第1章 検挙
検挙
平成七年一〇月一三日、その日、私は、午後四時に、美幌迄行かねばならなかった。日専連というクレジット業者団体の事務局員の研修会で、どのようなことについて注意すべきか等の講演をすることになっていた。釧路から美幌迄約一二〇キロ〜一三〇キロ位だと思う。以前、美幌に簡易裁判所があった時は、年に数回、美幌迄行っていたが、簡易裁判所の統廃合で美幌簡易裁判所がなくなってから殆ど美幌には行かなくなった。講演会場がわからなかったこともあり、二時間半位前に事務所を出発する予定にしていた。午後一時ころ、事務所に来た来客は、美幌の人であった。私は、美幌の会場を書いた紙を見せながら聞いた。「ねえ、美幌迄、どの位かかる?」
「一時間半位で行きますよ!」
「えっ、それは無理じゃないの?」
「いや、そんなものですよ」
それから、少し仕事をして、午後二時少し前に、事務所を出掛けようと思ったところに、日栄の管理部長から電話が入った。私が、相談を受けている件についての連絡であった。日栄は、いわゆる、中小企業を対象に事業資金を貸しているが、勤労者を保証人にしている場合が殆どである。借主の事業者が手形不渡りを出した後、保証人の勤労者が支払を請求されることになる。日栄は、多くの場合、一〇〇〇万円というような高額の限度額の中で融資をしているため、保証人の負担は並大抵ではない。突然、何百万円を支払わねばならなくなった保証人は、右往左往して大変な状況になる。そのため、私は、日栄の管理部長に、保証人の状態を説明し、保証債務の減額の交渉をすることになるのだ。利息制限法に基づく問題、保証人相互間の問題、保証人の個別の問題など、その話は結構時間がかかる。それに、日栄関係の相談事件は、一件や二件ではなく数件あり、その一件毎に数人の保証人があるし、具体的な話となるため、個別事件の資料を出したりする必要もあり、どうしても時間がかかる。
その時も五分以上は話にかかった。そのため、事務所を出る時間が、二時を少し越えていた。 釧路市からシラルトロ湖の湖畔をとおり、弟子屈町から屈斜路湖の湖畔を通り、美幌峠を通って美幌町に行く。その道路の景観は見事なものであるが、自動車を運転している間は、あまり景色に見入っているわけにはいかない。私の自動車には、美空ひばり全集となつかしの歌声喫茶の全集のカセットが積んである。そのカセットを入れて聞きながら、何時もより相当速い速度で走った。釧路市から釧路町迄の間は、走行車両の数も多く、それほどスピードを出すことはできない。精々、六〇キロ迄である。制限速度も四〇〜五〇キロである。釧路町を抜け、シラルトロ湖の手前のころから走行車両は極端に少なくなる。午後の二時から三時ころという時間帯も関係するかも知れないが、タンクローリーの大型車両もこの道路は走っていなかった。空は、あくまでも青く、見通しもよく、正に、快適なドライブ日和だった。
私は、美幌峠で、トイレに行き、すぐに、又、自動車に戻った。美幌峠からは、対向車にも一台もすれ違わず、私の前を走る車も全くなかった。私専用の広い道路を気持ちよく走っていたが四時迄に、会場に着くことができるかどうかわからないという時間であった。
私は、前だけを見てなんとか四時迄に会場に到着したいと考えていたが、町内に入るとやはり四〇キロ前後でしか走れず、会場の場所を聞くためにの時間も必要となるため、早く走れるところはできるだけ早く走ろうと思って走行していた。こんな状態で前ばかり見て走行していたが、ちょっと、バックミラーをみると赤いランプを点滅させたパトカーが目に入った。道路上には、私しかいないのだから、私を追いかけていることは明らかだった。私は、道路の端に車を寄せて止まった。パトカーもすぐにその後ろに止まった。
お巡りさんが、私の車のところまできた。私は、窓を開けた。
「速度違反です。降りて下さい」というように言われたと思う。
私は、車を降りて、パトカーに入った。
お巡りさんは、私に小さな紙を示した。
「九七キロとなっています。ここは六〇キロ制限ですから、三七キロオーバーです。
確認して下さい」
と言った。
お巡りさんから、住所・氏名・職業を聞かれた。私は、住所・氏名・職業を答えた。私は、速度自体については、見ていないからわからないが、その位の速度は出していたと思った。そのため、速度違反については争わないが、四時迄に行かねばならないところがあるので、それが終わってから警察に行くから、調べはその時にしてほしいと話した。
お巡りさんは、「五分もかかりませんから、今、調べをします」と言った。
検挙時間が、三時四五分であるから、その時は、もう、四時に近くなっていた。私は、仕方なく、調べに応じた。調べには、一〇分以上かかった。四時を一〇分以上過ぎたころ調べが終わった。私は、四時迄に会場に行くという約束だったことから、猛スピードで美幌町に向かった。私は、一〇〇キロを越えるスピードを出すことは滅多にないが、その時は、間違いなく一〇〇キロを越えるスピードを出した。二度、検挙されてもやむをえないと思った。
「懲役刑」を求刑されたらどうするんだ!
私が走っていた道路は、極めて見通しのよい直線道路で、交差する道路もないし、道路の両側は畑になっており、見通しがよかった。片側一車線で、道路の端に路側帯を占めす白い線が引かれている。路側帯もかなり広い道路であった。この道路を六〇キロで走れというのは、あまりにも現実離れしていると思った。勿論、冬場は、話は別である。雪が降り、アイスバーンになっている道路は、四〇キロで走っても、ちょっとハンドルを切ると横滑りしたり、ハンドルをとられたりする。しかし、夏場の天気のよいこんな日に六〇キロで走っていると、眠くなってしまう。 道路交通法違反の場合、そのすべての違反事件について、一定の範囲の違反については「反則金」を支払えばよいうということになっている。速度違反については、一般道路における三〇キロ未満違反については、反則金を支払えばよいが、三〇キロを越える速度違反については略式裁判という手続で処理されることになっている。釧路簡易裁判所でも、月に何回が略式裁判が行われている。多い時は、一日に一三〇人とかが略式裁判で「前科者」になっている。略式裁判に同意しない場合には、正式裁判で審理されることになる。
私は、伊藤検事総長が、現在の速度取締のあり方が、実態に合わないということで異議を唱えたという記事を読んだことがあった。私は、現在の速度取締のあり方が、おかしいということを訴えるために正式裁判を受けようと考えた。
しかし、私の決意だけでは、やはり、心もとない。
私は、私と同じ時に同じ自動車学校に行き、同じ日に試験を受けて、同じ日に普通自動車免許をとった先輩弁護士に電話で相談をした。
長々と話した後、尊敬する先輩弁護士は、次のように言った。
「弁護士は、人の事件の弁護をするものだ。自分で被告人になってどうする。懲役刑を求刑されたらどうするんだ」
確かに、スピード違反は、懲役刑がある。懲役六ケ月以内で処罰されることになっている。
私も、六〇キロオーバーというような速度違反事件の弁護をしたことがあった。
私は、三七キロオーバー位で、元々、略式の範囲内だから懲役刑が求刑されることはないと思っていたが、何事もに慎重な理論家である先輩弁護士は、あらゆることに気を配っていた。
報復的に懲役刑が求刑されないという保証は、どこにもなかった。
是非やりなさい!
私は、次に憲法学者に相談した。北海道大学の木佐教授である。
「先生、ちょっと、相談にのってほしいことがあるんですが?」
「なんですか?」
「実は、私、とても見通しのよい道路を一人で走っていたんですが、スピード違反で捕まりまして、今の速度違反の取締は、あんまり実態に合わないので、正式裁判を受けようと思っているんですけど、先生、どう思われますか?」
「いや、実は、僕も、あまりにも酷すぎると思っていますよ。実は、僕は、そのことを雑誌に書いたことがあるんですよ」
「どんなことですか?」
「いや、無線を入れて、取締情報を得ている人もいるけれども、それは、憲法上問題があるというものです。無線で取締情報を得るというのは、違法だとされているのに、それをやると取締を免れる。無線をつけることを潔しとしない人との間に不平等があるというようなことです」
「やっぱり、誰かがやらないとだめですから、頑張ってみようかなと思っています」
木佐先生は、私の意見に賛成であった。
私は、いろんな人に意見を聞いてみた。勿論、私の夫にも意見を聞いた。
その大半は、というより、殆どが、無駄だからやめたほうがよいというものだった。
私は、その年の八月ころ、『人間を幸福にしない日本というシステム』(カレン・ブァン・ウォルフレン著)という本を読んだ。
その本には、日本人は、自分の身に何かが降りかかった時、「シカタガナイ」ということで諦めてしまうが、それが、日本を悪くしている、日本人が、一人一人、「シカタガナイ」をを辞めれば、日本は良くなるというようなことか書かれていた。
私も、「運が悪かった」「シカタガナイ」ということで、略式裁判で一見落着とせず、正式裁判で自分の意見を主張しようと考えた。
上申書を書いてあげましょう。そうするときっと不起訴になりますよ!
私は、正式裁判を受けようと決意したが、きちんと自分の主張をするためには、やはり、道路交通法関係に精通した弁護人を見つけねばならなかった。検挙されたようなスピードを出していないというような事件(誤測定)ならば、私も現実に弁護人として弁護をしたこともあった。しかし、制度自体がおかしいというような事件をするからには、これまでに、道路交通法関係事件を多数取扱い、その問題点に精通していなければ、事件自体の焦点がぼけてしまうおそれがあった。
そのため、私は、全く面識はなかったが、名前だけは知っている「高山俊吉」という道路交通法関係事件では著名な弁護士に弁護人を依頼することに決めた。しかし、全国を股にかけて東奔西走しておられる高山弁護士が、こんな趣味と道楽みたような事件に興味を持ってくれるかどうか、そして、弁護人になってくれるかどうか、非常に心配だった。
私は、高山弁護士に電話をして、事件の概要を伝えた。
高山弁護士は、私の話を辛抱強く聞いてくれた。そして、最後に言った。
「それでは、私が意見書を書きましょう。そうすれば、きっと、起訴猶予になると思いますよ」
「いや、そんな余計なことはしないで下さい。裁判になると思いますから、裁判になったら、弁護をお願いしたいと思っているんです」
「そうですか?そういう裁判は、これまでにありませんからねえ?」
「でも、誰かがやらなければならないでしょう」
「そうですねえ?」
「お願いできますか?」
「じゃあ、考えておきます」
私は、起訴状が来るのを待った。