時計は12時45分。
紅茶のカップをことりと置いて、彼はゆっくりと息をついた。
微妙に遅めの昼食を終えて、いつものように食器を片付けに入る。
シンク上の棚に貼ったメモに目を通して、洗い終わった皿を手際良く拭いて片付ける。
そう、いつも通りの毎日。
ただ、この後に予定が入っていたけれど。
「えーと…小麦粉…卵に………」
慣れた手つきで戸棚から材料を取り出し、ミキシングボールに泡立て器…計量スプーンにゴムベら…
いつもはコットンのテーブルクロスのかかったテーブルには汚れないように新聞紙。
「あ、いけないっ!」
一応、ドアに準備中のプレートをかけておかなきゃ。
向かいの棚に載せてあったプレートに手を伸ばすと、ふわりと手元へ寄ってくる。
「こらこら…、気軽に使ってていいのかよ?」
呆れたような声。振り向くと苦笑いを浮かべた見なれた姿。
手にはダンボールの包みを抱えている。
「うわっ!と…なんだ、フェンリルか…」
「…なんだ、じゃねーだろうが…。入ってきたの俺じゃなかったら不味かっただろ?」
彼、ミチアキは一見、ちょっと器用な普通の少年だが、実はちょっと人とは違う力を持っている。
それは、一部の人間しか知らないことだが、まぁ…ここではどうでも良いことだ。
フェンリルは、抱えてきたダンボールの包みをひょいとテーブルの上に置くと、爪先で封を切り、こじ開ける。
「あ、ちゃんと間に合ったんだ」
「そりゃぁ、村雨に手配させたんだから手違いなんざあるわけないだろ?」
包みの中から取り出すのは色とりどりのエプロン。
それぞれ胸の所にこの喫茶店のロゴが入っている。
深緑色のエプロンをミチアキは手に取ると、嬉しそうにつけて見せた。
「思ったより良い感じだよ♪ やっぱ村雨ちゃんにやってもらって良かったね〜♪」
「こういう事する暇だけはあるからなぁ……」
GDMS-002「村雨」。このゲートステーションを管理するホストコンピューターのシステム。
十代後半の少女を想定した人格プログラムが組んであり、電脳世界でのテクスチャは天女。
可愛らしい外見と、外見どうりの中身。そして、コレだけの規模のステーションの管理を出来るだけのキャパシティ。
いろんな意味で侮れない娘である。
唯一残念なことは、彼女は電脳空間からこちらには出てくることが出来ないということだが。
「あー…煙草吸っていい?」
「換気扇の下でね♪」
時計は13時05分。
まだ、お料理教室の参加者は集まってきていない。