Mozart con grazia > このホームページの由来について
 

モーツァルト・コン・グラーツィア


 
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出会いと収集

このホームページは、あるときモーツァルトの曲を聞いて「何かただならぬもの」を感じ、それ以来ずっとその音楽に耳を傾けてきた一人の愛好家がモーツァルトの作品をノートにメモし始めた data book から生まれました。

その愛好家とは何か楽器を演奏できるわけでなく、音楽の勉強を専門にしたわけでもなく、ただモーツァルトが好きだという(世界中に大勢いる)人種の一人であるにすぎません。 そのノートはしばらくしてカードに変りました。その方が調べやすいからという理由からです。 やがて、ワープロという便利な道具と、CDという音楽媒体が世に現れて、データの管理と検索が飛躍的に容易になりました。 その時点で所有していたわずかな LPを手放し、CDを中心としたデータの収集と編集に的を絞り、その作業をパソコン上で行うことに決めました。

そうして収集し編集したデータがある程度まとまった段階でルーズリーフに書き出し、数名の仲間にプレゼントしましたが、それがその data book の初版となります。 そしてもう一度ルーズリーフ形式による版を出した後、いよいよ表紙つきのまともな製本で第3版を自費出版しました。そのときの序文が下記にあります。 さらに翌年も製本により第4版を出しましたが、編者を何よりも困らせたのが印刷の過程でした。 経費を切り詰めるために印刷を自分の手で行い、製本だけを業者に任せていたためだからです。 1冊分の全ページを印刷するのに(もし休まずに通して行ったら)約9時間かかります。 それを毎晩モーツァルトの曲とアルコールに酔いしれながら数ページずつ印刷していく作業が続きました。 しかしその間にも新たなデータが増えていきます。 約3ヶ月かけて20冊程度の本が出版できた頃には、すでに次の版の予定を考えなければなりませんでした。

インターネットの利用とタイトル

しかし世の中はうまくできているようで、今度はインターネットの登場です。 更新したデータは印刷という過程なしでそのまま伝えることができます。 古いパソコンから新しい(インターネットのできる)パソコンにデータを移植して、体裁をほとんど変えずに公開したのが1997年1月27日でした。

それからは編集方針が変わり、作品データを年代記の中に並べることから切り離し、もっと広い範囲のデータとも関連(リンク)するようにしました。 ただし内容は、自分自身のためのノートから出発しているために、一般的というより個人的な(自分向けの)ものになっているかもしれません。 名称については、最初使っていた「私のモーツァルト」や「モーツァルト探究」をもっと自分のイメージに合うものに変えたいとずっと考えていました。 いろいろ考えた末に、1998年11月から、このホームページの名称を「モーツァルト・コン・グラーツィア」としました。 「モーツァルトを、優美に」というわけですが、それはある本との出合いから生まれました。 そして「A data book on ...」はサブタイトルとして残すことにしました。 以下は私の友人に説明したものの一部です。

私ゃイタリア語はちっとも分からないが、グラーツィアとは「優美」という意味らしい。

昭和52年(1977年)に新潮社から「音楽を愛する友へ」という文庫本がでた。 著者はピアニストのフィッシャー。 その中から一部を引用してみよう。

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ところで、モーツァルトを真っ先に我々の世代に告げてくれたのは誰であったかといえば、それはリーヒャルト・シュトラウスとフェルッチオ・ブゾーニである。

ブゾーニについてはこんな話がある。 ずっと晩年のある日、彼は長らく耳にしなかった「後宮よりの誘拐」を聞いた。 すると、どうだろう。 あの冷静で、あれほど泰然自若たる精神の持主であるこの人の、精進に疲れた顔の上を、幼児のごとき喜悦の涙がつたったというのである。

また別のおりのことであるが、モーツァルトの曲のある箇所が感傷的に引きずるように演奏されたとき、「嫋やかに! 諸君」と彼が注意を与えているのを私は聞いたことがある。 まことに、嫋やかさの中に、憂いに曇らされることのない飛翔の中に、生き生きとした線の中にこそ、よき演奏の秘密があるのだ。

芸術家の容貌とその作品との間に或る種の共通性のあることについては、今までにもしばしば論及せられたことがあるが、確かにその通りである。 モーツァルトの華奢で貴族的な手は、好んでパッサージュやトリルや装飾音を撒き散らした。 「風にそよぐリボンの上の軽き木の葉」のごとく。 だから、君もまた撒き散らしたまえ、ただし、・・・・優美に。

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少し長い引用文だが、肝心の「優美に」の意味がよく分かるようにと思い、引っ張った。 そして、この「優美に」という言葉に「コン・グラーツィア」とルビがふってあったのだ。

中学3年か高校1年か、その頃、ラジオから流れた音楽を耳にして、「ただならぬもの」を感じた。 それ以来ずっとモーツァルトを追いかけている。 最初「私のモーツァルト」なんてタイトルで作っていたが、いよいよインターネット上で公開しだしたとき、もっとピッタリくるものが欲しいと考えた。 あれこれ探して本を読んだりして、名前を探していた或る日、昔に読んだ文庫本を手にしていた。 そして、上記の一節に出会った。 「そうだ、これこそ自分が探していたものだ!」と、決まった。

これが亡くした最愛の娘の名前だとは知らなかったが、不思議な因縁だね。

人生とは出会いだと思う。 人間は人間と出会ってこそ人生の意味を知る。 そして、出会いはまた別れでもある。 駆け抜けるようにして目の前から去った一人の少女。 モーツァルトもまた、駆け抜けるようにして人生を終えた。 あとに残るのは言葉にならない「懐かしさ」がまさに「風にそよぐリボンの上の軽き木の葉」のごとく・・・。

なお、実際にふってあったルビは「コン・グラーチア」でした。 その正確な綴りについては、野口秀夫氏に尋ねて教えていただきました。

編集についての雑感

個人的な好みを語ることは避け、史実にもとづいた内容にしようと努めています。 まず、自分自身が分かりやすく、調べやすいように、作品とそれに関連することをリンクさせ、立体的に編集しています。 そして自分の旧式パソコンでも閲覧に不満がないように、テキスト中心にし、OSやソフトに依存する表示にならないように気をつけています。 どのページもできるだけ軽く閲覧できるようにしようと努めているため、テーブル・タグを用いた表の使用さえも極力ひかえていますが、やはり一覧表があった方が見やすいことは確かです。 そのため、雑然とした印象の強いページに表を取り入れて書き直したところがあります。もし以前より閲覧が重くなったと感じる場合があれば、お許し願います。

2001年12月、21世紀最初の年が終わろうとする頃、何とも暗い世相に包まれて、「これが新世紀なのか、野蛮だとバカにしていた昔と少しも変わらないではないか」と、私は夢破れた思いがしました。 もし今、モーツァルトが生きていたら、彼ならこの重苦しい空気を一瞬に吹き払うような曲を作り、我々に生きる楽しみと喜びと勇気を与えてくれるに違いないと思います。 そこで、せめてここを訪問してくれる人がハッピーになるようなページにしようと決心しました。 そしてページレイアウトも統一感をもたせたいとも考えました。 ただし私には良いセンスがなく、また飽きやすいので、パッチワークのように様々なレイアウトのページがつながっています。 閲覧が重くならないことに配慮しつつ徐々に更新していますが、すべてのページが完成するまでには数年かかるかもしれませんし、その前に私のお迎えがあるかもしれません。 どちらにしても寛容な目で見ていただければ幸いです。

インターネット上で多くの優れたモーツァルト関連サイトを知ることができたのは私の大きな喜びであり、励ましとなっています。 自分のページも同じようにありたいと願いながら編集しています。 まだ目を通したことのない文献、まだ耳にしたことのない曲や演奏などがたくさんあり、モーツァルトの世界は気が遠くなるほど広いけれど、これからもミミズのように自分の畑をマイペースで耕し続けて行こうと考えています。 内容は素人の個人的な趣味の範囲を超えることができず、いたるところに曖昧な記述があったり、矛盾する事がらが前後しているかもしれません。 ただし、独り善がりにならないように、多くの人に見てもらえるように、と願いながらパソコンに向っています。 もし問題となる部分(あちこちにたくさんあると思いますが)、いろいろな意味で不備な点があれば ChezY の管理者を通して御教示いただければ幸いです。 改めて言うまでもなく、すべてのページは編集の途中です。ページ毎に「最終更新年月日」を記しています。

森下 未知世

 

■ The 3rd edition (1994年12月)の序文 

これは、市販されている書籍やCDなどをもとに得た個人的なデータを年代順に網羅したものである。 作品のリストだけでなく、当時の手紙などの記事も前後に配して、作品の背景となる部分にも紙面を費やした。 モーツァルトは実生活をそのまま作品に反映させたり、むき出しの感情を描写するような野暮な作家ではなかったが、作品は彼を取り巻く状況とまったく無縁に生まれたわけではない。 むしろそれをどのようにして洗練した作品として化したかを見ることも、彼を理解する上で必要だと思う。 モーツァルトの作品目録については彼自身が、ウィーンに定住し、コンスタンツェとの結婚から2年後の1784年(28歳)のときの作品、ピアノ協奏曲変ホ長調(K.449)から記録しているし、彼の死後の1856年に、生誕100年を記念して刊行された、オットー・ヤーンの「モーツァルト」全4巻がある。 その最終巻で、全作品目録が明らかになった。その後、1862年にルートヴィヒ・リッター・フォン・ケッヘルが「モーツァルト全作品年代順主題目録」を著し、全作品に1番(メヌエットとトリオ)から626番(レクイエム)までの通し番号がつけられた。 そのときの番号が一般に流布しているが、それから、作品の真偽の判定や作曲時期の考証などの研究が進み、アインシュタインによる「目録第3版」で二重の番号付けが試みられ、さらに修正が加えられて1969年、ギークリング、ヴァインマン、ジーファスによる「第6版」の番号が最新のものとなっている。 そして没後200年という記念すべき1991年に、1955年から刊行され続けられていた「新モーツァルト全集」105巻が完結した。 それをもとに海老澤・吉田両氏の監修による「モーツァルト事典」が同年に出版になった。そのほかにも多くのすぐれた文献がある中で、この個人的な「データ・ブック」はそれらと肩を並べることを目的に編纂したものではない。 まして、より完璧な資料を提供しようと企てているわけでもない。一人の熱狂的な愛好家のコレクションに過ぎない。 作品は1989年版ブライトコップ&ヘルテルの目録と「モーツァルト事典」を主な参考文献にして、第6版の番号順に並べ紹介した。
 
K.72a

■ なぜモーツァルト? 

なぜモーツァルトの曲は多くの人に愛されるのか? 私も(その一人として)なぜ彼の音楽に惹かれるのか? モーツァルトの音楽の神髄とは何か? どこにあるのか?

まず、ここにウィーンからモーツァルト(26才)がザルツブルクにいる父へ送った手紙(1782年12月28日)がある。

することが多くて、何から手をつけていいか時には頭が混乱します。 午前から2時までは授業で、食事の後は約1時間、哀れな胃袋に消化の暇を与えねばなりません。 書き物をするのは夜だけですが、これまたよく演奏会に頼まれるので、あまり確実じゃありません。 今のところ僕の予約演奏会にあと2曲のピアノ協奏曲(K.413とK.415)を書かなくてはなりません。 これらは、やさし過ぎもせず、むつかし過ぎもせず、その中間で、とても輝かしく、耳に快く、自然で、音楽通だけが満足するところでありながら、通でない人たちにも何故かきっと満足するように書かれています。 予約券は6ドゥカーテンです。そのほか出版されるはずのオペラの抜粋も仕上がっ ているし、同時にジブラルタルに取材した賛歌(K.386d)の作曲という実に厄介なものも手がけています。 その詩は大袈裟で熱っぽく聞こえます。 今の人たちはあらゆるものについて、中庸、つまり本当のものを知らないし、尊重もしません。 喝采を得るには、町の馭者でも歌えるほどやさしいか、常識家には理解できないほど難しいということで気に入られるか、といったものを書かねばなりません。 でも、僕の言いたいことは別のことです。
柴田治三郎氏編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)
このようなことから、モーツァルトの音楽の神髄(あるいは芸術に対する彼の信条)とは次のようなものであろう。
誰にでも分かる通俗性と音楽通にしか分からない名人芸とを絶妙に融合させ、効果的に、魅力的に、しかも自然な流れとなるように作らなければならない。
そのように隅々まで計算されつくされた作品だから、通俗的に作られた私の体は何の拒否反応を示すこともなくその音楽を受け入れ、生き返る感じがするのだと思う。 そして、演奏家の違いなどによって新たな発見の楽しみがあり、いつまでも飽きることがないのも、ここにその理由があるのだと思っている。 フィッシャーが言っている、「形式的よそおいはきわめて単純であるにもかかわらず、モーツァルトの曲の演奏がむずかしいのはそのためにほかならない」と。

また、音楽療法で有名なトマティスは「なぜモーツァルトなのか」について、次のように断言している。

モーツァルトには他の作曲家たちにはない効果と影響力がある。彼の曲には特別に痛みから解放し、治癒する、いってみれば、癒しのパワーがある。 彼の音楽は、その先達・・・同時代の人、後輩をはるかに抜きん出ている。
なお、よく知られているように、上の手紙には
僕はできたら本を1冊、実例つきの小さな音楽批評の本を書きたいのです。ただし僕の名でなく。
Ich haette lust ein Buch, -- eine kleine Musicalische kritick mit Exemplen zu schreiben. -- aber NB: nicht unter meinem Nammen.
とも書いているが、実現していたらどんなに良かったか、と残念に思う。 ところで、このページの最後に、もう一度フィッシャーの「音楽を愛する友へ」の中から一節を引用したい。
モーツァルトは決してお砂糖の利いた、あまったるい音楽でもなければ、工匠の細工物でもない。 モーツァルトは心の試金石なのだ。彼によって、われわれは趣味や精神や感情のあらゆる病患から身を護ることができるのである。 ここには、簡素にしてしかも気高く、健康で、かぎりなく澄みきった一つの心情が、音楽という神々の言葉で語りかけているのである。
Edwin Fischer (佐野利勝訳)


 
2005/12/04
Mozart con grazia