17 age |
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2つのメヌエット K.61g
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どちらも成立は不明。 第1曲は父の手によりフルート2と弦楽の写譜で残り、第2曲はその楽譜の裏にピアノによる自筆譜として残る。 そのために一緒の番号で位置づけられたが、2曲の関係はないと思われるようになり、[全作品事典]は切り離して掲載している。 新全集は第2曲(K.61g-II)のピアノ譜だけを取り上げている。
第1曲 K.61g-I は1771年12月に書かれた交響曲イ長調(K.114)のために作られたと思われていたが、楽器編成にホルンが含まれてないことから、ザスローは否定している。 他方、弦楽器にヴィオラが含まれていて、これはモーツァルトの他の舞踏用メヌエットにはないことから、ザスローは「交響曲となんらかのつながりをもっていたと考えられないこともない」と述べている。 1770年にイタリアで使っていた用紙に書かれていることから、その頃に作曲されたと推測されている。
第2曲 K.61g-II の方は解明が進み、ミハエル・ハイドンの作品「12のメヌエット MH136」の第1曲をピアノ用に編曲したものであることがわかった。 ただしモーツァルト自身が編曲したかどうかについては不明。 別人による編曲をモーツァルトが写した可能性もあるという。
この曲にまつわる話として、以下のことが知られている。 1769年12月13日、父に連れられて初めてのイタリアへの旅に出たが、1770年3月24日ボローニャからザルツブルクにいる姉ナンネルに
それからハイドンのメヌエットが姉さんのお気に入ったか、今度のが最初のものよりいいかどうかも、書いて下さい。と手紙に記し、さらに5月19日にはナポリから[手紙(上)] p.11
ハイドン氏のメヌエットは、もっと暇が出来たら、そちらへお送りします。 第1番は、もう送りました。と書いていることから、この頃(14歳の)モーツァルトは先輩ハイドン(1770年当時37歳)の作品を熱心に研究していたことがわかるが、この手紙にある「ハイドン氏のメヌエット」というのがまさしく K.61g-II に当たるのではないかと推定されているのである。
・・・(略)・・・
姉さんが送ってくれたハイドンのメヌエット第12番はとても気に入りました。 姉さんがつけたバスも比べるものがないくらいうまくて、少しのミスもありません。 こういうものを時々やってみるよう、おねがいします。同書 pp.14-15
なお、この曲のトリオは「6つのメヌエット K.104 (61e)」第3曲のトリオにオーケストラ用に編曲されていることが知られている。 父レオポルトが子供たちに与えた宿題なのか、それとも勉強熱心な子供たちが互いに刺激し合って、上の手紙にあるように、先輩作曲家の作品を手本に編曲の練習をしていたことがうかがわれる。
〔演奏〕
CD [キング KICC 6039-46] t=2'16 ボスコフスキー指揮 Willi Boskovsky (cond), ウィーン・モーツァルト合唱団 Vienna Mozart Ensemble 1966年 スミス編曲。弦のみで演奏 |
CD [ポリドール FOOL-20365] t=1'02(第1曲) ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music 1981年頃 第1曲のみを交響曲イ長調 K.114 の最終楽章として |
CD [MEISTER MUSIC MM-1020] t=2'16(第2曲) 岩井美子 (p) 1996年1月、神奈川伊勢原市民文化会館 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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