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カッサシオン 第1番 K.63
〔作曲〕 1769年夏 ザルツブルク |
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いわゆる「フィナールムジーク(終業式用音楽)」とも呼ばれる3曲、K.63、K.99 (63a)、K.100 (62a)の一つ。
ザルツブルク・ギムナージウムの記録には
1769年8月6日、同月第一日曜日。 夜、論理学教授のために、優れたる少年ヴォルフガング・モーツァルトの作曲による音楽会。と書き残されているという。 ここで、論理学教授とは著述家でもあった当時38歳のヴィードル(Rufinus Widl, 1731-98)であり、彼はラテン語劇『アポロとヒアキントス』(K.38)の作詞者である。 このときの2曲のフィナールムジークは今までニ長調 K.100 (62a) とト長調 K.63 と考えられていたが、最近の研究では、6日に K.63 が、次の8日に変ロ長調 K.99 (63a) がそれぞれ演奏されたと推定されている。 なお、演奏された曲は特定できないが、これらの演奏会があったことはドミニクス師(Franz Cajetan Rupert Hagenauer, 1746-1811)の日記にも記されているという。
1769年8月8日、火曜日。終業。 同少年の作曲による物理学学生のための音楽会。[ドイッチュ&アイブル] p.79
行進曲で始まり、最初と最後の速い(アレグロ)楽章にはさまれて、2つの緩徐楽章と2つのメヌエットから成る。 第4楽章メヌエットは全体がカノンになっていることについて、アインシュタインは
低音が一小節おくれて弦楽器群をカノン風に追って行くメヌエットを書いている。 これは、モーツァルトがヴィーンで聴いたと思われる、1764年のヨーゼフ・ハイドンのト長調シンフォニー(23番)の厳密な模倣である。と解説している。 第5楽章で独奏ヴァイオリンが心にしみ入るような美しいアリア風の主題を歌うのも印象的であり、13歳の少年がこのようにしっとりした情緒豊かな楽章を書いたことは驚きに値する。[アインシュタイン] pp.208-209
余談であるが、モーツァルト父子が初のイタリア旅行中(1769年12月~1771年3月)に出かけている間に、モーツァルトの3つのカッサシオンをザルツブルクのある人物(不明)が自分の作品として出版したという。
驚いたモーツァルトはそれらは自分の作品であることを証明するために曲の冒頭を書き入れた手紙を郷里に送っている。
詳しいことは「K.100」のページで。
この手紙が根拠となって、K.63、K.99 (63a)、K.100 (62a)の3曲が特別に「カッサシオン」と呼ばれることになっているが、モーツァルトはこの名称をセレナードやディヴェルティメントと同じ種類の音楽と考え、それらの総称として使っていたらしい。
このカッサシオン K.63 でも自筆譜には父レオポルトの手でディヴェルティメントと書かれている(プラート)という。
〔演奏〕
CD [RVC RECD-1038] t=21'10 パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団 1984年1月、パリ |
CD [TOCE-1201] III. t=4'05 クーベリック指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1961年1月 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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