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ディヴェルティメント 第6番 ハ長調 K.188
〔作曲〕 1773年夏? ザルツブルク |
自筆譜に別人の手で「ディヴェルティメント」と書かれた。 この楽器編成は偽作のディヴェルティメント「ハ長調 K.187」と同じ。 6つの小曲から成り、20〜60小節の舞曲風の簡単なもので、メヌエットはトリオなし。 野外用の音楽か、作曲の目的は不明。 成立時期にも異説多数あり、ケッヘルは1773年に置いていたが、アインシュタインは
フルート、トランペット、ティンパニのための吹奏楽曲の、全くこれらの系列外にある二組(K.187, 188)は、むしろ日々の必要に迫られて書かれたものと思われる。 これは軍隊用音楽、あるいはむしろ騎兵隊用音楽の仕事である。 なぜなら、モーツァルトはこれらの曲を、おそらくはメンヒベルク山麓にあるザルツブルク騎兵学校における二回の演奏のために書かなければならなかったらしく、大した功名心もなくこの注文を片づけているのである。と考え、ヴィゼワやサン・フォアなどの説を受け入れ、1776年の作 K.240b とした。 しかしその後、自筆譜の研究からプラートは再び1773年(半ば)とした。 ザスローは、その自筆譜研究をもとに、モーツァルトが3度目のイタリア旅行から戻った後の1773年3月から1775年頃までの期間に書かれたもので、モーツァルトの自作であると見ている。[アインシュタイン] p.282
他方、「ハ長調 K.187」については当時よくあったオペラから管楽器への編曲作品(シュタルツァー作とグルック作)とわかり、第6版から偽作として外されている。 それと同じ楽器編成をもつこの曲も何かの編曲であるかもしれず、成立の動機とともに完全には解明されていない謎である。
余談であるが、ロビンズ・ランドンは次のような印象深い思い出を語っている。
私の目の前には1枚の小さな写真がある。 それは1956年の1月で、私たちはザルツブルクでモーツァルトの生誕を祝っていた。 彼の誕生日の前夜で、ザルツブルクは激しい吹雪に襲われていた。 BBCラジオ放送の一隊が着いたので、私は彼らを河を渡ってレジデンツ広場に連れて行った。 塔の先端は雪の中でほとんど見ることはできなかったが、その塔から音楽が静まり返った町をよぎって、交通が途絶えた街路に流れ始めた。 曲はバレエ音楽のモーツァルトによる編曲(K187 と K188)で、編成はフルート2本、トランペット5本、それに太鼓4つだった。 BBCの連中は、ほかのすべての人たち同様、うっとりとさせられた。 それは魔法のような情景で、私たちはまるで1776年のザルツブルクにいる思いだった。[ランドン] p.6-7
〔動画〕
〔参考文献〕
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