17 age |
61 5 |
62 6 |
63 7 |
64 8 |
65 9 |
66 10 |
67 11 |
68 12 |
69 13 |
70 14 |
71 15 |
72 16 |
73 17 ▲ |
74 18 |
75 19 |
76 20 |
77 21 |
78 22 |
79 23 |
80 24 |
81 25 |
82 26 |
83 27 |
84 28 |
85 29 |
86 30 |
87 31 |
88 32 |
89 33 |
90 34 |
91 35 |
92 |
ミサ曲 第5番 ハ長調 「聖三位一体の祝日のためのミサ曲」 K.167
〔作曲〕 1773年6月 ザルツブルク |
|
この年の3月、モーツァルト父子は3回目のイタリア旅行から帰郷したばかりであった。 それはレオポルトがミラノで自分の病気を口実にしてまで滞在期間を延ばし、息子の就職先を探したが失敗に終っての帰郷であったが、腰を落ち着ける間もなく、父子は7月中旬には3回目のウィーン旅行に出かける。 1年前の1772年3月、ザルツブルクの大司教にヒエロニムス・コロレド伯(40歳)が就任し、モーツァルト父子を取り巻く環境は以前とは比べようもないほど窮屈なものに変化していたが、父レオポルトには1763年6月から1766年11月まで約3年半に及ぶ西方への大旅行の成功体験が強く残っていた。 あれから10年もたつのに稀有の神童は地方都市の楽団員のまま世界から忘れ去られようとしている現実を彼はなんとかして打開しようと考えていたのである。
そんな最中、わずかなザルツブルク帰郷中にこのミサ曲が書かれた。 弦にヴィオラを欠いているのはオルガンと弦楽のための教会ソナタと同様、ザルツブルク時代の多くのミサ曲に共通する特徴。 また、マルチーニ神父へ伝えているようにザルツブルクでのミサは大司教により特別の簡潔さが要求されていた。
1776年9月4日この手紙は聖節の奉献歌「主の御憐みを」(K.222)の批評をあおぐものであったが、署名を除いてすべて父レオポルトによって書かれていて、息子の名を借りて自分の不満を述べつつ、マルチーニ神父の同情を買うのを狙っていると思われる。 そこには
われわれの教会音楽はイタリアのそれとは大層異なっておりまして、キューリエ、グローリア、クレード、教会ソナタ、オッフェルトーリオあるいはモテットなりサンクストゥス、およびアニュス・デイをすべて具えたミサ、さらにもっとも荘厳なミサよりもつねに長いのでありますが、そのミサを君主ご自身が唱えられます時には、45分以上かかってはいけないことになっています。 この種の作曲のためには、特別の研究が必要であります。[手紙(上)] pp.41-42
父はこの宮廷にもう36年も奉仕しておりますのに、わが大司教さまが年齢の長じている者を好むことができず、またその意向をおもちでないことを、父が承知しておりますので、その奉仕を気にかけることもせず、いずれにしても以前から好きな学問でありました文芸に心を向けました。とも書かれていて、あからさまな大司教に対する不平不満の言葉にマルチーニ神父はむしろ不快感を抱いたかもしれない。 もちろん神父は手紙を書いた主が息子本人ではなく父親であることもすぐ見破ったであろうし、このような手紙を神父に送りつけた話は間接的にザルツブルク大司教の耳に届いたかもしれない。 その一年後、モーツァルトは就職活動のために大司教に休暇と旅行の申し出た(その書面もレオポルトが書いたもの)ところ、あっさりその許しが下りたが、それと同時にレオポルトの解雇が通達されたのである。 彼はショックで寝込み、今度は解雇を取り下げてもらうよう大司教に平身低頭しなければならないしっぺ返しを喰らうことになるのである。
このミサ曲が書かれたのは上の手紙の3年前のことであり、コロレド伯がザルツブルク大司教に就任したばかりの頃である。 そのときから既にレオポルトは不平不満を持ち続けていたのだろうか。 持っていたは何に対する不平不満だったのか。
3年という大きな時間の溝を越えて、このミサ曲と上の手紙の中にある「特別の研究(イタリア語で un studio particolare)」の間を行ったり来たりしなければならない。
この曲でいかにして短かさが獲得されたのか? あらゆる独唱部を断念することによって、グローリアとクレドを統一あるシンフォニー的楽曲に要約することによって、個々の章句を対応と呼びたいほど似た構成にすることによってである。大司教が音楽にどれほど造詣が深かったかわからないので、「フーガの形で作られた対位法的な装飾」を「不快な焦燥を感じながら聴いた」というのはアインシュタインの願望に過ぎず、大司教にとっては短く仕上げてくれただけで文句はなかったかもしれない。 とにかくこのミサ曲は独唱なしに合唱(4部)のみで歌い通すという異例の作品となった。 それがまた、演奏されたのがザルツブルク大聖堂ではなく、大学教会か三位一体教会で行われたものと思われる根拠ともなっている。
<中略>
これは合唱ミサ曲であって、シンフォニー的なもののなかにはめこまれた合唱曲は、対位法的なものとコンチェルタントなものとのあいだの注目すべき中道を保っている。 ただ『シカシテ来世ノ復活ヲ』(Et vitam venturi saeculi)だけには、モーツァルトは再び対位法的な装飾を一つのフーガの形で敢えてつけている。 このフーガはおそらく、コロレドが命令した限度を越えたものであり、彼は不快な焦燥を感じながら聴いたことであろう。 それにしても、《書簡ソナタ》と奉献誦を含めても、このミサ曲は適当なテンポによれば実際に45分しかかからない。 問題は解決され、この書き方のための特別な研究は、その最初の果実を結んだのである。[アインシュタイン] pp.448-449
〔演奏〕
CD [ポリドール LONDON POCL-2122] t=30'06 ウィーン国立歌劇場合唱団 Vienna State Opera Chorus, プラニアウスキー Peter Planyavsky (og), ミュンヒンガー指揮 Karl Munchinger (cond), ウィーン・フィル Vienna Philharmonic Orchestra 1974年12月、ウィーン |
CD [PHILIPS PHCP-3808] t=31'21 ライプツィヒ放送合唱団 Leipzig Radio Chorus, ヴィンクラー Michael Christfried Winkler (og), ケーゲル指揮 Herbert Kegel (cond), ライプツィヒ放送交響楽団 Radio Symphony Orchestra Leipzig 1987年12月、ライプツィヒ |
■参考文献
〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=C4LgbGTVhpM] (1) t=3'18 [http://www.youtube.com/watch?v=Ni5GDaY8hF0] (2) t=2'13 [http://www.youtube.com/watch?v=0hgwW0X3oTk] (3-1) t=5'58 [http://www.youtube.com/watch?v=2UxWZiEpvpg] (3-2) t=6'00 [http://www.youtube.com/watch?v=FxA7-GJE2x8] (4) t=1'00 [http://www.youtube.com/watch?v=_dca0zoKeJ8] (5) t=3'46 [http://www.youtube.com/watch?v=WjyOz6LntW4] (6) t=6'19 東京学芸大学 2010年 春学期 音楽選修専攻&「合唱」授業履修生 |
Home | K.1- | K.100- | K.200- | K.300- | K.400- | K.500- | K.600- | App.K | Catalog |