツァルトが全部作ることになり、本人は喜んでいたようである。
1780年12月30日、ミュンヘンからザルツブルクの父へその後、1781年1月10日と11日の手紙では「最後のバレエのためのいくつかの旋律をまだ書かなくてはならない」と伝えていることから、このダンス音楽の作曲はオペラ全曲の完成と、そして稽古の進展とに、平行して進められていた。
このオペラには特別にバレエはなくて、たんに必要なディヴェルティスマンしかありませんので、ぼくは光栄にも舞踏音楽を書くことになっています。 その音楽が全部ひとりの作曲家で書かれるのですから、ぼくはとてもよろこんでいます。[書簡全集 IV] p.544
パリで受けたグルックからの影響がこの曲に現れていて、第1曲の主題はグルック作「オーリードのイフィゲニア Iphigénie en Aulide」のシャコンヌから採られているという。 シャコンヌは踊り手の総登場のための曲であり、ソロの踊りパ(パ・スール、パスピエ、パッサカリア)と結びついている。 それぞれのパにはソロの踊り手が指定されているが、最も長いパ・スールはフランス人のバレエ振付師で、モーツァルトが言うには「ひどいお喋り好きでうるさ型」のジャン・ピエール・ル・グラン(Jean-Pierre Legrand, 1734-1809)が指定された。
第1曲のシャコンヌはスペイン起源の舞曲で、17世紀にフランスに入りロンド風の舞曲になり、さらにバッハなどにより主題と変奏曲という形で使われるようになった。 第2曲パ・スールはロンド風の舞曲で、文字通りひとりで踊るもの。 第3曲のパスピエは元はブルゴーニュ地方の速く軽快なダンスだったもので、17世紀にフランス宮廷で優雅な舞曲となった。 第4曲ガヴォットはアルプス地方の古い舞曲だったものが18世紀にフランス宮廷で洗練された2拍子系の舞曲になった。 第5曲パッサカリアはシャコンヌと同様の流れにあるロンド風舞曲だが、フランス宮廷でのオペラにおける挿入バレーの終曲は多くの場合パッサカリアと題されたという。
〔演奏〕
CD [キング KICC 6039〜46] t=26'15 ボスコフスキー指揮 Willi Boskovsky (cond), ウィーン・モーツァルト合奏団 The Vuenna Mozart Ensemble 1966年 |
CD [UCCP-4061/70] t=21'43 ジンマン指揮オランダ室内管弦楽団 1774年4月 |
CD [Canyon PCCL-00116] t=26'05 グラヴァー指揮 Jane Glover (cond), ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ London Mozart Players 1991年1月、東京練馬区、IMA-hall |
〔動画〕
〔参考文献〕
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