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5つの田園舞曲 K.609
〔作曲〕 1787~88年 ウィーン |
1787年12月7日、モーツァルトは待望のウィーン宮廷作曲家になった。 その仕事は毎年冬期間の舞踏会でのダンス音楽を用意することであった。 この曲もそのために書かれたと思われるが、1784年2月9日から記録し始めた自作目録には載っていない。 ただし第5曲だけが1791年3月6日の日付で目録に載っている。 その理由は不明であり、しかもその第5曲はコントルダンス「意地悪娘たち」(K.610)と同じものである。 これらの5曲が書かれた自筆譜と、第5曲だけの自筆譜が存在する理由は謎である。 さらに作曲時期についても、従来は晩年の1791年成立とされ、K.609に位置づけられていたが、タイソンの研究によればこれら5曲はモーツァルトが宮廷作曲家になって最初に書いた舞曲の一部と見られるようになっている。 するとケッヘル番号は1787年の「6つのドイツ舞曲」(K.509)の前後に位置づけられるかもしれない。
第1曲は『フィガロ』(1785~86年)の「もう飛ぶまいぞ」を使っている。 第4曲はコントルダンスというよりもドイツ舞曲で、主部とアルテルナティーヴォ(交替曲)を3回繰り返すが、これは K.509 と共通する作りである。 なお、小太鼓は第3、4曲のみで使用される。
余談であるが、ウィーン宮廷作曲家に就任したのはグルックの死(1787年11月15日)で空席となった宮廷作曲家のポストが回ってきたことによるものであるが、前任者の給料2,000フロリンに対して、モーツァルトのそれは800フロリンに過ぎなかった。 これはモーツァルトが不当に低い扱いを受けたことの証左としてよく引き合いに出される話であるが、しかし
たとえ給料が必要な額より少なかったにせよ、ようやく宮廷に安定した地位を得ることができた。 その給料はいわば名誉料のようなものだった。 というのも彼の仕事は冬の間レドゥーテンザールで行われる宮廷の舞踏会のためのダンス音楽を書くだけのことだったからである。 「宮廷作曲家としては、仕事らしい仕事の委嘱はなかった」とニッセンは書いているが、それはコンスタンツェが嘆いたことにちがいない。ということであり、決して不当に差別されたものではなかったらしい。 むしろモーツァルト本人は名誉ある地位に満足だったかもしれない。[ソロモン] pp.647-648
二人の報酬の違いに反映されているのは、評価の差ではなく、実利に基づく対応のゆえである。 2000フローリンというグルックの俸給には競争がからんでおり、フランス宮廷への対抗策として、この額が設定された。 これに対してモーツァルトの800フローリンは、次のように考えてのみ、適切に理解される。 すなわちそれは、受領者が演奏と作曲の活動をどんな制約も受けずに行うことを可能にし、報酬の上乗せさえ先々期待できるような、永続する奨励金なのである。 しかもその額は、サリエーリが1785年からボンノの代理として宮廷オペラに配属された1787年にかけて、同じポストで(職務はずっとたくさんこなしながら)貰っていた426フローリンの、ほぼ倍額であった。 グルックとモーツァルトの俸給の違いは、任命時の二人の年齢(60歳と31歳)を比べても、納得のいくところだろう。宮廷における長年の夢だったポストをついに手を入れることができたモーツァルトが、1787年から88年にかけての冬の期間に、宮廷の期待にこたえるために、この曲が書かれたと考えても無理はない。 しかも終曲には、1783年ころにすでに書かれ、(たぶん)評判の良かったコントルダンス「意地悪娘たち」を配置することで喝采を浴びるという(心憎い)計算も内心はたらいていたのではないだろうか。[ヴォルフ] p.26
〔演奏〕
CD [キング KICC 6039〜46] t=6'12 ウィリー・ボスコフスキー Willi Boskovsky (vn), ウィーン・モーツァルト合奏団 Vienna Mozart Ensemble 1965年4〜5月 |
CD [COCO-78056] t=7'13 ヴェーグ指揮 Sandor Vegh (cond), ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ Salzburg Camerata Academica 1988年、ザルツブルク |
CD [CRCB-3011] t=14'24 ハーゼルベック指揮ウィーン・アカデミー合奏団 1990年 ※ 11曲のコントルダンスと合わせて |
〔動画〕
〔参考文献〕
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