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ソナタ ニ長調 K.7

  1. Allegro molto ニ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Adagio ト長調 2/4 二部形式
  3. Menuetto (第1)ニ長調、(第2)ニ短調 3/4
〔編成〕 p または p, vn
〔作曲〕 1763年11月30日〜1764年2月1日 パリ
7才のモーツァルト
ロレンツォーニ作

ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第2番。 ただし、ピアノといっても、最初はチェンバロ(クラヴサン)のことである。 3月にフランスの王女ヴィクトワールに「作品1」として贈る2曲のソナタ(K.6 と K.7)の第2。

レオポルトは故郷の家主ハーゲナウアー宛に知らせている。

1764年2月1日、パリ
今、ヴォルフガング・モーツァルト氏の4曲のソナタが版刻中です。 表紙にこれが7歳の童児の作品だと書いてあったとき、これらのソナタが世間でひきおこすだろう大騒ぎをご想像ください。
[書簡全集I] p.119
1764年2月22日、パリ
私たちはおそくも二週間後にふたたびヴェルサイユにまいりまして、偉大なるヴォルフガング氏の版刻されたソナタの作品第一番を、国王の第二王女マダム・ヴィクトワールにお手渡しいたしますが、この作品第一番はこのお方に献呈されます。
同書 p.127
第1番(K.6)と同様に、この曲も当時パリで活躍していたドイツ系の作曲家ショーベルト(Johann Schobert, 1735? -67)を手本にして作られたが、第1番と違い、ショーベルトにならって「急・緩・メヌエット」の3楽章で書かれている。 ただし、メヌエットは1763年11月30日にパリで作られていたものであり、「ナンネルの楽譜帳」に父の手で書かれていたものを使っている。 そのトリオ(第2メヌエット)は初めて短調で書かれているが、それはショーベルトの影響であろう。
クラヴィーアのためのソナタのジャンルは、当時、パリで活躍しはじめていたドイツ系の音楽家たち、たとえばヨハン・ショーベルト、ヘルマン・フリードリヒ・ラウパッハ、レオンツィ・ホーナウアー、あるいはヨハン・ゴットフリート・エッカルトといった音楽家たちが育んだものだった。 2曲1組というかたちで出版することも、従来の6曲とか12曲といった連作の慣例的な形に代えて、彼らが試みたものである。
(中略)
おなじやり方でソナタを書き上げ、おなじやり方で出版することで、こうした音楽家たちに敬意を表し、かつパリの流行の趣味に迎合しようとしたのは、明らかにレーオポルトの戦術であったろう。 じっさい、第1曲をのぞいて、急速なアレグロ楽章のあとに緩徐楽章がつづき、そしてメヌエットが、トリオの役割を果たす第2メヌエットを伴ってフィナーレに置かれるというかたちは、彼らパリのドイツ人作曲家たちが好んだ楽曲形式でもあった。
[海老沢] pp.40-41
ショーベルトについて、父レオポルトはひどく嫌っていたが、少年モーツァルトは深く永続する影響を受けた。 なお、モーツァルトの誕生日は1月27日なので、1764年2月には8才になっていた。
モーツァルトの最初の2つの作品番号つき作品は、それぞれ2曲の、あとからつけ加えられたためにあまりオブリガートでないヴァイオリン・パートを伴うピアノ・ソナタから成るが、その外的な衣裳の点でも内的な作風の点でも、なによりもまずショーベルトのモデルに追随している。
(中略)
20年後のモーツァルトが、緊張、エネルギー、力においてヨーハン・ショーベルトを百倍も凌駕しているように、少年モーツァルトは百倍も劣っているのである。 ショーベルトの芸術は、8歳の少年が理解したり模倣したりしえないような、深みと予想外のものを持っている。 そして、ショーベルトはシュレージエン人で、ポーランドとの国境付近の出身だったので、しばしば民族的な魅力を持つポロネーズを(たいていは中間楽章として)書いたが、幼いモーツァルトはそれに対してカンタービレな、メロディーの点では特性のないメヌエットを対立させることしかできなかった。 もちろんモーツァルトもニ長調ソナタ(K.7)のアダージョのような、魂の奥底から流れ出た楽章を書くこともあった。 ここでは安らかに流れて行く低音の上でピアノが夢見るようなメロディーを歌い、チェロの音域のなかでは三連音符でかすかに叩くような音がする、そしてヴァイオリンは各小節に優しい囁きを投げかける。
[アインシュタイン] pp.165-167
ショーベルトはその子に音楽芸術の詩的役割をはじめて教え、彼の天才の最も根本的な可能性を自覚させたのだ。
たぶんモーツァルトはまだ、シュレージエン出身のこの巨匠のスタイルにふくまれるすべてのものを捉えることはできなかったかもしれない。 しかし、たとえばK7のソナータは8歳の子供のものとしては驚くほかはないアダージョを私たちに示してくれる。 円熟期のモーツァルトの精髄がすでにそこにあるのだ。
[オカール] p.27
第1楽章に「ロンドン小曲集」K.15t の旋律が現れている。

〔演奏〕
CD [PHILIPS PHCP-9081-2] t=9'02
ヴェルレ Blandine Verlet (hc), プーレ Gerard Poulet (vn)
1974年6月、75年1月
CD [音楽出版社 OACD-2] t=7'53
小林道夫 Michio Kobayashi (hc), 岡山 潔 Kiyoshi Okayama (vn)
1991年8月、松伏田園ホール・エローラ

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2018/07/22
Mozart con grazia