Mozart con grazia
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大小20数えることができる。そのほとんどはザルツブルクの大聖堂での典礼のために書かれた。
- K.49 (47d) ミサ曲 第1番 ト長調
〔作曲〕 1768年10〜11月 ウィーン
ミサ・ブレヴィス。
ウィーンで書かれたらしいこと以外に、この曲の成立は不明。
前述の12月7日の孤児院教会落成祝典で演奏されたものとする説があったが、否定された。
- K.65 (61a) ミサ曲 第2番 ニ短調
〔作曲〕 1769年1月14日 ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
弦にはヴィオラが含まれていない。
ザルツブルク大学教会でのミサのために。
- K.66 ミサ曲 第3番 ハ長調「ドミニクス・ミサ」
〔作曲〕 1769年10月 ザルツブルク
モーツァルト家の家主ハーゲナウアーの4男、新任司祭ドミニクス(カイェタン・ルーペルト・ハーゲナウア)のために。
1764年、修道院に入った幼なじみのカイェタンが新任司祭として初めて行なうミサのために作曲した。
- K.115 (166d) 小ミサ曲 ハ長調 (未完)
〔作曲〕 1773年夏? ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。数字付きの通奏低音。
サンクトゥスの9小節を書きかけたところで未完。自筆譜は不明。新全集は採録せず。
パウムガルトナーが補作し、ベネディクトゥスには K.Anh.21 を、アニュス・デイには K.221 を用いた演奏もある。
- K.116 (90a) 小ミサ曲 ヘ長調 (未完)
〔作曲〕 1771年初夏 ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
キリエ 34小節だけ。
中断されたクレド以下は消失。対位法の習作か。
筆跡は父のものなので、真偽が疑われている。
新全集には載っていない。
- K.139 (47a) ミサ曲 第4番「孤児院ミサ」 ハ短調
〔作曲〕 1768年秋? ウィーン
ミサ・ソレムニス。
1772年ザルツブルクでの作曲とされていたが、1768年12月7日ウィーンのレンヴェーク(現在の第3区)の孤児院の新教会献堂式のためだとする説がクルテンによって提出され、第6版に採用された。
- K.140 小ミサ曲 ト長調「パストラル・ミサ」
〔作曲〕 1773年? ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
アインシュタインにより疑作とされ、第6版で Anh.C1.12 とされたが、最近になって真作と判明。
- K.167 ミサ曲 第5番 ハ長調 「聖三位一体の祝日のためのミサ曲」
〔作曲〕 1773年6月 ザルツブルク
弦にヴィオラを欠いているのはオルガンと弦楽のための教会ソナタと同様、ザルツブルク時代の多くのミサ曲に共通する特徴。
- K.192 (186f) ミサ曲 第6番 ヘ長調 「小クレド・ミサ」
〔作曲〕 74年6月24日 ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
簡略な楽器編成と、切り詰めた内容が密度の高い作品。
- K.194 (186h) ミサ曲 第7番 ニ長調
〔作曲〕 1774年8月8日 ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
- K.220 (196b) 小ミサ曲 第8番 ハ長調 「雀ミサ」
〔作曲〕 1775年か76年 ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
- K.257 ミサ曲 第9番 ハ長調「クレド・ミサ」
〔作曲〕 1776年末〜77年初 ザルツブルク
作曲の動機、時期は不明。有名な「ドレファミ」音型によるクレドの語を何度も繰り返すことからこの呼び名がついた。
- K.258 ミサ曲 第10番 ハ長調 「ピッコロミニ・ミサ」
〔作曲〕 1775年12月 ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
- K.259 ミサ曲 第11番 ハ長調「オルガン・ソロ・ミサ」
〔作曲〕 1775年〜76年 ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
ベネディクトゥスにト長調のオルガン・ソロがある。
- K.262 (246a) ミサ曲 第12番 ハ長調 「シュパウアー・ミサ」
〔作曲〕 1775年6月か7月 ザルツブルク
ミサ・ロンガ。
自筆譜には別人により1776年とあるが、タイソンは75年6月か7月と推定。
彼のミサ曲中もっとも大きい。
- K.275 (272b) ミサ曲 第13番 変ロ長調
〔作曲〕 1777年9月23日以前 ザルツブルク
ミサ・ブレヴィス。
12月21日ザルツブルクで初演。
1777年9月から1779年1月までの1年半に及ぶマンハイム・パリへの大旅行の無事を祈願する奉納ミサ。
- K.317 ミサ曲 第14番 ハ長調「戴冠式ミサ」
〔作曲〕 1779年3月27日 ザルツブルク
ザルツブルク近郊のマリア・プライン教会にある聖母マリアの奇蹟像の戴冠式のために作られたと考えられて「戴冠式ミサ」なるタイトルで呼ばれていたが、現在は、ザルツブルク大聖堂で行われた復活祭の式典のために作曲されたとされる。
- K.337 ミサ曲 第15番 ハ長調
〔作曲〕 1780年3月 ザルツブルク
荘厳ミサ(ミサ・ソレムニス)とも呼ばれ、それにふさわしい大きな楽器編成になっている。
大司教のために書いた最後のミサ。
- K.427 (417a) ミサ曲 第16番 ハ短調 (未完)
〔作曲〕 1782年秋〜83年春 ウィーン
クレドの「クルチフィクス」以下と「アニュス・デイ」全部が欠けて未完のまま。キリエとグロリアは後にオラトリオ「悔悟するダヴィデ」K.469に転用している。
ウィーン時代唯一のミサ通常文に基づく作品。
新妻コンスタンツェを連れてザルツブルクへ行く際、この曲を持って行き、故郷の教会に奉献しようと考えて作られた。
未完成のせいか、モーツァルトはこの曲を自作目録に載せなかった。
2002/06/09