Mozart con grazia > ミサ曲 >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12
69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18
75
19

76
20
77
21
78
22
79
23
80
24
81
25
82
26
83
27
84
28
85
29
86
30
87
31
88
32
89
33
90
34
91
35
92

ミサ曲 第10番 ハ長調 K.258

  1. キリエ Allegro
  2. グロリア Allegro
  3. クレド Allegro
  4. サンクトゥス Andante maestoso
  5. ベネディクトゥス Allegro
  6. アニュス・デイ Adagio
〔編成〕 S, A, T, B, SATB, 2 ob, 2 tp, 3 tb, timp, 2 vn, bs, og
〔作曲〕 1775年12月 ザルツブルク

短いミサ曲(ミサ・ブレヴィス)ではあるが、楽器編成は大規模なのでミサ・ソレムニスでもある。 自筆譜には1776年12月とあるが、その筆跡はモーツァルト父子のものではないとみられ、タイソンの研究により1775年と推定された。 1776年11月17日ザルツブルクでシュパウアー伯爵(von Spaur 1725-97)の聖職受任式があり、そのときのミサのために作曲されたとされ、通称「シュパウアー・ミサ」と呼ばれていたが、のちにワルター・ゼーンは「ミサ・ロンガ」(K.262 (246a))がシュパウアーのためのものだったと主張し、現在その説が支持されている。 その後、このミサ曲の方は「ピッコロミニ・ミサ Piccolo-mini」と呼ばれるようになっているが、楽器編成にピッコロは含まれていない。 この呼称の由来については、

トスカーナの名家ゆえではなく、宮廷楽士たちが小さなまたは短いという意味で、<ピッコロミーニ>と呼んだことから、現在の名に転化したものである。
[ランドン] p.151
と説明されている。 トスカーナの名家とはローマ教皇ピウス2世(Enea Silvio Piccolomini, 1405-1464)の故郷の家系であるが、この曲との関係はまったくない。 とにかく依然としてこのミサ曲の成立については謎のままである。

なお、この曲が「シュパウアー・ミサ」と呼ばれていたことについて、以下のような経緯があったことがよく知られている。 モーツァルトは1777年9月23日、母と二人で就職活動のためザルツブルクを旅立ったが、パリ滞在中の1778年5月28日、ザルツブルクからレオポルトはいつものように長文の手紙を息子に書き送っている。 旅先で遊んでいたことを咎めている部分である。

1778年5月28日、ザルツブルクのレオポルトからパリの息子へ
オルミュッツ大司教が17日に叙階式を挙げました。 おまえがマンハイムでそんなにたくさん他人のためにやることがなかったら、おまえのミサ曲は仕上げられただろうし、私に送ってくれることもできただろう。
奏楽の折にいつもブルネッティから話しかけられ、いったい誰が叙任式ミサを作るはずだったのか、それにハイドンが大司教から命令を受けるにちがいないはずだと思っていると喋ったものだった。 でも大司教は返事を与えなかったし、ブルネッティやハイドン夫人が問い合わせをしたチェルニーン伯爵やシュタールヘムベルク伯爵も、この人たちにすこしも返事をしなかったのです。 私はヴォルフガングのオルガン・ソロつきのミサを取り上げ、キリエはしかしシュパウアーのミサから取って、それらを写譜させ、実際のところ6ドゥカーテンもらいました。
[書簡全集 IV] p.80
ここで「オルガン・ソロつきのミサ」とは K.259 であり、「シュパウアーのミサ」とはこの K.258 であり、レオポルトはその2曲(どちらも2年以上も前に作曲された)をつなげてオルミュッツ大司教(Anton Theodor Colloredo-Mels und Wallsee、ザルツブルク大司教の従弟)の叙任式用ミサとして演奏したというのである。 ここでレオポルトが書いている「シュパウアーのミサ」が K.258 である確証はないが、アインシュタインはこの手紙を推定の根拠にしていた。
おそらくフォン・シュパウル伯爵フリードリヒ・フランツ・ヨーゼフ、すなわちのちのザルツブルク主席司祭の聖職授任式のために書かれたのである。 その式典には大司教ももちろん列席していた。
[アインシュタイン] p.459
レオポルトはこれほど大事な式典のためのミサ曲を息子が作曲しなかったこと、そして大司教のご機嫌をとる絶好の機会を失ったことに明らかに苛立っていたのである。

余談であるが、1791年に皇帝レオポルト2世のボヘミヤ王即位戴冠式がプラハで催されたとき、サリエリが7人の宮廷楽士(20人に増えた)を連れて随伴したが、その際、彼はこの曲を含むモーツァルトのミサ曲(K.258、K.317K.337)を携えて行った。 9月6日の戴冠式では K.317 が使われたが、8日に行われた皇女マリーア・アンナのプラハ王立女子修道院長受任式では K.258 が演奏されたと思われている。

〔演奏〕
CD [koch schwann CD 313 021 H1] t=15'35
Regina Schudel (S), Ulla Groenewold (A), Peter Maus (T), Berthold Possemeyer (B), RIAS Kammerchor, PIAS Sinfonietta Berlin, Uwe Gronostay (cond)
1983年3月、ベルリン、イエス・キリスト教会
CD [BMG BVCD-3008-09] t=15'44
アウグスブルク大聖堂少年合唱団室内合唱隊、コレギウム・アウレウム合奏団、カムラー指揮
1990年6月、Wallfahtskirche Violau

〔動画〕

〔参考文献〕

 

Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog

2018/01/07
Mozart con grazia