全世界のモーツァルト・ファンにとっての聖地はザルツブルクのモーツァルトの生家(Mozarts Geburtshaus ゲトライデ通り9番地)であろう。
現在、そこは「モーツァルト美術博物館」となっている。
独り言>編者もモーツァルト・ファンの端くれとして、死ぬ前に一度そこを訪れてみたいが・・・
2017年10月 |
2004年5月 |
2004年5月 |
下の写真はその中にある「ヴォルフガングの生まれた部屋」である。 そこには晩年にモーツァルトが使っていたフォルテピアノが置いてある。アントン・ヴァルター製。 この貴重な遺品はコンスタンツェから息子カール・トーマスの手に渡り、1856年にモーツァルテウムに寄贈された。
ヨーゼフ・ランゲ作 |
「ヴォルフガングの生まれた部屋」 |
ピエトロ・アントニオ・ロレンツォーニ作 |
1773年9月下旬、モーツァルト一家はヴォルフガングが生まれたゲトライデガッセ(家主ハーゲナウアー)からハンニバル(現在のマカルト)広場にあるもっと大きな住居に引越した。 24歳まで住むことになる。以前の住人から「舞踏教師の家(タンツマイスターハウス)」と呼ばれていたが、現在は「モーツァルトの住居 Mozart's Wohnhaus」と呼ばれている。
この家は第2次世界大戦中の1944年10月16日、連合軍の爆撃で3分の2(右図の赤線から右側)が破壊され、51年に5階建の保険会社ビルに変わってしまったが、55年に国際モーツァルト財団が残りの部分を買取り、さらに世界中からレンガ1個3,500円の寄付を集め、ビル買収の資金作りを始めた。
89年に買収が実現し、94年に生家の再建着工、96年完成。
約15億円の工費の半分以上が日本人からの寄付。その筆頭は某生命保険会社の8億円。5つの展示室を持つモーツァルト博物館として蘇った。
父レオポルトの生家
ヴォルフガング湖(Wolfgang See)の西端に面したザンクト・ギルゲン(St. Gilgen)に母の生家がある。 そこは1983年から記念館になった。 壁には母アンナ・マリアと娘ナンネルのレリーフが掛けられている。
市庁舎 |
幼いモーツアルトがバイオリンを弾く像 |