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交響曲 第12番 ト長調 K.110 (75b)
〔作曲〕 1771年7月 ザルツブルク |
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ポーランドに残る自筆譜に日付とともに「騎士 Cavaliere」という称号が書き込まれている。 その称号についてはアンティフォン『まず神の国を求めよ』(K.86)のページで説明。 このシンフォニー作曲の動機についてザスローは、この年の夏のザルツブルクでの(記録のない)コンサートおよび第2次イタリア旅行中の(記録のある)コンサートすなわちミラノのフォン・マイヤー邸での音楽会(11月22日または23日)とブリクセン滞在中のイグナーツ伯爵邸での音楽会(12月11日と12日)のために書かれたことは確実であるという。
テンポ表示のない第2楽章(明らかにアンダンテまたはアンダンティーノ)では、オーボエとホルンがフルートとファゴットに交替し、柔らかい雰囲気となる。 ザスローは次のように評している。
もしこの楽章にタイトルが付けられていたとしたら、それは「ロマンツァ romanza」であったかもしれない。 それはハ長調という「単純な」調をとり、2つの反復部分をもつソナタ形式の楽章である。第3楽章メヌエットはカノンの手法がより明確に用いられていることがよく知られている。 ロビンズ・ランドンは譜例をあげて[全作品事典] p.224
このシンフォニーのメヌエットでは、ヴァイオリンとバスがカノンふうに動く。 これはハイドンのシンフォニー第23番ト長調や、彼の弟のミハエルのト長調のシンフォニー(バーガー第7番)にも見られるものである。と述べているが、これはアインシュタインが指摘していたことである。[ランドン] p.166
1769年春のト長調セレナーデ(K.63)のなかでモーツァルトはすでに、低音が1小節おくれて弦楽器群をカノン風に追って行くメヌエットを書いている。 これは、モーツァルトがヴィーンで聴いたと思われる。 1764年のヨーゼフ・ハイドンのト長調シンフォニー(23番)の厳密な模倣である。 さらに同じような芸当は、1771年7月のザルツブルクのト長調シンフォニー(K.110)のメヌエットにも見いだされるが、ただここでは、カノン風に模倣する声部は5度下で追いかけて行く処理の自由さのなかに、すでに能力が一段高くなっていることが示されている。それはモーツァルトが1770年の春と秋にボローニャのマルティーニ神父から「より古い、より厳格な多声音楽」を学んだ成果であるという。[アインシュタイン] pp.208-209
マルティーニはモーツァルトに、彼自身が自著の『音楽史』(Storia della musica)の装飾につけている、いささか生彩のないカノンの様式でカノン風楽曲の練習をさせ、また、18世紀においておそらく唯一の人としてこのフランチェスコ派の老師が、十分の、真実の観念を持っていた古い多声音楽の声楽様式に、モーツァルトを親しませとうと試みた。モーツァルトは『音楽史』の中から数曲の謎のカノンを写し、解決もしているが、このような手法が晩年のト短調(K.550)でさらに高められることを思えば、このト長調シンフォニーで15歳の少年モーツァルトは一つの解答を自信をもって示したことになる。同書
〔演奏〕
CD [ポリドール FOOL-20364] t=16'28 ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music 1978年頃、ロンドン |
CD [Membran 203300] t=11'20 Alessandro Arigoni (cond), Orchestra Filarmonica Italiana, Torino 演奏年不明 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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