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ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 K.452

  1. Largo - Allegro moderato 変ホ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Larghetto 変ロ長調 3/8 ソナタ形式
  3. Allegretto 変ホ長調 2/2 ロンド形式
〔編成〕 p, ob, cl, hr, fg
〔作曲〕 1784年3月30日 ウィーン
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ウィーンで独立し精力的に活動し始めたモーツァルトは自作目録を作り、貴重な資料を残してくれたが、この作品はその目録の第4番である。 モーツァルト自身が「これまでに書いた最上の曲」と考えていた曲としてよく知られている。 4月1日ブルク劇場の演奏会でたぶん新作の2つのピアノ協奏曲変ロ長調K.450とニ長調451のどちらかとともに自らフォルテ・ピアノを弾いて初演した。 4月10日、父へその報告をしている。

非常な喝采を受けた五重奏曲を書いたのですが、自分ではこの五重奏曲は、これまで書いた最高のものだと、考えています。 オーボエ1、クラリネット1、ホルン1、ファゴット1、それにピアノから成り立っています。 お父さんに聴いていただけたら、と思います! それに演奏がまたどんなに美しかったことか! ともかく(実を言いますと)、弾いてばかりいたので、最後には疲れてしまいました。 そして聴衆の方が一向に疲れなかったことは、私にとって少なからず名誉です。
[手紙(下)] p.101
この時期のモーツァルトの精力的な活動についてはピアノ協奏曲第15番変ロ長調(K.450)のページに紹介したが、この五重奏曲は3月21日に予定されていた「ぼくの最初の劇場演奏会」で披露されるはずだったものであった。 これからすると、モーツァルトが自作目録に記載した「3月30日」のもっと前にこの曲は完成されていたかもしれないが、ただしブルク劇場での最初の演奏会は4月1日に延期されることになったのであった。 その理由について、モーツァルトはザルツブルクの父へ次のように伝えていた。
1784年3月20日
あした、ぼくの最初の劇場コンサートが開かれるはずでした。 ところが、ルイ・リーヒテンシュタイン公が自宅でオペラを上演するのです。 その結果、貴族の主な人たちがさらわれてしまうばかりか、オーケストラの優秀なメンバーも引っこ抜かれてしまうのです。 そこでぼくは印刷の通知を出して、劇場コンサートを4月1日に延期してもらいました。
[書簡全集 V] pp.467-468
ルイ・リーヒテンシュタインとはアーロイス・ヨーゼフ・リーヒテンシュタイン公爵(Alois Joseph von Liechtenstein, 1759-1805)のことで、彼は帝国元帥リーヒテンシュタイン侯(1730-89)の甥であり、貴族の中でもまた別格であった。 「エステルハージ侯、リーヒテンシュタイン侯などのような高い身分の人たちは他の階級を一段低いものとみている」(ロビンズ・ランドン)という階級社会にあって、演奏会の延期は避けられないことだった。 エステルハージ侯は自前のオーケストラを持ち、ヨーゼフ・ハイドンが1761年から専属の作曲家として仕えていたことがよく知られている。 貴族の名門リーヒテンシュタイン家につらなるルイ・リーヒテンシュタインも遅れて1782年に自前のハルモニームジーク(吹奏楽団)を編成していたが、モーツァルトはその楽団の作曲家になりたかったという。
なお、1784年3月20日の手紙にはアウエルスペルク公爵(Auersperg)からはじまって、モンテクークリ伯爵(Montecuculi)まで174人の予約会員の名前が列挙されている。 それだけの貴族たちが集まるとあっては、父レオポルトも黙るしかなかったと思われる。 この年の予約演奏会での収入は、ソロモンによれば600グルデンにもなり、オペラ一曲(450グルデン)よりも多かったので、独立音楽家のモーツァルトにとってかけがえのない興行であった。 これからも彼が「最初の劇場演奏会」を強行するのは愚かなことであり、演奏者の都合も考え、10日間ほど延期するのは賢明なことであった。

このような理由で延期されることになった演奏会での曲目は次の広告で示されている。

『ヴィーナー・ブレットヒェン』
本日4月1日、木曜日、楽長モーツァルト氏は帝室王室国民宮廷劇場において自身のための大演奏会を催される。 演目は次の通り。 1、トランペットとティンパニー付きの交響曲。 2、アーダムベルガー氏の歌うアリア。 3、楽長モーツァルト氏の演奏するフォルテ・ピアノによる全く新しい協奏曲。 4、全く新しい交響曲。 5、カヴァリエリ嬢の歌うアリア。 6、楽長モーツァルト氏の演奏する全く新しい大五重奏曲。 7、マルケージ(父)の歌うアリア。 8、楽長モーツァルト氏が独奏するフォルテ・ピアノによる幻想曲。 9、最後に交響曲。 三曲のアリアの他は全て楽長モーツァルト氏の作曲による。
[ドイッチュ&アイブル] p.169
この広告の6番目にある「まったく新しい大規模な五重奏曲」がそうである。 また、この広告で「楽長モーツァルト氏」とあるが、ほんとうは楽長ではなかった。 当時の楽長はボンノ(Joseph Bonno, 1711-88)であり、彼は1739年にウィーン宮廷作曲家となり、1774年に楽長ガスマンが死去したことにより楽長の職に就いていた。 ちなみに、そのときサリエリが宮廷作曲家となり、そしてボンノが亡くなったことにより、1788年にサリエリが後任の楽長に就任し、(モーツァルトが没した)1791年に解任されるまでその職にあった。 モーツァルトは1787年12月になってようやく宮廷作曲家として任用されたのである。

ウィーン宮廷には2つのオペラ・ハウス(ケルントナートル劇場とブルク劇場)があり、国民宮廷劇場はヨーゼフ2世が住んでいた宮殿(ホーフブルク)に隣接してあったので、ブルク劇場と書かれることもある。 劇場オーケストラは大規模で、演奏の水準も非常に高く、専属の作曲家により量産される質の高い作品をこなしていた。 そのほか、ドナウ川沿いのアウガルテンでも演奏会が開かれ、また、ウィーン市の城門の外にもシカネーダーの「フライハウス劇場」があるなど、当時人口が20万程度の都市にしては贅沢すぎるほど恵まれた音楽環境だった。 しかも著名な貴族の邸宅でも頻繁に演奏会が催され、子息は楽器の演奏ができることが当然の教養であった。 「ピアノが弾けず、おまけに歌も歌えないような少女などは、貴族はもちろん、平民の娘にだっていない」といわれていた。 楽器の改良と普及、ブルジョワ層の台頭という時代背景も重なっている。 聴衆は耳が肥えていたので、作曲家は「専門家を相手に音楽を書いているようなものだった」(ロビンズ・ランドン)という。 ウィーンがヨーロッパで一二を争う音楽の都に発展したのは1780年に没したマリア・テレジア女帝のあとをついだヨーゼフ2世のお陰であった。 余談であるが、当時のウィーンの人口について

ウィーンの人口はマリア・テレジアの治世に、8万8千人から17万5千人に増加した。 王宮には籠によるエレベーターがあった。 人が綱で上げ下げするものだった。 伝説によると200キロの体重があったマリア・テレジアは、体の重さのために綱が切れておっこちた。
[倉田] pp.49-50
マリア・テレジアのあと、ヨーゼフ2世の時代には約21万人になっていた。 それだけの人びとが城壁の内側にびっしりと寄り集まる住居に住んでいたが、もちろん貴族たちは大広間のある邸宅を持っていた。 また裕福な貴族は完全な編成の自前のオーケストラを持っていて、自分の邸宅で定期的に演奏会を開いているほどだった。 それほど裕福でなくても、「カール・リヒノフスキー侯がしたように、弦楽四重奏団を抱えることも多分できたはずだし、ピアノ・トリオならおよそ誰にでもすぐに組織できた」(ロビンズ・ランドン)という。

優秀な職業音楽家やアマチュア音楽愛好家がひしめき合い、より上を目指して競い合う環境にあった音楽の都ウィーンで、28才の才能と自信にあふれた青年作曲家が「これまでにない最高の作品」すなわち「誰にも真似のできない作品」を作ろうと考えたのは当然であろう。 こうしてモーツァルトは「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット、フォルテピアノ」という特殊な楽器編成がもたらすかつてない音楽の境地を切り開こうと意欲的に取り組んだ。

この曲は全く輝きとひろがりと発展を意図したもので、完全にいわゆる『長いもの趣味』で書かれているが、ことに第1楽章がそうである。 またすべての楽章──ことに終楽章──で4つの管楽器の能力を展示するのが目的なのである──終楽章には十を下らない連関する変奏曲があって、それらは管楽器の名手一人一人のための、そして彼らのさまざまの組合わせのためのものとなっている。 緩徐楽章(奇妙にも変ロ長調あるいは変イ長調あるいはハ短調ではなく、主調で書かれている)は最高のもので、両端楽章よりもいっそうはっきりとトゥッティを独奏四重奏に隷属させている。 オーケストラのウニソノのあとで、モーツァルトが弦楽器に、彼の全生涯に随伴する『座右銘的楽句』をはじめさせるとき、われわれはつねになにかなみなみならぬものを期待してよいのである。
[アインシュタイン] pp.375-376
また、ヘルヤーは次のように言っている。
この五重奏曲は、共通の背景たるピアノに対抗する4つの互いに似ていない声部を扱うという点で、モーツァルトの管楽器のための一連のコンチェルタンテ書法の中で無比なものである。 彼は、ペアの管楽器を必要とするハルモニームジークの作曲と、各管楽器を1本のみ使用するこの五重奏曲には無限の相違があることを理解していた。
[全作品事典] pp.351-352
この曲をもし実際に耳にしたとき、父レオポルトは言葉を失うに違いないとモーツァルトは思ったのだろう。 すなわち、4月10日の手紙に「お父さんに聴いてもらいたかった」と書いている裏には、「あなたの息子はもはやはるか手の届かない高い所にいるんですよ」というメッセージが秘められているのだろう。
完成度の高い室内楽にするために入念に作曲をしていたことが8ページにおよぶスケッチが残っていることからも知られている。 フィナーレには4小節で書かれたコーダの別稿が残っているが、初稿は抹消されていないので、その別稿が書かれた理由は分からない。 現在出版されている楽譜はすべて初稿に従い、演奏もそれによっている。 第1楽章は叙情的な序奏で始まる。 第2楽章推移部ではピアノの分散和音にのって管楽器が魅力的な旋律を歌い、展開部ではさらに新しい旋律で自由に書かれている。 モーツァルト独自の書法。 第3楽章最後のコーダに別稿がある。
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その後、6月10日にプロイヤー嬢との演奏会が開かれたとき、モーツァルトはこの曲を演奏している。 夏以降、モーツァルトからレオポルトに宛てた手紙が残っていないのが残念である。 みずから「最高の作品」と言ってるからには、機会あるごとに演奏していたのではないかと思われる。

余談であるが、後にベートーヴェンもまったく同じ編成の曲を1つだけ書いた。 しかも同じ変ホ長調で。 これについてアインシュタインは以下のように評している。

ベートーヴェンはこの曲を、自分のピアノ五重奏曲(Op.16)によって凌駕しようと欲するだけの価値のあるものとみなした。 そしてこの曲に及ばなかった。 モーツァルトがこの曲で、コンチェルト的なものとの境界線に触れながら、しかもこの線を踏み越えない感情の繊細さは、ただ感嘆すべきもので、凌駕しうるものではないからである。
[アインシュタイン] p.362
その結果、「ベートーヴェンは、モーツァルトには《凌駕する》余地はあまりないことを感じ、モーツァルトとの競争を避ける」ことになったという。 ベートーヴェンに限らず、この種の五重奏曲でモーツァルトに肩を並べる作品を書いた作曲家はいない。

〔演奏〕
CD [ANC 2014] t=23'00
ホースリー (p), ブレイン (hr), デニス・ブレイン管楽アンサンブル
1954年
CD [TESTAMENT SBT-1091] t=21'23
ギーゼキング (p), サトクリフ (ob), ウォルトン (cl), ブレイン (hr), ジェームス (fg)
1956年
CD [東芝EMI TOCE-6815] t=24'46
クロウソン (p), グリーム (ob), ド・ペイエ (cl), サンダース (hr), ウォーターハウス (fg)
1965年
CD [徳間ジャパン TKCC-15109] t=20'52
カスパー (p), ワーグナー (ob), シュラム (cl), シュタール (hr), ヘンヒェン (fg)
1986年
CD [PHILIPS PHCP-1114] t=24'49
ブレンデル (p), ホリガー (ob), ブルンナー (cl), バウマン (hr), トゥーネマン (fg)
1986年
CD [PHILIPS PHCP-5038] t=24'36
内田光子 (p), ブラック (ob), キング (cl), ロイド (hr), オニール (fg)
1990年
CD [PHILIPS PHCP-10366] t=24'36
※上と同じ
CD [KKCC-2304] t=24'37
ハフ (p), ベルリン・フィル木管五重奏団
2000年
CD [MDG 301 0498-2] t=25'29
コンソルティウム・クラシクム
1998年
※8重奏(編曲)

〔動画〕

〔参考文献〕


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2019/02/10
Mozart con grazia