17 age |
61 5 |
62 6 |
63 7 |
64 8 |
65 9 |
66 10 |
67 11 |
68 12 |
69 13 |
70 14 |
71 15 |
72 16 |
73 17 |
74 18 |
75 19 |
76 20 |
77 21 |
78 22 |
79 23 |
80 24 |
81 25 |
82 26 |
83 27 |
84 28 ▲ |
85 29 |
86 30 |
87 31 |
88 32 |
89 33 |
90 34 |
91 35 |
92 |
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第40番 変ロ長調 K.454
〔作曲〕 1784年4月21日 ウィーン |
|
マントヴァ出身の女流ヴァイオリニストのレジーナ・ストリナザッキ(20歳)のために。 彼女はヴェネツィアとパリで勉強したのち、1780年から83年までイタリア各地で演奏活動をし、1784年に演奏旅行でウィーンにやって来た。 ちょうどその頃はモーツァルトがウィーンで自信に満ちて活躍していた頃である。 1784年4月24日、ザルツブルクにいる父へ次の手紙を書き送っている。
マントヴァの有名なストリナサッキ、非常に優秀なヴァイオリニストですが、今当地に来ています。 このひとの演奏には、とても趣味と感情があふれています。 私は今ソナタを書いていますが、これを私たちは木曜日に、このひとの発表会で一緒に弾きます。ストリナザッキの演奏会は4月29日(木曜日)ウィーンのケルントナートーア劇場で行われ、また、モーツァルト自身は自作目録の第6番目に「1784年4月21日」の日付でこの曲を書き入れているが、彼が演奏するピアノのパートはまだ出来ていなかったため、当日は即興で演奏し大成功を収めたという。 (同様のことがブルネッティと K.379 を共演したときにもある。) そのときモーツァルトは白紙の楽譜を置いて、あたかもそれを見ながら演奏しているように装ったという。 ところが演奏会に臨席していた皇帝ヨーゼフ二世がオペラグラスでその様子を見つけてしまったというエピソードも残っている。 さらに、ストリナザッキの腕前も優れていたらしく、演奏会前に試演することなく、二人は初見で演奏したともいわれている。 チャーミングな20歳のヴァイオリニストとの共演ともなれば、28歳のモーツァルトは張り切って演奏に臨み、共演者にもその心意気が伝わったであろう。[手紙(下)] p.101
後世はこのジャンルの曲を「ヴァイオリン・ソナタ」としていることが多いが、 ヴァイオリンはあくまで伴奏であり、ソナタの主役はピアノ(クラヴィーア)であり、彼の時代もそのように理解していた。 作曲者自身も「自作目録」には「ヴァイオリンを伴うクラヴィーア・ソナタ」と記している。 ただし、この曲では、第1楽章が「あたかも凱旋門のような誇り高いラルゴ」(アインシュタイン)の序奏を通ってアレグロに達するように作られ、2種類の楽器の対等性が強調されている。 曲の最後までヴァイオリンが伴奏以上の役割が与えられているので、彼女はかなりすぐれた演奏ができたと思われる。 そのことは、1743年(24歳)のときにザルツブルク宮廷楽団のヴァイオリン奏者に採用されて以後、幅広く豊かな教養を併せ持っていた職人的音楽家であり優れた教育者であったレオポルト・モーツァルト(1756年に有名な「ヴァイオリン教程」を世に出している。右のイラスト)が、1785年12月7日にザルツブルクで催された演奏会でストリナザッキを実際に目前で見て、ザンクト・ギルゲンに住む愛娘ナンネルに、興奮覚めやらぬという感じで、
おまえがこの、けっして大柄ではないが、愛らしく、およそ23歳くらいの、醜聞とは縁のない、まことに腕のたつ女性の演奏を聴かなかったのが、私には残念です。 彼女は情感のこもらない音はなにひとつ弾かず、合奏のところでもすべてをゆたかに弾いたし、彼女が弾くアダージョ以上に情感をもって感動的に弾ける者はだれもいません。 彼女の心と魂のすべてが、彼女の演奏する旋律にあらわれています。 それに彼女が生み出す音色はまったく本当にきれいですし、音の力も同様です。 そもそも才能のある女性は、男性以上の表現力をもって弾くのです。と手紙の中で絶賛していることからもわかる。 当時のヴァイオリン奏法の第一人者とも言えるレオポルト(モーツァルトの父)からこのような評価を得ているくらいだから、モーツァルトがほかにも彼女との共演を目当てにヴァイオリンの曲を書いたとしてもよさそうなものだが、この1曲にとどまったのは、レオポルトが手紙に書いている「醜聞とは縁のない」という表現に何かの意味があるのかもしれない。[書簡全集 VI] pp.200-201
1784年夏に、2曲ピアノ・ソナタ(第6番ニ長調 K.284、第13番変ロ長調 K.333)と一緒に「作品 VII」としてウィーンのトリチェラ社からまとめて出版された。 そのときもこの曲(K.454)は「クラヴィーア・ソナタ」であり、「ヴァイオリンの伴奏つき」となっている。
〔演奏〕
CD [PHILIPS 32CD-406] t=21'53 ハスキル Clara Haskil (p), グリュミオー Arthur Grumiaux (vn) 1956年1月、バーゼル、スイス |
CD [東芝EMI TOCE-6725-30] t=22'38 クラウス Lili Kraus (p), ボスコフスキー Willi Boskovsky (vn) 演奏年不明 |
CD [COCQ 83885-88] t=21'27 セル George Szell (p), シゲティ Joseph Szigeti (vn) 演奏年不明 |
CD [DENON COCO-9167] t=22'52 オルベルツ Walter Olbertz (p), ズスケ Karl Suske (vn) 1967年、ドレスデン |
CD [LDC 278 909 CM211] t=22'14 バドゥラ・スコダ Paul Badura-Skoda (p), オイストラフ David Oistrakh (vn) 1971年、ウィーン |
CD [ポリドール FOOL-23136] t=21'59 ルプー Radu Lupu (p), ゴールドベルク Szymon Goldberg (vn) 1974年 |
CD [ポリドール LONDON POCL-2084/7] t=21'59 ルプー Radu Lupu (p), ゴールドベルク Szymon Goldberg (vn) 1974年 |
CD [Calliope CAL.9664] t=21'33 Stanislav Bogunia (p), Petr Messiereur (vn) 1985年 |
CD [PILZ Vienna Master CD 160186] t=23'44 Molzer (p), Zwicker (vn) |
CD [キング KKCC-296] t=21'37 ヴェッセリノーヴァ Temenuschka Vesselinova (fp), バンキーニ Chiara Bankini (vn) 1993年11月 ※バンキーニは1780年クレモナ製のバロック・ヴァイオリンで、ヴェッセリノーヴァはシュタイン・モデルのケレコム製フォルテピアノで演奏 |
CD [カメラータ東京 30CM-334] t=21'57 ランダル Kalle Randalu (p), インデアミューレ Thomas Indermuhle (ob) 1993年4月、カールスルーエ音楽大学 ※オーボエ演奏 |
〔動画〕
Regina Strinasacchi1764 - 1823 |
ストリナザッキは、『四季』で有名なヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi, 1678~1741)が教師を勤めたことがあるヴェネツィアのピエタ女子養育院でヴァイオリンを学び、その後はっきりしないが、パリでさらに研鑽を積んで、名を知られるようになった。 1785年秋、ザクセン・ゴータ大公宮廷楽団のチェロ奏者シュリック(Johann Konrad Schlick, 1759~1825)と結婚した。 レオポルトの言葉によると、シュリックは大柄で、礼儀正しい、鷹揚な人物であった。 夫の死後、ドレスデンで息子と一緒に暮らし、1823年6月11日死去。
彼女の弟アントーニオ(Antonio Strinasacchi, 1764?~?)もヴァイオリニストで、1787年にザルツブルク宮廷楽団に所属したが、レオポルトによると「まるで尼さんみたいに活気がない。テンポの取り方がひどくまずい。お姉さんの方がずっとうまく弾く。」と酷評されている。
〔参考文献〕
Home | K.1- | K.100- | K.200- | K.300- | K.400- | K.500- | K.600- | App.K | Catalog |