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セレナーデ 第4番 ニ長調 K.203 (189b)
〔作曲〕 1774年8月 ザルツブルク |
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1774年のフィナール・ムジークとして作られたと思われる。 その年の8月、ザルツブルクの大学の終了式用にふさわしい、屋外で演奏される祝典向きの堂々たる作品である。 このときの行進曲は「ニ長調 K.237 (189c)」であったと考えられている。 第1楽章には序奏(Andante maestoso)が付けられ、式典の始まりの厳粛で華やかな雰囲気をかもし出している。
この曲の動機について、モーツァルトの最初の伝記著者ニームチェクは「コロレド大司教の命名日のために書かれた」と述べていた。 そのためこの曲は「コロレド・セレナード」と呼ばれることがある。 しかし現在は上記の事由が支持され定説となっている。
しかしこの日は9月30日に当っていた。 そしてモーツァルトがこのような義務をそんなにはやく果したためしはなかった。 相手がきらいな雇い主の場合にはことにそうだった。 きびしい強制の仕事をはやく片付けるように、父親がせき立てたのならば別であるが。「この日」とはコロレド大司教の命名日のことである。[アインシュタイン] p.293
〔演奏〕
CD [PHILIPS 420 201-2] t=37'40 マリナー指揮アカデミー 1986年 |
〔動画〕
行進曲 ニ長調 K.237 (189c)〔編成〕 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 tp, 2 vn, bs〔作曲〕 1774年夏 ザルツブルク |
制作日付はないが、作曲時期と調性が同じなことから上のセレナードの入場行進曲とされている。 ただし、楽器の編成が少し違う。
〔演奏〕
CD [キング KICC 6039-46] t=3'54 ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト 1964-66年 |
CD [PHILIPS 420 201-2] t=4'41 マリナー指揮アカデミーCO 1986年 |
CD [COCO-78047] t=4'24 グラーフ指揮モーツァルテウム 1988年 |
〔動画〕
交響曲 ニ長調 K.203
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当時、多楽章のセレナードから、交響曲風の楽章と協奏曲風の楽章をそれぞれ抜き取って演奏されることがよくあった。 この曲はセレナードから第1、第6、第7、第8楽章を取って作られた。 このようにセレナードから改編されたものは5曲あり、そのうち3曲は本人か父の書いた譜面があるが、この曲にはそれがない。
〔演奏〕
CD [ポリドール FOOL 20369] t=25'02 ホグウッド指揮AAM 1979-80年 |
CD [SONY SRCR-8623/4] t=24'58 ヴァイル指揮ターフェルムジーク・バロック 1991年 |
ヴァイオリン協奏曲 変ロ長調 K.203
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セレナードから第2・3・4楽章を抜粋して編集。 これらの楽章について、アインシュタインは「挿入されたヴァイオリン・コンチェルトは全く成熟しきっていて、作品のなかの真正の作品であって、ただのエピソードではない」と評している。 デニス・スティーヴンスも次のように言っている。
1つ目のアンデンテ楽章とこれに続くメヌエットとアレグロは、その特別な楽器編成と調の選択(変ロ長調からヘ長調になり、最後に変ロ長調に戻る)のゆえに、セレナード本体とは別個の、小さなヴァイオリン協奏曲を形成している。[全作品事典] p.294
〔演奏〕
CD [koch schwann WWCC 1097] t=14'12 シュナイダー Gottfried Schneider (vn), シュタードルマイアー指揮 Hans Stadlmair (cond), ミュンヘン室内管弦楽団 Munchner Kammerorchester 1990年 |
〔参考文献〕
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