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田園舞曲 変ロ長調 K.123 (73g)〔編成〕 2 ob, 2 hr, 2 vn, vc, bs〔作曲〕 1770年4月13日か14日 ローマ |
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モーツァルト父子は1769年12月13日、初めてのイタリアへの旅に出ていた。 1770年4月11日、ローマに到着し、しばらく滞在するが、そのときシスティーナ礼拝堂でグレゴリオ・アレグリの「ミゼレーレ」を聴いて暗譜した有名な逸話が生れた。 そしてこの曲もその頃に作られたらしい。 すなわち、4月14日ローマからレオポルトが妻へ宛てた手紙の中で、次のように書いているものがこの曲であると推測されている。
1770年4月14日、レオポルトからザルツブルクの妻へツュリル・ホフマン(Cyrill Hofmann)とは、大司教宮廷舞踏教師をつとめていた人物である。 4分の2拍子の活気あふれるこの舞曲は、弦が8小節のテーマを奏でたのち、それを全楽器で反復演奏するということを5回繰り返す構成になっているので、それに合うようにホフマンが振り付けしてくれることを少年モーツァルトが望んでいるのである。
コントルダンスを一曲送ります。 あの子はツュリル・ホフマンさんがこの曲のステップをつけてほしいと望んでいます。 また、あの人なら、二人のヴァイオリン奏者がリードをとって弾くときは、二人だけで先を踊り、それからはずっと楽員全体が全部の楽器で入ってくるたびに、踊り手全員がいっしょに踊るふりつけできるでしょう。 いちばんすてきなのは五組で踊ることでしょう。 第一組が最初のソロをはじめ、第二組が二番目のソロを、というようにやっていくのです。 ソロが五つと、トゥッティが五つあるのだから。[書簡全集 II] p.107
〔演奏〕
CD[キング KICC 6039-46] t=1'14 ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト合奏団 1964-66年 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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