弁護士になって30年目に襲ったものは何か?
それは、木村晋介弁護士からの突然の電話が幕開けだった。
平成14年8月初め、木村晋介弁護士から電話がはいった。
「あけみさん、今、武富士の社長が飛び込んできたんだよ!」
木村晋介弁護士の話は、私が、全国の弁護士に申立人となってもらって、武富士の違法な第三者請求に関して関東財務局に行っている「行政処分の申立」に関して「和解」をしたいということだったらしい。私は真意がわからず、「自分にはそんな権限がない。先生がそんなことをいうのはおかしい」というような対応をした。
すると、木村晋介弁護士は、武富士の顧問弁護士の鈴木武志弁護士と私的「ADR」なる「合意書」を作った。武富士に対して親族がお金を払った場合には、申し出たがあれば、返還するというものだ。この合意書についても、全国クレ・サラ対協」は疑問を投げかけた。
平成14年10月25日、「武富士被害対策全国会議」が東京で結成された。
平成14年11月には、関東財務局が、武富士に調査に入った。これは、6ケ月以上にもわたる立ち入り調査となった。
平成15年1月初め、労働基準局が武富士に「残業代未払い」で強制捜査に入った。
そして、私に対する攻撃がはじまった。
平成15年1月下旬、大下英二氏(夕刊フジに連載しているライター)が取材にきた。クレ・サラ問題に対する通常の取材かと思ったら違った。私に対して、4件の懲戒申立てがされているのを知っているのかというのだ。大下氏は、懲戒申立ての書類を持っていたが、勿論、私はまだ弁護士会からそのような書類は受け取っていなかった。
平成15年1月30日 懲戒申立てをしている4件で5人(一組夫婦がいる)が世話人となって「今瞭美弁護士事件被害者の会」なるものが結成されたという。
平成15年2月3日、武富士顧問弁護士鈴木武志氏が、釧路で、私の知らない人が東京でこれらの記者会見をしたという。
平成15年2月末、「今瞭美弁護士事件被害者の会」のHPがインターネットに出現した。
平成15年3月末、武富士被害対策全国会議は、「武富士の闇を暴く」という本を出版した。
平成15年4月27日、被害者の会の世話人であり、私を横領で刑事告訴し、懲戒申立てをし、HPの責任者という人が自殺した。(このことを知ったのは、6月中旬)
平成15年5月ころ、武富士は、「闇を暴く」の出版社と、全国会議の代表の新里弁護士、内容に関与した宮崎の宮田弁護士と私に対して、5,500万円の損害賠償を求める訴訟を提起した。
平成15年6月ころ、武富士の元従業員の関係で、東京高裁が、武富士と暴力団等のかかわりを認める判決を下した。
平成15年8月、私の依頼者1件と、武富士が申立人となって懲戒申立てが3件された。
平成15年10月ころから、私が多重債務の整理の相談にのっている人に対して、「貸金請求事件」が提起された。約70件。通常の和解は一切だめ。利息・遅延損害金をつけるということ以外には認めないというものだ。
平成15年10月、武富士に盗聴事件で強制捜査(家宅捜索)が入った。
平成15年12月2日、武富士会長で創業者の武井保雄氏が「盗聴の容疑」逮捕された。 東証一部上場企業が、自社の気に入らない弁護士に対して、どのような対応をするのか、田舎の弁護士を踏みつぶす位は簡単だということなのだろう。
私には、通常の仕事があり、自分の身にかかる火の粉を振り払うことは、自分だけでは何もできない。これらの事件について、全国のクレ・サラの多重債務相談に携わっている弁護士の方が、献身的にやってくださっている。
私は、もうそれほど長く弁護士として活動できない年齢になっている。しかし、これから、悪質企業による被害事件にかかわっていかれる大勢の弁護士が、悪質企業からこのような形で攻撃をかけられた場合、どうすればいいのか。
平成15年は、私にとって激動の年であり、それは、今年も続く。
「今瞭美弁護士事件被害者の会」は、でっち上げ?
被害者の会は、私に対して懲戒申立てをした5人が世話人となって平成15年1月末に設立されたこととなっている。ところで、懲戒事件の審理をする綱紀委員会で、次のようなことが明らかになった。
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私に対する懲戒申立て・刑事告訴は、表向き武富士は関係がない。これらのことについて代理人となっている弁護士は、鈴木武志弁護士である。この鈴木弁護士は武富士の顧問弁護士である。