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テ・デウム(汝を崇めまつる) ハ長調 K.141 (66b)〔編成〕 SATB, 4 tp, bs, og〔作曲〕 1769年終 ザルツブルク |
「テ・デウム」とは旧約聖書にある一節 "Te deum laudamus"(主よ、御身を讃えまつる)である。 父レオポルトは「私の好きな言葉である」と言っていた。 1767年9月11日、皇女マリア・ヨゼファ(Maria Josepha, 1751-1767, マリア・テレジア女帝の9番めの皇女)とナポリ・シチリア王フェルディナント1世(1751-1825)の婚儀のために催される祭典をめざして、一家はウィーンへ旅立ったが、そこではちょうど運悪く天然痘が大流行していた。 一家はオルミュッツに避難したが、ヴォルフガングと姉ナンネルも天然痘にかかってしまった。 このときヴォルフガングは一時的に失明し、危険な状態にまでいったと言われている。 ヴォルフ医師(Joseph Wolff)のお陰で二人は奇跡的に助かったことから、父レオポルトは故郷の家主ハーゲナウアーに喜びに満ちた手紙(1767年12月10日)を送っているが、その手紙の冒頭にこの言葉「Te deum laudamus」が書かれている。
この曲の「テ・デウム」は、その一節を用いて4世紀ミラノの聖アンブロジウス(Aurelius Ambrosius)が作った賛歌をもとに作ったもので、ヘンデル、ハイドン、ヴェルディなど多くの作曲家も曲をつけている。 少年モーツァルトが作ったこの曲はミハエル・ハイドンの作を模倣し、父レオポルトが添削した習作とみられている。
このテ・デウムはミヒャエル・ハイドンの1760年の或るテ・デウムにもとづいている。 モーツァルトはこの曲にきわめて忠実にならったので、ほとんど小節ごとに模倣の跡をたしかめることができる。 とはいえ、モーツァルト的で、構成は確実であり、合唱朗誦は心を奪うものがあり、終結の二重フーガのなかにすらも或る種の南ドイツ的=農村的な壮大さがある。自筆譜が現存しないことから、モーツァルトの真作かどうか疑われていたが、現在は「ドミニクス・ミサ」(K.66)に近い時期の作品と認められている。 動機として、女帝マリア・テレージアからの注文があったという説があるが不明。[アインシュタイン] pp.441-442
ハーゲナウアー師の初ミサのためのK66の荘厳ミサにきわめて近い。 ミヒャエル・ハイドンがこれより十年以上も前に、ハンガリーのグロッスヴァルダインで作曲した曲を、ほとんど各小節ごとに模倣していることが発見されて、非常な謎を呼び起こしたが、最近の研究によれば、モーツァルトの自筆の楽譜の一部と、レオポルトの添削のおかげで、このテ・デウムは紛れもなく彼の作品であることが立証されている。身近に先輩作曲家ミハエル・ハイドン(32歳)がいて、また父レオポルトの添削があったとはいえ、13歳の少年のこの作品の価値についてアインシュタインは次のように高く評価している。
(中略)
早いテンポと和声的な発声は、この聖アンブロジオの賛歌の歌詞のもつ韻律と意味に非常に巧みに合致しており、終曲の二重フーガは格調の高さを示す出来となっている。[ド・ニ] pp.59-60
単純な弦楽器群の伴奏(やはりヴィオラなしの)を持つハ長調のテ・デウムは、モーツァルトの教会音楽のなかで、ニ長調ヴァイオリン・コンチェルト(K.218)が器楽のなかで果たしたのとほぼ同じ役割をしている。
〔歌詞〕
Te Deum laudamus: te Dominum confitemur. Te aeternum Patrem omnis terra veneratur. Tibi omnes Angeli, tibi Coeli et universae Potestates; Tibi Cherubim et Seraphim incessabili voce proclamant: Sanctus, Domine Deus Sabaoth. Pleni sunt coeli et terra majestatis gloriae tuae. |
天主にまします御身をわれらたたえ 主にまします御身を賛美し奉る。 永遠の御父よ、 全地は御身をおがみまつる。 なべての御使いら、 すべて御国の民、よろず力ある者、 ケルビムも、セラフィムも 絶え間なく声高らかに御身がほぎ歌うたいまつる。 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、 万軍の天主、 天も地も、 御身の栄えと御霊感に満てりと。 |
(以下略) | |
公教会祈祷文による訳 CD[TELDEC WPCS-4459] |
余談であるが、フェルディナント1世は夭折したマリア・ヨゼファのかわりに妹マリア・カロリーナ(Maria Carolina, 1752-1814)と翌1768年に結婚した。 さらに、彼女の妹はマリア・アントーニア(Marie Antonia, 1755-1793)であり、のちにフランス国王ルイ16世と結婚したあのマリー・アントワネットである。 もしマリア・ヨゼファが長生きしていたら、マリア・カロリーナがルイ16世と結婚するはずだったと言われている。 彼女は母マリア・テレージアに似た政治的才能と手腕をもって凡夫フェルディナント1世をリードしたことで知られる才女だった。
マリア・ヨゼファ | マリア・カロリーナ | マリー・アントワネット |
〔演奏〕
CD [PHILIPS 422 749-2〜753-2] t=6'47 ライプツィヒ放送合唱団、ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団 1979年2月、1981年2月、ライプツィヒ |
CD [UCCP-4080] t=6'47 ※上と同じ |
CD [SRCR-8544] t=6'54 テルツ少年合唱団, シュミット・ガーデン指揮ヨーロッパ・バロック・ソロイスツ 1990年7月 |
CD [TELDEC WPCS-4459] t=7'28 アルノルト・シェーンベルク合唱団, アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス 199012月、ウィーン |
CD [AUDIOPHILE CLASSICS APC-101.048] t=7'35 Riga Sacrum Chorus and Riga Musicians 1993年、リガ |
〔動画〕
〔参考文献〕
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