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自動オルガンのためのアダージョとアレグロ K.594Adagio in F minor and Allegro in F for organ
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自作全作品目録には Ein Stück für ein Orgelwerk in einer Uhr (a piece for an organ in a clock) と記入されている。 ミュラー(ダイム・フォン・シュトリテッツ伯爵)に依頼されて、彼の芸術館内に作られた「ロウドン元帥を偲ぶ霊廟」用に作曲したもの。 のちに、ベートーヴェンも作曲依頼を受けたという。
当時、ヨーゼフ・ダイム・フォン・シュトリテッツ伯爵(Joseph Nepomuk Franz de Paula Graf Deym von Stritetz)の「ミュラー美術品陳列室 Müller Kunstkabinett」という蝋人形館に設置された時計仕掛けの自動オルガン用に、モーツァルトは
モーツァルトは翌年にかけて数曲書いたが、そのうち5曲が現在まで残っている。ただし、2曲は断片に過ぎなく、完全な形のものは3曲だけ。 その中で、この曲は1790年10月3日フランクフルトへの旅の途上、妻コンスタンツェに宛た手紙で
ぼくは時計師のためのアダージョをすぐに書いて、愛する女房の手に何ドゥカーテンかを握らせようと、固く決心した。 でも、ぼくにはとても厭な仕事なので、さっぱりうまく行かず、最後まで持って行けそうもない。 毎日書いているのだが、いつも退屈して、途中でやめてしまう。 それが非常に大事な理由でやているのでなかったら、きっとそのままにしてしまっていただろう。 でも何とかして、少しずつ無理にもやっつけて行こうと思う。 じっさい、それが大きな時計で、オルガンのように響くものだったら、ぼくも喜んでするだろう。 ところが、小さなパイプだけで出来ていて、ぼくには子供っぽい音にしか聞こえないのだ。書かれていたものと考えられている。 ただし異論もあり確定してない。 このあと、1791年3月26日の『ヴィーン新聞』に次のような報告記事が載っている。[手紙(下)] p.177
ミュラー氏はシュトックアマイゼン広場610の2階にある美術品の収集で広く知られているが、3月23日、ヒンメルプフォルト通り、造幣局の向い、建築家ゲルル氏の敷地1355に彼が世界的に有名な忘れてならない将軍フォン・ラウドン男爵のために多大な出費をもって建てた霊廟を開基した。 一見の価値ある記念堂は朝8時から夜10時まで煌々と明りがつけられており、主階段を3段昇った所に大きな門構えの入口がある。 はり紙にもなっている配られたビルからも多少のことは分るが、言葉でその雰囲気を生き生きと描写するのは不可能である。 この霊廟を訪れる人は皆それを見て驚嘆し、この功績の大きかった大人物に思いを新たにしている。 ミュラー氏はその姿を銅板に彫らせており、複製に彩色を施したものが入場の際まず最初に配られる。 座席は最高にしつらえており、一等席は1フローリン、二等は30クローネ。 1時間の鐘毎に葬送の音楽が演奏される。 曲は週毎に変る。 今週は楽長モーツァルト氏の作曲によるものである。ちょうど3月3日には「自動オルガンのための幻想曲」(K.608)が書かれているが、新聞記事の「今週の音楽」は「自動オルガンのためのアダージョとアレグロまたは幻想曲」(K.594)とみられている。[ドイッチュ&アイブル] pp.240-241
なぜならば、自動オルガンのシリンダーへの植え込み作業が必要であったため、作曲と「初演」のあいだには、タイムラグが生じざるをえないからである。[磯山] pp.60-61
この頃、最悪の経済状態(さらに健康状態も)にあったモーツァルトはプフベルクからさかんに借金していた。 そして9月に、レオポルト2世の戴冠式に向けて、モーツァルトは義兄でヴァイオリニストのフランツ・ホーファーと下男のヨーゼフの3人でウィーンからフランクフルト・アム・マインに出かけた。 その旅行のための資金として、富豪ラッケンバッヒャーから千グルテンを半年の期限で借金している。 また、この旅行でモーツァルトが期待した収穫はなかった。
その旅行に出る前に、ウィーン郊外ショッテンフェルの聖ラウレンツ教会に新しいオルガンが入り、モーツァルトは宮廷オルガン奏者アルブレヒツベルガーによる試演を聴く機会があった。 そのオルガンはヴェネツィア派のオルガン製作者フランツ・クサヴァー・クリスマン(1726〜95)のもので、彼は独自のオーストリア・オルガンを創造したといわれている。 それでなくても本物志向の強いモーツァルトにとって、ミュラーからの作曲依頼は気乗りのしないことだったろう。 しかし背に腹は替えられぬ。 こうしてこの曲が1790年の暮れに書かれた。
『アダージョとアレグロ』は、葬送行進曲の曲想の部分が、ファンファーレ風の中間部(将軍の生前のいさおしを描く)をはさんでくりかえされる、というものである。 楽譜は4段で書かれており、人間には、弾くことができない。 そこで、簡略化された編曲と、簡略化せず2台用に編曲した楽譜とが流布している。
(中略)
大胆な半音階やバロック的な「ため息モチーフ」に驚かされはするが、たしかにモーツァルトとしては、それほどの傑作とは思われない。[磯山] pp.61-62
なお、その芸術館はヒンメルプフォルトガッセ Himmelpfortgasse の建築師ヨゼフ・ゲルル(Joseph Gerl)の住居にあり、モーツァルトの最後の住居と近い距離にある。
1795年頃にコールマルクトに転居し、さらに1798年には独立した建物となり、伯爵の死後、未亡人ヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィックが引き継いだが、1819年に閉館となった。
そして陳列品は散り散りになってしまった。アルベルティーナ美術館にはロウドン元帥の霊廟を描いた銅板画が残されているという。
また、その芸術館のオルゴール類は、エステルハージ侯に仕えていたプリミティウス・ニーメッツ神父 Pater Primitivus Niemecz (彼はヨゼフ・ハイドンの友人であり弟子でもあった)によって製作されたものだという。
〔演奏〕 オルガン
CD [TELDEC K37Y 10184] t=12'46 タヘッツィ Herbert Tachezi 演奏時期不明 ウィーン Piaristen教会にある Basilika Maria Treu のオルガン(1800年頃)で演奏 |
CD [クラウン Novalis CRCB-3013] t=11'12 ハーゼルベック Martin Haselboeck 1989年9月、オーストリアのブリクセン大聖堂のオルガンで演奏。 ※ ブリクセン大聖堂のオルガンは1980年、ヨハン・ピルナーによって1758年当時のように修復されたという。 |
CD [ポリドール POCL-1559] t=9'11 トロッター Thomas Trotter 1993年11月、オランダ Farmsum の Nederlandse Hervormde 教会にあるニコラウス・ローマンのオルガン(1828年)で演奏。 |
〔演奏〕 ピアノ
CD [Grammophon 429-809-2] t=11'27 エッシェンバッハ Christoph Eschenbach (p), フランツ Justus Frantz (p) 1973年4月ベルリン Studio Lankwitz |
CD [POCG-3407-8] t=11'27 ※上と同じ |
CD [ASV CD DCA 792] t=9'39 フランクル Peter Frankl (p), ヴァーシャーリ Tamas Vasary (p) 1992年 All Saints Church, Petersham |
CD [POCL-1410] t=9'38 シフ Andras Schiff (fp), マルコム George Malcolm (fp) 1993年2月ザルツブルク・モーツァルト・ミューゼアム ※ fp : Anton Walter, Vienna, c.1780 |
〔演奏〕 その他
CD [ORFEO C239-911A] t=10'14 ウィーン・フルート奏団 1990年 |
CD [KKCC-2304] t=9'09 ベルリン・フィル木管五重奏団 Berlin Philharmonic Wind Quintet / ハーゼル Michael Hasel (fl), ヴィットマン Andreas Wittmann (ob, ehr), ザイフェルト Walther Seyfarth (cl, basset-hr), マクウィリアム Fergus McWilliam (hr), トローク Henning Trog (fg) 2000年2月、ベルリン・フィルハーモニー・カンマームジーク・ザール ※ ハーゼルによる木管五重奏編曲版 |
CD [Camerata CAMP-8013] t=6'56 アンサンブル・ウィーン=ベルリン Ensemble Wien-Berlin / シュルツ Wolfgang Schulz (fl), シェレンベルガー Hansjörg Schellenberger (ob), トイブル Norbert Taeubl (cl), トゥルコヴィッチ Milan Turkovic (fg), ドール Stefan Dohr (hr) 2001年、ゼンダー・フライス・ベルリンで録音。 ※ シェレンベルガー編曲 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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