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四手のためのピアノ・ソナタ 変ロ長調 K.358 (186c)
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1780〜81年 |
『ドイツ音楽の現状』 ロンドン、1773年とあることからその時期に作られた「四手のためのニ長調ソナタ K.381」と双子の作品とされている。 さらに、残された手紙に(モーツァルトのだけでなく父レオポルトのものにも)たびたび「2つの四手のためのソナタ」と記されていることから、2つの作品はモーツァルトのお気に入りだったと思われる。 しかしアインシュタインはこの曲に対して、姉弟が気楽に演奏することを目的に書かれたことを念頭に、あまり高い評価はしていない。
昨年11月のある手紙は、音楽的知識、演奏技術の両方でヨーロッパ中を驚嘆させたこの少年は楽器を使わせれば既に大マイスターであると知らせて来ている。 その手紙の筆者は少年の父の家に行って少年とその姉が一台のクラヴィーアで連弾するのを聞いた。[ドイッチュ&アイブル] p.113
残念にも、気楽でほとんど月並な《結末》の欠点にわずらわされている。 それは技術的にもほとんど進歩を見せておらず、第一楽章もまた、再びオーケストラ楽曲の《編曲》の域をあまり出ないものである。 ただアダージョだけは旋律と伴奏の音線進行との非常な精緻さを示している。ここで「技術的な進歩」とは、2年前の成立と推測されているニ長調ソナタ K.381 と比較してのものである。 しかし作曲者自身は、その後も機会あるごとに(ニ長調ソナタとともに)このソナタを使っていたことが知られている。 この曲はアインシュタインの好みではなかったのかもしれない。 ウィリアム・カウデリーは[アインシュタイン] pp.369-370
第1奏者と第2奏者による対話が多く盛り込まれ、対位法や単一の動機による構成法が豊富に取り入れられている点で、K.358 は前作をはるかに凌いでいる。 奇妙にも、モーツァルトは第2楽章で、《ミラノ四重奏曲》の第6番 K.160 の冒頭主題を、2拍子から3拍子に変えたかたちで用いている。と評価している。 アインシュタインの好みがどうであろうと、現実主義者のモーツァルトは技術的進歩を第一義に作曲活動していたのではなかったし、また、この曲は作曲者自身にとって少しも不満のある作品ではなかった。 必要があれば作曲し演奏し、なければ作曲しなかっただけであろう。[全作品事典] p.374
モーツァルトはウィーンで自立しようとしていた頃、1781年6月27日、ザルツブルクの父にこの「変ロ長調の四手のためのソナタ」を写譜して至急送って欲しいと伝えている。 ウィーンでの最初のパトロンとなるトゥーン伯爵夫人(当時34才)か、またはアウエルンハンマー嬢(当時23才)と共演するつもりがあったからである。 そしてその年(1781年)、必要があって、モーツァルトはアウエルンハンマー嬢と自分のために「2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448」を作曲する。
〔演奏〕
CD [Grammophon 429-809-2] t=14'57 エッシェンバッハ Christoph Eschenbach , フランツ Justus Frantz (p) 1975年 ※下と同じ |
CD [POCG-3407-8] t=14'57 エッシェンバッハ Christoph Eschenbach , フランツ Justus Frantz (p) 1975年 ※上と同じ |
CD [PHILIPS-422-516-2] t=12'28 ヘブラー Ingrid Haebler , ホフマン Ludwig Hoffmann (p) 1976年3月、アムステルダム |
CD [ASV CD DCA 792] t=15'34 フランクル Peter Frankl, ヴァーシャーリ Tamás Vásáry (p) 演奏年不明(1992年以前) |
〔動画〕
〔参考文献〕
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