幸せな子ども時代を過ごした人は、最も不幸な子どもである?
京都で、塾の先生が、小学生の生徒と「相性が悪い」ということで、生徒を刺し殺したという事件が報道された。彼は、一人息子であるという。
私は、人の人生は、「他人よりも少し幸せかな」という時期と、「まあまあ、人並みだな」という時期と、「他人よりも不幸だ」という3つの時期に分けられるのではないかと考えている。
人生「3分割論」と勝手に名付けている。
「お父さん、お母さんが仲よくて、なんの心配もない家庭に育った子どもは、最も不幸せな子どもだ」という考えは、このような人生3分割論に基づく意見だ。
「お父さん、お母さんが仲よくて、なんの心配もない家庭」では、子どもは、ほとんど自分の意見が通る、「ノー」と言わなくてもよい状態で生活することができる。お母さんは、いつでも、子どものことを考えている。
「今日は、少し、顔色が悪いな?」「風邪かな?」「熱があるかな?」
そのような家庭では、すべてが、「子ども中心に回っている」。
しかし、社会に出ると、なんでも、自分中心で世の中が回るわけがない。
いつでも、「ノー」ということを言わなければならない状況におかれる。
しかし、「ノー」が言えない。そうすると、そこで、心理的葛藤が起こる。
又、子ども時代に、いつでも、「飛行機はファーストクラス」「JRは、いつもグリーン」という生活を送っていた場合、自分が働くようになって、「飛行機のファーストクラス」に乗れない、「JRのグリーン」に乗れないことだけでも、不幸だと思うだろう。
幸福、不幸の基準は、極めて相対的なもので、絶対的なものではない。
私は、父親の顔を知らなかった。父親は、シベリアに抑留され、その後、帰還したが、会っていない。
でも、私は、小さいころから、「離婚したのは、瞭美ちゃんが、離婚してもいい」と言ったからだと、母親からなんども聞かされた。
私が、顔も知らない父親と、母親が離婚するか、しないか、どのようなことで判断したのか知らない。記憶もない。
しかし、多分、母親は、離婚に反対する両親に対する言い訳で、そのように正当化したのだろう。
母親に、「離婚してもいいか」と問われれば、どういうことかわからなくても、母親に反対などできないのが、子どもなのだ。
2〜3年前、従兄弟が、私に言った。
「小学生のころ、あんたの父親が家に来た。おじいさんとおばちゃん(私の母親)が何か話していた。そのことは、これまで、あんたには言わなかった」
私は、父親が私達がお世話になっていたおじさんの家に来たことは、そのときまで全く知らなかった。
私の子ども時代は、おじいちゃん、おばあちゃんと、 伯父さん、伯母さんと、伯父さん伯母さんの子どもである従兄弟3人のところに「居候」させてもらっていた。
母親は、食事のときには、何時もいなかった。母は、朝早く家を出て、私や弟が寝てから帰ってくるという生活だった。
伯父さんの家は、農家だったから、ひもじい思いをしたことはなかった。
しかし、いつも、おばあちゃんや叔母さん達が、「瞭美ちゃんは、かわいそうだ」と言っていたことを思い出す。理由は、「父親が違う」ということのようだった。母親の兄弟姉妹は、母を入れて6人だが、離婚したのは、母親だけだった。 義父は、おとなしい人で、特別、叱られたりしたことはない。
ただ、親が違うだけで「かわいそう」と言われる時代だった。
しかし、その経験が、今の私の仕事で、役立っている。
義父のことで思い出すのは、異常なきれい好きだということだ。
朝の手伝いとして、私は拭き掃除、弟は掃き掃除があった。
掃除のあとで、義父は、必ず、どれだけきれいに掃除をしたかを点検した。
障子の桟を、指でさっとなでて、きれいになっていないと、すべて、自分でやり直した。「拭き直せ」とは言わなかった。
部屋の隅々をみて、きれいになっていなかったら、自分で掃き直した。
「やり直せ」とは言わなかった。
そのせいでか、私は、今でも「掃除が嫌いだ」
私は、離婚して落ち込んでいる相談者や、多重債務者で落ち込んでいる相談者に、子どもはいろいろなことを経験することができて、必ず、将来役にたつと思うと話すことにしている。
2005年12月11日