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弦楽五重奏曲 第6番 変ホ長調 K.614

  1. Allegro di molto 変ホ長調 6/8 ソナタ形式
  2. Andante 変ロ長調 2/2 変奏形式
  3. Menuetto : Allegretto 変ホ長調 3/4
  4. Allegro 変ホ長調 2/4 ロンド・ソナタ形式
〔編成〕 2 vn, 2 va, vc
〔作曲〕 1791年4月12日 ウィーン
1791年4月




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モーツァルトが残した弦楽五重奏曲の最後の作品であるだけでなく、彼の最後の室内楽作品でもある。 この曲も第5番の弦楽五重奏曲(ニ長調 K.593)と同様に、パリの裕福な商人となっていたトスト(Johann Tost)のために作られたと思われている。 その根拠は、1793年のアルタリア初版に「ハンガリーのある愛好家のために作曲」と記されていたことであるが、ただしその愛好家がトストであるという確証があるわけではない。 それでもなお、トストはヨーゼフ・ハイドンに作曲依頼したことのある裕福な商人だったので、ハイドンがモーツァルトの経済的な困窮を見かねて陰ながらトストに働きかけてくれたことはおおいにありそうである。

コンスタンツェからJ・A・アンドレー宛の1800年11月26日付手紙は、この意見を裏書きしている。 彼女はこう書いている。
当地にトーストさんとかいう人があり、ジンガー通りに住んでおられるのですが、モーツァルトの自筆譜を持っていると言っています。 モーツァルトが彼のために仕事をしたのは事実です。
この五重奏曲が4月12日に仕上げられたことを考えると、トースト家では、4月14日頃に音楽夜会があり、そこで他の立派な曲に続き、最後にこの曲の初演があったのではないだろうか。 当然トーストはモーツァルトにこの五重奏曲の作曲料と、トースト自身も参加できるような演奏の企画に対しても謝礼を支払ったものと思われる。
[ランドン2] pp.52-53

上記の日付で自作目録に記載されたこの作品はハイドンの「ロシア四重奏曲」を土台にしているといわれている。

メヌエットはドゥーデルザック(バックパイプ)・トリオを持ち、ハイドン的な率直さに満ちている。 そしてフィナーレは全くハイドン的で、室内楽の分野における唯一の偉大な同時代者への感謝を現そうとしているかのようである。 長い対位法的な傾向のある展開部もハイドン風である。
[アインシュタイン] p.270
また、ランドンはチャールズ・ローゼンの次のような言葉を引用している。
彼の最も秀でた音楽上の友人で、今はロンドン滞在中で、名誉を手にし、巨額な金まで儲けているハイドンへの彼の最後の捧げ物であった。
[ランドン1] p.124
前年の9月28日、ヨーゼフ・ハイドン(当時58才)は雇い主ニコラウス・エステルハージ侯爵の死去により自由の身となったあとウィーンに滞在し、ロンドンから来たザロモンという興業主とロンドンで仕事をする契約を結ぶ話し合いをしていた。 その結果、老作曲家は静かな引退生活最大の冒険に旅立つことになったが、同じ提案を受けていたモーツァルトの方は契約を結ばなかった。 ハイドンがザロモンと共にウィーンを離れロンドンへ旅立つその日、モーツァルトは食事を共にし、二人が馬車に乗るのを見送った。 伝記作家ディースは次のように語っているという。
・・・ ハイドンとザーロモンは出発の日取りを決め、1790年12月15に出発した。 ・・・ モーツァルトはその日友人ハイドンの傍らを片時も離れなかった。 食事を共にし、別れの時がくると彼は言った、「この世での最後の別れを述べているような気がします」。 ・・・
[ランドン2] pp.26-27
このときモーツァルトは「来年、私も必ず行きます」と繰り返し言ったともいうが、実際、これが最後の別れとなった。
こうしてハイドンの馬車はイギリスへと走り去り、あとに残ったモーツァルトは、彼自身の借金と、かつてはたいそう贔屓にしてくれたウィーン貴族の手のひらを返したような無理解さ、頼りないモーツァルトにきまった手当てをくれるだけのオーストリア宮廷の冷淡さと苦闘することになるのである。
同書 p.28
そして間もなく、ロンドン行きの構想は彼の頭から消えてゆく。 聖シュテファン大聖堂楽長のホフマン(Leopold Hofmann, 1738-93)が重病になったので、その後釜を狙ったモーツァルトはウィーン市参事会に「無給の楽長補佐」になりたいと請願したのであった。
年俸2000グルデンと日常のたいへん潤沢な現物支給(薪、ろうそく等々)が与えられるこの要職は、皇帝ではなくウィーン市当局から任命されるものであった。
同書 p.73
モーツァルトの請願(4月28日以前に提出)は5月9日に正式に認められたが、しかし彼にとって残念なことに、ホフマンは1793年(3月17日)まで長生きすることになる。 このような事態が待ち受けているとは知らずにこの弦楽五重奏曲が書かれたのである。 今日の我々はモーツァルトがこのあといくつかの作品を書いて、次の新しい年を迎えることなく亡くなってしまうことを知っているので、オカールのように
23曲のピアノ協奏曲の輝かしい連作の締めくくりとなったのは、純粋な傑作であった。 4月12日の『弦楽五重奏曲変ホ長調』(K614)もまた、光のなかで織り成された作品によってモーツァルトの室内楽を完成することになる。
[オカール] p.171
と考え、「この曲は透明な光で織り成された作品であり、最後には凝縮されたポエジーが深い孤独の上に澄み切った青空となって広がっておわるのだ」という表現に素直にうなづいてしまうが、この頃のモーツァルトはまさか自分の一生がもうすぐ終るとは思っていなかっただろう。 バーデンで療養する妊娠中の妻と息子カールを思いやりつつ、オペラ『魔笛』を完成させる大仕事で忙しかったし、また妻の付き添い役となっていたジュースマイヤー(25才)にも神経をすり減らしていた。 少なくともこの弦楽五重奏曲を書いているとき、とても「これが最後の室内楽だ」などと考える暇も余裕もなかったのである。

余談であるが、1790年以前までモーツァルトとジュースマイヤーは知り合いではなかった。 それがなぜか1791年の春以降にモーツァルト家に顔を出すようになり、あげくには妻コンスタンツェの療養に付き添うまでになったのである。 モーツァルトは彼にかなり警戒していたが、コンスタンツェの方は親しくしていたようである。 そして7月26日誕生した四男はフランツ・クサヴァーと名付けられた。 それはジュースマイヤーと同じ名前である。 またよく知られているように、モーツァルトの死後、未完のレクイエムの完成をコンスタンツェはジュースマイヤーに託したのであった。

〔演奏〕
CD [WPCC-4124] t=23'51
シュタングラー Ferdinand Stangler (va), ウィーン・コンツェルトハウスQ (Anton Kamper (vn), Karl Maria Titze (vn), Erich Weiss (va), Franz Kvarda (vc))
1949年頃、ウィーン
CD [CBS SONY 75DC 953-5] t=23'26
トランプラー Walter Trampler (va), ブダペストQ (Joseph Roisman (vn), Alexander Schneider (vn), Boris Kroyt (va), Mischa Schneider (vc))
1966年2月、ニューヨーク
CD [DENON 33C37-7966] t=25'43
スーク Josef Suk (va), スメタナQ (Jiri Novak (vn), Lubomir Kostecky (vn), Milan Skampa (va), Antonin Kohout (vc))
1981年6月、プラハ芸術家の家

〔編曲〕
セレナード 変ホ長調
Johann Christian Stumpf (?-1801)の編曲。彼はかなり有名なファゴット奏者で編曲者だった。
CD [MDG 301 0499-2] t=19'22
コンソルティウム・クラシクム Consortium Classicum
1998年9月
交響的変態
パウル・デッサウ(1894年12月19日、ハンブルク 〜 1979年6月28日、ベルリン)が1965年に編曲
CD [TKCC-15266] t=22'52
スイトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン
1965年11月、ベルリン

〔参考文献〕

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=Mks2_7fIcps] (1) t=7'12
[http://www.youtube.com/watch?v=_uof8CKIb0g] (2) t=7'12
[http://www.youtube.com/watch?v=KOxExFKJJRM] (3) t=4'18
[http://www.youtube.com/watch?v=aCry5ewA6jM] (4) t=5'30
Arthur Grumiaux Trio
1791         ※音のみで映像はありません
 


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2011/12/04
Mozart con grazia