第二章 第一回公判

☆道路交通法 施行 昭和三五年一二月二〇日(昭和三五政二六九)
改正 昭和三七法第一四七・法一六一、昭和三八法九〇、昭和三九法九一、昭和四〇法九六、昭和四二法一二六、昭和四五法八六、法一四三、昭和四六法四六・法八八・法九六・法九八・法一四三、昭和四七法五一、昭和五一法六四、昭和五三法五三、昭和五八法三六、昭和五九法二五、昭和六〇法八七、昭和六一法六三、平成一法八二・法八三・法九〇、平成二法七三・法七四、平成三法六〇、平成四法四三、平成五法四三・法八九

☆道路交通法第一条
この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。

☆道路交通法第二二条
車両は、道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度をこえる速度で進行してはならない。

☆道路交通法施行令第一一条
法第二二条一項の政令で定める最高速度のうち、自動車及び原動機付自転車が高速自動車国道の本線車道以外の道路を通行する場合の最高速度は、自動車にあっては六〇キロメートル毎時、原動機付自転車にあっては三〇キロメートル毎時とする。

起訴状朗読

平成八年六月一八日午後一時三〇分

釧路簡易裁判所の法廷は厳粛な空気に包まれていた。傍聴人は、誰もいない。
 右側に検察官、左側には弁護人が座り、私は法廷の真ん中の裁判官の真ん前の長椅子に座っていた。

「起立」

 廷吏の大きな声が法廷に響いた。
 黒いコートを翻して裁判官が法廷に入ってきた。
 書記官、廷吏、検察官、弁護人、そして被告人である私は、深々と一礼をした。裁判官も礼をし、正面の裁判官席に座った。

「着席」

 再び、廷吏の声が響き、全員がそれぞれの椅子に着席した。

「被告人、前に」

 私は、長椅子から立ち、裁判官の正面にある証言台の前迄進んだ。

「被告人は、起訴状を受け取っていますね」

「はい」

「これから被告人に対する道路交通法違反事件の審理を行います。被告人の名前は???」

「今 瞭美」

 裁判官は、「人定質問」という儀式を始めた。まず、被告人が間違いなく、起訴された人間と間違いないかどうかを確認するのだ。「名前」「本籍」「住所」「職業」を順番に聞いていく。 人定質問が型通り終わった。

「それでは、検察官、起訴状を朗読して下さい」

 検察官が起立した。

「被告人は、平成七年一〇月一三日午後三時四五分ころ、網走郡美幌町字古梅キロポスト一四・四付近道路において、法定の最高速度(六〇キロメートル毎時)を三七キロメートル超える九七キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転したものである。
罪名及び罰状
道路交通法違反  同法第一一八条第一項第二号、第二二条第一項 同法施行令第一一条」

「被告人が、この法廷で述べたことは、有利不利を問わず証拠となります。言いたくないことがあれば言わなくても結構です。起訴状に記載されている事実についての意見を述べて下さい。」

「私が、起訴状に記載された日時、場所において、その位の速度を出して運転していたことは間違いないと思いますが、その速度が九七キロであったかどうかはわかりません。しかし、速度自体について争うつもりはありませんが、この事件についての意見を申し上げたいと思います。」

 私は、用意していた意見を読み上げた。

「私は、昭和五一年に免許を取得して、今日まで自動車を運転しております。
 自動車運転に伴う法律の中で、速度違反については、長く疑問を持っていました。
 私は、約二十年間に、一旦停止違反で一回、追越し違反で一回、速度違反で三回反則金を支払いました。速度違反は二十キロ未満違反でした。最後に反則金を支払ってから、一〇年以上過ぎていると思います。
 しかし、この間、私は、常時、制限速度違反の速度で自動車を運転しております。
 月に二〜三度、北見・網走方面に仕事で出張します。
 道路が凍結しているとか、雨が降っているというような道路上を運転する時は、制限速度より相当遅い速度でしか運転できません。北見迄、約一四五キロ位ですが、夏場の場合、二時間から二時間半で行きますが、冬場は三時間半から四時間の余裕をみて釧路を出掛けます。
 晴天で、道路になんらの障害もない場合、全く、制限速度違反をせずに、北見・網走まで自動車を運転することはできません。
 たまに、今日は、全行程を制限速度内で運転してみようと思ったことも、何回かあり、何十分か制限速度内で運転したこともありますが、約二時間から三時間の間、制限速度内で走り続けるということはできません。私の意思が弱いからなのかもわかりません。
 ところで、私は、交通反則切符を切られたときは、自分が法律に違反して悪いことをしたのだから、反省して二度とこのようなことをしないようにと思ったことは、一度もありません。
 最初の「一旦停止違反」は、一旦停止の標識が見えないところにありました。つまり、一旦停止の標識には全く気付かなかったのです。しかし、その道路は、信号機のない交差道路ではなく変形したT路道になっており、一旦停止の標識を少し過ぎたところで、右・左折する場合には、必ず、交差道路上の自動車の有無を確認しなければ道路上に出られませんので、必ず「道路上の自動車の有無」を確認して右・左折します。標識は、現実に右・左折道路上の自動車の有無を確認するよりも手前の左側にあり、この道路を走行するときには、そちらの方向は全く気にしないで右側を気にするため、気付かない、気付きにくい場所に「一旦停止違反」の標識が設置されていました。
「追越し違反」の時は、根室からの帰途でしたが、全く見通しのよい場所で、なぜ、この場所が追越し禁止となっているのかが理解できないような場所でした。
 速度違反の場所は、白糠の街道と、網走から斜里に向かう道路と、帯広からの帰途だったと思います。白糠街道は、片側二車線の道路から片側一車線道路になるという直前に、低速の大型車を追い越した途端に検挙されました。網走から斜里に向かう道路は、それは広い見通しのよい道路で、検挙された時、そのお巡りさんと相当の間、おかしいじゃないかと議論したことを覚えています。帯広からの帰途は、覆面パトカーを追越し、その直後に赤ランプを点滅させたパトカーに気づいて停止したのでした。
 私は、これらの道路交通法違反事件において、『しかたがない』『運が悪かった』と思い、その不合理について異論はありましたが、特別にそれに対して異議を主張しませんでした。
 私は、昨年の夏ころ『人間を幸福にしない日本というシステム』(カレン・ブァン・ウォルフレン著)という本を読みました。
 その中に、『検察は日本の民主主義の敵』という項と、『あいまいさの悪用』という項があります。
 その中に、速度違反のことについて次のようなことが書かれています。

『もし、警察が、高速道路で時速五〇キロ以上のスピードを出している車を全部とめて罰金を科したとしたら、それは、狂気の沙汰だろうが、少なくとも、全員同じように扱った点でフェアだと言える』

『法律の規定を明確にした上で、すべての者に分け隔てなく法を適用するか、あるいは、それができないのなら、いさぎよくすべてを諦めるかのどちらかしかないはずだ』

『法の正義と民主主義の基準に照らしてみると、日本の検察官が過去におこなってきたことをする法的な権限はない、と私は考える。そして、それをやめるのが早ければ早いほど、日本が真の民主主義になるチャンスは大きくなる。』

 そして、この本では、私たち日本人が『シカタガナイ』とつい考えてしまう習慣を克服すれば、一人一人が、この『シタカガナイ』を辞めて、行動を起こせば、日本が再起できる。この『シカタガナイ』を辞めることは、それほど困難なことではない。
そして、この『シカタガナイ』を辞める他には、日本の市民社会の繁栄はないと呼び掛けています。
 交通行政は、非常に多くの国民がかかわる問題であります。それは、車の運転にかかわるものすべてが、納得の行くものでなければならないと考えます。
 科学的で、合理的で、納得の行く交通行政が行われなければ、交通事故を減少させることはできないでしょうし、運転者が、真に『責任』を自覚して運転することはできないと思います。
 幼いころから、日常的に、国民に守られない交通行政の下で育った子供は、法律を守らなければならないものとは思わないでしょう。
 私は、私が、今回検挙された美幌峠を下って、美幌市街に向かうなんの障害もなく、私が運転席から見通している限り、一台の車も走っていない道路上で、制限速度内で走行しなかったということが、法律で処罰されねばならないような運転であったとは、どうしても考えられません。 処罰されるということは、その処罰の対象となった事実について、『悪かった』という認識を持つことができることでなければならないと思います。その結果、同じようなことを二度としないという『反省』を持ち、少なくとも、処罰の場において、そのことを、『誓う』ことができねばならないと思います。
 しかし、残念ながら、私は、今回、私が処罰を求められている事実について、『悪かった』と思うことができず、『反省』もできず、『二度と同じ間違いをしませんと誓う』ことができません。
 私は、『シカタガナイ』という言葉で、私の行った運転行為について表面的にのみ反省し、それでことたれりとすることは、間違っていると思っています。
 私の事件についての審理が、真に、日本の交通行政の夜明けとなることを念願しております」

「それでは、弁護人の意見を述べて下さい」

 高山弁護人も用意していた意見を読み上げた。

「本件公訴事実に対する弁護人の意見は次のとおりである。
一、被告人は、本件道路部分を検挙時の条件下で嫌疑程度の速度で走行しても何ら道路交通に危険をもたらさないことを捜査段階から主張し、実情を無視した速度違反の取締りのあり方を批判し、本件につき道路交通法違反を問うことは法秩序の全体としての整合的関係をむしろ破壊するものと指摘してきた。
二、被告人の主張は、被告人だけのものではない。
 道路交通法施行後長きにわたって行われてきた機械的、形式的な速度違反の取締りは、その実態の不合理を折々に暴露してきた。実情にあわない速度違反の取締りに対する伊藤栄樹検事総長の訴えや秦野章法務大臣の非難はその最たるものである。刑事事件捜査に関していわば最高胃の立場にある人々が道路交通法違反の取締りのあり方を批判したということは、道路交通法の捜査の基本に重大な誤りが歴然と存在することを示している。
三、国民に法の遵守を求める者は、その法の存在目的(目標価値)を国民に示さなければならない。道路交通法二二条一項の存在目的(目標価値)は、いうまでもなく道路における危険の防止すなわち交通の安全である。
四、本事案の捜査にあたった警察官や起訴判断を担当した検察官は、被告人に対し、一九九五年一〇月一三日午後三時四五分ころにおける網走郡美幌町古梅一四・四キロポスト付近道路の道路交通状況によれば、該道路部分を九七キロメートル毎時で走行することが道路における危険の防止すなわち交通の安全を害するものであることを示さなければならなかったのに、警察官も検察官もついにその合理的な説明を行わなかった(被告人の走行速度が九七キロメートル毎時であったことを認める趣旨ではない。)。
五、法令の定める速度を超過して走行していたというそれだけの理由で、その者に道路交通法違反を問擬しうると即断することは、検察官に託された起訴裁量権を逸脱するものである。とりわけ、近時、市民からの批判の強まりに対応して、実情に合致しない取締りを避ける傾向が強まり、道路交通法違反の検挙件数が従前に比べ大幅に減り、起訴に至らない者の数も毎年一五〜二〇万人(検挙件数の一五パーセント前後)に達していることを考えると、本件起訴が、処罰の必要を争う被告人に対する報復措置として行われたことは明らかといわねばならない。
六、弁護人は、本件公訴につき、次のとおり主張する。
 第一に、本件公訴は刑事訴訟法二四八条に違反して提起されたものであるから、訴訟要件を欠くものとして、公訴は棄却されるべきである。
 第二に、公訴が仮に有効に提起されているとしても、・被告人の走行速度が公訴事実のとおりであることの証明はなく、・また仮に被告人の走行速度が公訴事実のとおりに認定されても、その走行は道路における危険の防止すなわち交通の安全を害するものではなく、結局、本件公訴事実につき被告人は無罪である。」        

弁護人の意見陳述が終わるや、裁判官が発言した。

「本件を釧路地方裁判所に移送します」

高山弁護士は、すっくと立ち上がり、意見を述べた。

「略式裁判で処理される速度違反事件は、もともと、簡易裁判所で審理される事件であります。本件は、釧路簡易裁判所において審理していただきたいと考えます」

 事件の内容が入り組んでおり、困難な判断が求められる場合には、簡易裁判所は地方裁判所に事件を移送するが、単純な速度違反事件であるのに、どうして、地方裁判所に移送するのかわからなかった。
 裁判官は、高山弁護士の意見を聞いていた。そして、暫く休廷し、裁判官室に戻った。何か検討したらしい。
 暫くして、裁判官が入廷した。「起立」「着席」という儀式が終わり、裁判官が発言した。

「本件を、釧路地方裁判所に移送します」

 高山弁護士と、私は、法廷を後にした。

「元々、道交法違反の軽いのは、略式で全部簡易裁判所でやっているのに、何で、移送したのかしら?」

「やっぱり、弁護士が被告人だから嫌なんじゃないかな!」

「簡易裁判所だから、誰も傍聴に来なかったけど、地方裁判所に行ったら、きっと、マスコミの人が傍聴に来ると思う」

「仕方ないんじゃないですか?」

「判決まで、ひっそりとやろうと思っていたのに」

「いずれわかるんだから、腹を決めて」

 こんなふうにして、私の裁判は、釧路地方裁判所に移送された。
地方裁判所の刑事事件については、マスコミは必ず期日簿を閲覧してフォローしており、重大事件や注目されている事件については、傍聴し、報道する。しかし、簡易裁判所の事件は、全く「ノーマーク」であった。この時点で、私の事件のことは、ごく少数の知人を除いて全く人に知られていなかった。