突然の暗闇の中、彼女は何も映さなくなった液晶画面から目を上げた。
忌々しそうに小さく舌打ちすると、携帯型端末の蓋をぱちんと閉める。
 
「…ついてないわ。あとちょっとだったのに」
 
 冷静な声で小さく呟くと、SAYはちらりと窓の外を見た。
だんだんと闇に目が慣れてくる。
いつも変わらず輝き続けるこのステーションの核が放つ青い光だけを頼りに、予備用の補助電源をいくつかかき集めると、彼女は立ち上がった。
 
(あたしの所為じゃ無いと思うけどね)
 
 確かに、このメインゲートの管制システム『GDMS-002』への不法侵入を試みたのは事実だ。
だがそれはただ、自分の知的好奇心を満たしたかっただけ。最新鋭の自立型AIを搭載していると聴いたからだ。
けれど、まだ自分はデータには手を付けていなかった。もちろん攻勢プログラムで攻撃を仕掛けたりはしていない。
 
(それにしても…あれが噂の「村雨」だったのかしら…)
 
 一瞬垣間見たCGの天女。幾重にも薄布を羽織り、振り向いた長い黒髪の姿は完全にその電脳世界には場違いな物だった。
だが、着物の裾…そして頭に付けられた銀のヘッドセットから伸びる無数のコードは、彼女が永遠にそこに呪縛されている事の象徴では無かったのだろうか?
 ふと、我に帰ると彼女はゆっくり歩き出した。どちらにしてもただ事ではなさそうだが、ここにいても何の解決にもなりはしない。
足は自然にいつもの喫茶店に向かっていた…。
 

 
 「うわ〜…やっぱり真っ暗だぁ……大人しくしてればよかったかなぁ?」
 
 勝手に様子を見てくると出て来てしまった事をプリシアはちょっと後悔していた。廊下にあった常夜灯で足元を照らしながらゆっくりと歩く。
暗闇が…そして不思議なほどの沈黙が彼女の心に恐怖を与えていた。自分の足音すらもその沈黙に吸い込まれてしまいそうだった。

「さっき見に行った窓はここだったよねぇ?」
 
 沈黙と暗闇を追い出すように無理矢理明るい声で彼女は言う。廊下の先に大きな窓があり、そこから大きな宝石のような奇麗なコアが見えるのだ。
 
「…あれ?」
 
 見上げて彼女は息を飲んだ。きらきらと奇麗に輝いているはずのコアが、今にも消えそうに明滅している。
 
「ああ!!せっかくきれいなのに、きえちゃだめだよ!!」
 
 思わず彼女は背中の翼を開いた。右足で軽く床を蹴るとふわりと空中にその身を躍らせ、コアに向かって飛んでいく。
分厚い硬質樹脂の窓に頬を付けて彼女は首を横に振った。
 
「いやだよぉ…消えちゃ……」
 
 徐々に光を失っていくコアを見ながらプリシアは何かを思い付いたように向きを変えた。
何とかしなきゃ…何が出来るか分からないけれど。とりあえず何もしなければ問題は解決しない。
異常が起きてるところへ行けば何か分かるはず。何かが分かれば解決できる。そう思ってた。現にそうやって生きてきてたんだから。
 
 メインゲートの中枢部に向かって、彼女の翼は速度を上げた。
 



 
 『彼』は、ロッカーを勝手に開けると、中から軍用と思われるケブラー繊維製のコートを取り出し、替わりに気絶させて縛り上げた若いオペレーターをぶち込んだ。
 左上腕部に「FG」のロゴの入ったそのコートをまるで前から自分のものだったかのように無造作に羽織る。実際、サイズもちょうど良かったが。
 
「ねえねえ。遊んでてもいい?」
 
 自分専用の小さなキーボードを抱えて機材の中ではまるで場違いな妖精は男の顔を見上げるとにっこり微笑んだ。
 
「だってさぁ、保安システムとかそー言うのぜんぶ手動に切り替えたでしょ?いじってみたくて、ね♪」
 
 いたずらっぽく無邪気に微笑む妖精に『彼』は小さくため息を吐いた。
 
「……駄目だといっても結局いじるんだろ?」
「うんっ
 
 思いっきりうなずいた妖精に呆れながら、『彼』はメンソールのタバコを手に取った。
火を付けようとしたが、思い直したようにまたポケットに仕舞い込む。
 
「まぁ…少しくらいなら良いが……ものを壊さない事と客を殺さない事、それだけはちゃんと守ってくれな…」
「え〜? どうしてぇ? それじゃ面白くないじゃない」
「駄目なものは駄目だ。…そういう依頼だからな。」
 
 わずかにウエーブのかかった銀色の髪の毛をうざったそうに掻き揚げながら、『彼』は当然のように吐き捨て、
不服そうに頬を膨らませると妖精はその辺のコンソールにちょこんと座り込んだ。
その姿を一瞥すると『彼』は奥の扉に近寄り、電子ロックの入力端末に慣れた手つきで解除コードを打ち込む。
 
「何処行くの?」
「囚われのお姫様に会いにな」
 
 振り向いた彼のうしろで扉は音も無く閉まった。
 


 
 受話器を握ったまま、ミチアキは呆然と立ち尽くしていた。
 
「…どうなさったんですか?一体……」
 
 心配そうに声を掛けてきたショウに気が付いてミチアキは慌てて受話器を置く。
 
「あっ、と…とりあえずコーヒーでも入れるね」
 
 コーヒーメーカーに出来上がっていたコーヒーを人数分注いでみんなに配る。
フェイは黙ってタバコに火を付けた。
 
「フェイさぁん…こんな時にぃ………僕嫌いなんだってば…」
「…いいじゃないですか、こういう時くらい」
 
 平静を装ってつらっと答えるフェイの指先は微かに震えていた。
…暗闇は嫌いだ。あの時の事を、そして人間としてすら扱われなかった自分を思い出すから。
わずかに甘い香りのする煙をゆっくり吐き出すと、彼は内線電話の受話器に目をやった。
 
 カランと、入り口のドアに付けられたベルが鳴り、ショートカットの女性が入ってくる。
 
「あ、いらっしゃい。コーヒーくらいしか出せないけど飲みます?」
「…えぇ、いただくわ」
 
 眠そうに前髪をかきあげて、SAYはカウンターの席に座り答える。
携帯用端末を開くと、予備電源を接続して立ち上げ、破損データとエラーのスキャンをはじめる。
小さくあくびをして、コーヒーに砂糖を入れ、だるそうにかき混ぜる。
 
「ここは回線つながるかしら?」
「それが…駄目なんです。切られちゃったみたいで…」
「…切られた? どういう事なの?」
 
 おずおずと答えるミチアキに半分予想していたように冷静にSAYは聞き返した。
自分が、その場所の壊滅を依頼されてハックするのならば、まず他の場所への通信回線は遮断するだろう。
 
「先ほどの電話の主ですか?」
 
 補足するように聞き出すショウに、ミチアキはうなずく。
 
「…全然知らない声だった……感情のこもらない冷たい声でさ。メインシステムと外部への通信中継局…それから内部回線を遮断するってさ。
……男の人のはず。キタさんと同じくらいの年頃に聞こえたけど…」
 
 管制室が占拠されたのだろう。そこからでなければ一度に三つのライフラインを同時に止めるような事はできないはず。
 
「…どうしよう……ねぇ、どうしたらいいとおもいます?」
 
 こんな時に限ってマスターに連絡が付かず、菊一文字も居ない。
 
「情報が少なすぎる。今は見(けん)に回るほうがよさそうだな。」
 
 ブラックのコーヒーをすすりながら、北はぽつりと答えた。
怪訝そうな顔でフェイが振り向く。
 
「なんです?その『見』っていうのは…」
「様子見さ。日和見といってもいい。……今は下手に動かない方がいい、と思うんでね」
 
 そのまま、全員が次の言葉を継げぬまましばらく時が過ぎた。
重苦しい沈黙があたりを包み込んだ。
 


 
「雷牙さん、とりあえず喫茶店のほうに行ってていただけませんか?」
 
 振り向くとチタンの電脳騎士は穏やかな合成音声でそう告げた。
 
「どうするの? 菊一文字は…」
「私は中枢に向かいますよ。連絡が付かないなら直接行くしかないでしょう?」
 
 言いながらホルスターからハンドガンを抜き取り、残弾数を確かめる。
相変わらず、銀色の仮面には何の表情も浮かばないが、その声にはしっかりとした決意の色が見てとれた。
 
「…んじゃぁ、ちょっと待って!……これをこうして………」
 
 雷牙が取り出していじり始めたのは改造してくれるように頼まれていたミチアキとフェイのPHSだった。
 
「このタイプの機種って隠しコマンドいれるとトランシーバーになるんだってさ、知ってた?」
「はぁ…それは便利ですね。それなら私が片方持っていけばいいのですか?」
「そういう事♪ うん、できたよ」
 
 ピーっと二つのPHSが電子音を発する。青いほうのPHSを菊一文字に手渡し、パールピンクは自分のポケットに入れた。
 
「では、行ってまいりますね」
「無茶しちゃ駄目だよ、菊一文字。これ以上壊れたら僕じゃ直せないからね」
 
 えぇ、分かっています、と菊一文字はうなずく。そして、彼らは反対の方角に向かって走り出した。
 


 
 規則正しい靴音が廊下から響いてきた。扉が開くと同時に『彼女』は振り向いた。
 
「あら…ちがいましたのね。てっきりマスターかと思いましたのに」
 
 発光する円形の台の上でホログラフィーの天女は振り向いた。見慣れない長身の男の姿に彼女はやさしく微笑みかける。
『彼』は表情を変えぬまま『彼女』に近づいた。
 
「奴はどうした? 姿が見えないようだが…」
「あぁ、マスターの事ですの? 確か、正宗の起動試験だとかで席を外しているはずですね」
 
 おっとりとした口調で『彼女』は答える。

「警戒しなくていいのか? お前もガーディアンなのだろ、村雨…」
「えぇ、ぜんぶ知っておりますわ。 わたくしの回線を物理的に遮断したのも、メインシステムをロックしたのも貴方ですものね」
 
 村雨はにっこりと笑顔を浮かべながら穏やかに答える。
 
「そんな必要有りませんのに…言っていただければわたくし手伝いましたもの」
 
 男は意外そうに紫の瞳を見開いた。
 



 カラン…。またドアに付けられたベルが音を立てた。
明るい光球を右手の上に浮かべて、入ってきたのは白い髪の少年だった。
 
「おお・・・やっぱここも停電なのか・・・よーミチアキ、何か食わせてくれない?」
 
 陽気にそう話し掛けて彼はふと、店内の雰囲気がおかしい事に気が付く。

「ん?なんだ?皆鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔しちゃってさ・・・・
ま、良いや・・・とりあえず飯くれよー・・・・腹減っちゃて死にそう・・・。」
 
 んでも気にせずにカウンターにすがり付いてミチアキに目で訴える。
 
「って、君さぁ…そー言って前も僕にごはんねだって忙しくなった隙にお金払わずに逃げちゃったじゃない…」
「いやぁ、細かい事は気にしない気にしない。心がせまいと生きていけないぞぉ♪」
 
 言いながら彼は馴れ馴れしくミチアキの肩をぽふぽふ叩く。
お前みたいないいかげんなやり方のほうがよっぽど生きていけないと思うぞ。
 
「しょうがないなぁ…電磁調理機も電子レンジも使えないからろくなもの作れないよ。
 せいぜいさっき煮てたカレーか、あとサンドイッチくらいしか無理だもん。」
 
しぶしぶ言いながらもミチアキは手際良くコーヒーを注いで手渡す。
 
「試してみたけどやっぱり駄目ね。回線が押さえられてちゃ、メインコンピューターまではたどるのは無理ね」
 
 あきらめたようにぱたんと携帯端末の蓋を閉めると、SAYは小さくあくびをした。
 
「そうなんだ…じゃぁここからじゃ無理だねぇ。 何やってんだろ、菊一文字」
 
 がさごそと冷蔵庫の中を探りながらミチアキは呟いた。
早く復旧してくれないと冷蔵庫の中身が傷んじゃうな、そう思った。
それだけじゃない。生命維持のためのシステムが止められていれば遅かれ早かれここに閉じ込められたまま死に至る事になるかもしれない。
 それだけは避けなきゃならない。そう思った。
 
「…んっ、なんだぁ? 深刻そーな話して…」
 
やや冷めたカレーを口に運びながら白髪の少年はのんきそうに声を上げた。
 
「管制室乗っ取られちゃったみたいなんだよ。そのせいで、電気も回線も止められてるんだ」
「ならよぉ、 むぐむぐ… 行ってみりゃぁいいんじゃねーか?」
 
 さらっと言った一言に全員の視線が集中する。
 
「え? なんだぁ? 俺何かまずい事言ったか? カレーは美味いけど
「…そんなっ、危険ですよ。相手の出方を見てみないと…。何が起こっているのかまだ把握できていませんし…」
 
 慌ててショウが止めようとしたが、少年は更に続ける。
 
「んなもん、ここでじっとしてるより行ったほーが分かるんじゃねーか?
要は、悪ぃ奴に乗っ取られた、だったらそいつを倒せば万事解決。違う?」
「・・・そちらさんだけで行けば? 忠告までに言っとくと、セキュリティは全部止まってるよ。手際から言ってそう簡単に行く相手とは思えないけど?」
 
 軽蔑したような眼差しでSAYはぽつりと言い、前髪をかきあげた。

「あ。そうだ…第二通信室!」
 
 思い付いたようにミチアキは叫んだ。
 
「緊急用の直通回線があるんだよ! メインシステムへのログインと、救難信号の発信しか出来ないけど」
「なるほど…、それを使うというのも手ですね」
「じゃぁ、そうする? あたしをそこまで直接連れていってくれれば出来なくも無いけど?」
 
 飲み終わったコーヒーカップを置いてSAYが立ち上がる。
カラン…また、入り口のドアについたベルが鳴り、小柄な少年が顔を出した。
 
「…ふぅ、走ったら疲れちゃったよ。水くんない?ミチアキ」
 
 雷牙はそう言うとカウンターまで歩いてくる。
ふと、天井を見上げたショウが声を上げた。
 
「生きてますよ! セキュリティシステム!!」
 
 天井の隅のカメラが彼らの動きを追うようにゆっくりと動いていた。



「くそっ!ペンライトじゃ暗くて歩きづらいぜ・・・」
 
 悪態を付きながらリッキーは暗い廊下を歩いていた。
ぱさぱさという羽音に彼は振り向く。
白い翼の少女が後ろから飛んできていた。彼を追い越したところでふわりと着地する。
 
「よう、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもびっくりしたよぉ。 電気は消えちゃうしコアも消えちゃうし…」
 
肩で息をしながらプリシアは答える。
 
「あぁ、俺も見た。だからさ、様子を見に行こうと思ってね」
「じゃぁ、あたしもいきます〜。何とかしなきゃたいへんだもん」
 
 並んで歩きながら、二人は居住区第一層から第二層へ向かう道を探していた。第二層の中央からコアへ、更には管制室へいけるのだ。
エレベーターは止まっているはずなのでそこまで行くには階段を上がらなければならないが。
 
「あぁ? なんだこりゃ?」
 
 ペンライトが薄く照らし出した廊下に、鉄の固まりのようなものがうずくまっているのが見えた。
良く見るとそれは工事用の作業ロボットだ。
 
「何々?ロボット? 菊一文字と形全然違うね」
「おーおー、機能停止してんなぁ、どれどれ?」
 
 つなぎのポケットからスパナを取り出すとリッキーはそのロボットにふれる。
調子の悪いロボットはほうっておけない性質なのだ。
 
「おい。ここ少し漏電してるぞ」
 
 絶縁ゴムを取り出して修理をはじめようとした瞬間、プリシアが叫んだ。

「危ないっ!」

 突然起動した作業ロボットは、アームをリッキーに向かって振り上げていた。
とっさにプリシアが腕を引っ張り、ぎりぎりのところをアームが掠めていく。
 
「やっべぇ〜、逃げるぞ!」
 
 リッキーの左手をつかんだままプリシアは翼を広げた。作業用ロボットはゴム製のキャタピラで追いかけてくる。
 
「やだっ! こっちいきどまりだよぉ!」
 
 間違って入り込んだ通路は先がまだ工事中のフェンスで閉鎖されていた。
 
「ちぃぃっ! プリシア!お前飛べるんだから頭上通って逃げろ!」
「やだやだっ!恐いよぉ!」
 
 いきなり強い風が舞い上がり、作業ロボットに吹き付ける。
だが、風に押し戻されながらもじわじわとロボットは距離を詰めてくる。
 
「いやぁぁぁぁぁっ!!!!!」
 
 半狂乱になったプリシアが起こした竜巻でロボットは吹き飛ばされてひっくり返り、ちぎれたフェンスが彼らに覆い被さるように倒れてくる。
その時、突然金色に輝く魔法陣が出現した。魔法陣から吹き出す閃光は彼らを守るように包み込む。
 
「いやぁ、ちょうど良いときに来ましたね」
 
 すんでの所でフェンスを肩で受け止めたのはチタンの鎧の電脳騎士だった。
 

「良いのか? 離反行為を行えば消去されるのだぞ?お前は」
「だって…、わたくし退屈してましたの。それに、わたくしぜんぶ知ってますもの…貴方の依頼人も目的も♪」
 
 そうか…と『彼』は呟くと、メンソールのタバコに火を付けた。
 
「何も知らないのは菊一文字兄様だけですわ。あぁ…あと、ゲストの方達もですのね…」
 
 無邪気に微笑む『彼女』を一瞥して、『彼』はふぅっと煙を吐き出した。
 
「そうそう、今は何と呼べばよろしいんですの? 兄様」
 
首を横に振ると、『彼』は答えた。
 
「俺か? …俺の名は『フェンリル』だ」


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